2013年9月30日月曜日

リマスにあやかって



しまった。
そう思った時は既に遅し。
左の足の裏がびしゃりと濡れて冷たい。

庭に出ようと、外にあったサンダルに足を入れたところ。

でも、
と足を引き上げながら、空を見上げる。
もう暗闇ながらも、雨が降った形式もないし、
これから雨が降りそうな気配もない。

いやあな予感。
慌てて左足を抜き取ったばかりのサンダルの靴底を目を凝らして見ると
小さな、小さな茶色の糸の拠りのような物体がへばっている。

あちゃっ。

リマス(なめくじ)に違いない。
こちらのリマスは、大人の指二本分程の太さがほとんど。
そうか。
やっぱり、あいつは水分小僧だったのか。

バッタ達に興奮して説明したが、
既に経験済みなのか、ちっとも驚いてくれない。
長女バッタに至っては、踏まれたリマスは糸くずになっても、
またすぐに水分を吸収してたっぷりと太るから気にしなくてもいいのよ、
と変な慰め方をしてくれる。
誰も、私の左足裏のいやあな感触を同情してくれない。

びっしょりに濡れた靴下を脱いで、
裸足でサンダルに足を入れる。
なんだか、逞しいリマスの仲間入りをした感じがして小気味いい。

うん。
リマスにあやかり、水分をたっぷりと吸収し、図太くいくか。
腹が据わる。




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2013年9月27日金曜日

心とろけるマンゴーレモンを








我が家の目の前に住む未亡人のマダム。

自慢の消防士の息子は、未だ勘当が解けていないらしく、
ここ二、三年は姿を見ていない。

ほぼ時を同じくして、失業し、パリのアパートを売り払って
ノルマンディーの片田舎で広大なる土地と古い田舎家を買い、
何十羽もの鶏、兎を飼い、養蜂に勤しみ、馬を操り、
悠悠自適とは程遠いかもしれないが、それでも、
二人の子供は立派に成人し、
別居して久しい旦那は一緒に住まなければベストパートナーとかで、
いつもバッタ達に産みたての卵をお土産にしてくれる娘は、
月に一回顔を見せるか、見せないか。

三人目の子供は、
三歳の時に、道路で車に撥ねられ、その短い一生を終えてしまっている。

だから、我が家のバッタ達がもうちょっと幼い時は、
道路の横断に、こちらが驚くほど神経質で、
ちょっとスピードを出した車が通ろうものなら、
手を振り上げて注意する。

亡くなった子の名前は長女バッタと一緒。
だから、特に長女バッタを可愛がっているのかと思っていたが、
どうやら、
姿かたち、顔の表情もそっくりさんは、末娘バッタらしい。
年齢的にも、末娘バッタが三歳の時に引っ越してきており、
三歳の女の子が持つほっぺの膨らみ、真っ直ぐな眼差し、
甘い香り、なんかが、共通していたのであろう。

四、五年前に軍人であった人生のパートナーを失って以来、
一人で家事は勿論、庭仕事も元気に溌剌と手掛けている。

が、それでも夕方には孤独のブルーズに襲われるとか。

「でも、一人がいいわよ。孫たちは可愛いし、娘は大切だけれど、私は自分の時間が大切だし、私のやり方を通したいもの。」

時々、そんなマダムにちょっとしたデザートの差し入れをする。
このところはインプラントの歯の調子が悪いと嘆いているので、
ゼリー系、ムース系を中心に。

驚くほど、隠し味や材料をずばりと当ててくれる。
今回はレモンマンゴークリームプリン
勝手に憧れ敬愛している、素晴らしくセンス良く、幸せたっぷりなお料理ブログをお書きになっているFleur de selさんによる一品。

いつもながら、突然の訪問に驚いて喜んでくれ、
もうお昼近いのに、パジャマ姿なことを恥ずかしそうに詫びる。
どうやら腕を骨折したらしく、右腕を吊っている。
一人では、どんなに不便な生活を強いられているのだろう。

そんなこちらの心配も、ちっとも意に介していないようで、
そうだ、と椅子を勧められる。

「話があるのよ。」

一体何事か。緊張して椅子に座る。

「アラームをつけようと思って。」
防犯アラーム。
マダムは、昨年、真昼間に娘と旦那のお墓参りに行っている隙に空き巣に入られ、
軍人であった旦那の狩猟銃を数丁、宝石類とともに盗まれており、以来、セキュリティーに関して、トラウマの様になってしまっている。
ノルマンディーの娘のところに、宝石、絵画、置き物、書籍、家具、食器など、あらゆる品を運び込み、がらんとした家にしてしまっていた。
生きていく上での潤いや楽しみをもたらす品々を全て放棄したストイックな生活。
それでも飽き足らず、今度は赤外線センサーを張り巡らせ、
24時間継続ビデオ撮影のカメラを随所に設置すると言う。

その素晴らしさ、
セキュリティーの心配をしないで安眠出来る幸せを
隣人に説いて回っているという。

「勿論、設置するわよね。」
左隣のマダムも、数軒先のムッシューも、どうやら、皆設置するよう手配しているとか。

私は、と言えば、ジョージオーウェルの世界じゃないか、と唖然としてしまっている。

そこまでして得なければならないのか。
24時間連続で、我が家の玄関の前をビデオ撮影することの無意味さ、不気味さ。
防犯アラームぐらいは、必要かと思ってはいたが、
実際に我が家にある宝は、私にとっての宝であるバッタ達だけ。
勿論、マニアックな人々なら、彼らのバイオリンに目をつけるかもしれないが、
それだって、所詮高が知れていよう。

にも拘らず、何かあるかと思われて、窓や鍵を壊されて侵入された日には目が当てられまい。
それでも、である。
何かが違う気がする。
人間として生きていく上で、
そこまで周りを防備しなければならないのか。

そこまでトラウマに陥ってしまったマダムの心情を思い、
胸塞がる思い。

マンゴーとレモンの絶妙な味わいが
舌先でとろけるプリンが
少しでもマダムの心を癒しますように。

そう願って、お暇をする。
次回は、クエッチのクランブルにしようか。






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2013年9月26日木曜日

朝のキッチン




キッチンには朝から甘ったるい香りが漂っている。

このところ、ちょっと買い物に行けてなく、
息子バッタがいつも朝に食べるビスケットの最後のパックを、
末娘バッタが先に食べてしまっていたので、
「ママ、食べるものがない!」と騒ぐ息子バッタに、
つい、パンケーキを焼こうか、と言ってしまっていた。

いつもなら、寝起き爽快の息子バッタ。
今朝は、眠そうに、だるそうにしていたので、つい、甘いことを言ってしまった。
実際は、ちゃんと末娘バッタと一緒に起きていたら、
食いっぱぐれることはなかったであろうのに。

末娘バッタなら、ビスケットがなかったら、
バナナとヨーグルトにしたり、
林檎をコンポットにしたりと、実は応用が利く。と、思う。

だから、息子バッタに甘いと、娘バッタたちに言われてしまうのであろう。

案の定、
末娘バッタの視線が痛い。
「みんなの分、作ってあげるわよ。食べるでしょ?」

一時間早く授業が開始する長女バッタは、もう玄関で準備をしているので、
取り敢えずは二人分。

卵を二個割って、バニラ風味の砂糖を一袋と蜂蜜を適当に混ぜ、
自家製カスピ海ヨーグルトをとろりと入れる。
ベーキングパウダーに小麦粉をさっくり混ぜ、ちょっとだけサラダ油を垂らす。

クレープ用のフライパンをしっかりと温め、
生地をたっぷりと流し込む。
表面がぷつぷつしてきたら、早速裏返し。
ホッカホカでふんわりとしたパンケーキをお皿にするりと落とす。

バッタ達は大喜び。

卵と蜂蜜で、こんがりと焼き色がつき、
バニラの甘い香りが心を優しくさせる。

こんな朝の過ごし方もあるのか。
バッタ達の食べ終わったお皿を洗いながら、ひとりごつ。



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2013年9月25日水曜日

新たなる予感







ふと見上げると
淡い水色のキャンバスに、大きなクロスが描かれている。

思わず見回すと、
大空に、幾つものクロス。
その中で、一番細くて真っ白な線が、伸び続けている。

ふっと口元が緩む。

人と人との交わりも一緒。
幾つもの鋭角、鈍角があり、
対頂角、同位角、そして、錯角がある。

根拠のない自信が、訳もなく体中に漲り、
今日一日を照らし輝かせてくれる太陽のお出ましに最敬礼。









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2013年9月24日火曜日

空回り






窓の外を見やると、
はらはらと黄色い薔薇の花弁がこぼれ落ちている。

このところ、
問題解決のために、調査して、これぞと思った提案が、あっさりと退けられたり、
相手の気持ちを何とか変えようと、戦略を持って臨むも、けんもほろろだったり、
良かれと思って取った行動が裏目に出たり、
困っているだろう相手を助けるために、半日も集中して作業すれど、相手からはお礼はもとより、確認の連絡さえもなく、呆然としたり、
なんとも、いやはや、
空回りばかり。

ま、
そんな時もあるか。

外ではピー達がぎゃーぴくきゅーぴくぐるぐるぐると、けたたましい。
我が家にある梯子では届かない、高い枝にあるクエッチを楽しんでいるのだろう。

ここはアールグレイを淹れようか。
芯まで冷えてしまった身体を温かな香りで包もう。

ピー達の賑やかなお喋りは未だ続いている。






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2013年9月22日日曜日

太陽と大地の恵み




いつの頃からか、鳥たちの鳴き声で、
実の熟し具合が手に取るように分かるようになってきている。
そして、今こそ収穫時と確信さえできてしまう。

今年は黄金の粒、ミラベルが不作。

昨年は、離れの屋根の上に登って、甘ったるい香りの中で、
ぱつんぱつんの実を何十キロと収獲し、
リキュールから、シロップ漬け、ヴィネガー漬け、ジャム、と沢山の瓶を作り、
カーブに保存。

一方で、昨年はちっとも実がならなかったクエッチが、
今年は枝が折れんばかりに大きな粒が鈴なりに。

ところが、7月になっても、8月になっても、
実は固く、渋いまま。
色合いも、今一つ。

9月に入り、
雨が降るたびに秋の足音が近づき、
朝夕冷え込むようになり、
頻繁に冷たい雨が降りしきる日が続くと、
なんだか、このまま冬に突入しそうで、
クエッチは熟さずに、その実を落としてしまうのかとさえ疑われた。

が、
ある晩、
鳥たちが余りに喧しい。
しかも、尋常ではない騒ぎよう。

時の訪れを悟る。

こうして、
曇りがちな空の下、試しに濃厚な赤紫の実を手にしてみる。
ぱつんとした重みが心地よい。
一口齧ると、爽やかなジュースがほとばしる。

大急ぎでボールを取ってきて、
手元の実から収獲。
気が付くと、梯子の上で背伸びをしながら奮闘している我が身。

どうして、ここまで熱中してしまうのか。

全く放置しているだけの我が家の庭にある木から、
こんなに美味しい実が得られる信じられない喜びを噛みしめ、
太陽と大地に感謝してもしきれない思いで、
全てを収穫しないと、申し訳ないとの思いで溢れんばかり。

この神聖なる儀式にも近い思いを
バッタ達と共有できないことを残念に思うも、
そこに悲しみを見出す以上に、張り切って梯子によじ登って、
ふらふらとしながらも両手を使って収獲に勤しむ我が身。

15キロ近くの収穫となる。

さて、先ずはタルト。





甘酸っぱい香りがオーブンから流れ出し、
そこにトンカ豆の高貴な香りを見出し、
にんまりとしてしまう。





収獲の喜びは、何ものにも代えがたし。







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2013年9月19日木曜日

目を閉じれば




立ち寄ったハイパーは
ワイン祭りの最中。
エントランスの特売品売場がすべてワインのボトルに占められている。

美味しいワインとは。
外れないワインの選び方とは。

「値段だよ。」と教えられたことがある。
高いワインは外れない、と。

そんな程度でしか知らない世界。
そう、ずっと思っていた。

ずらりと並ぶワインを眺めつつ、
時々、久しぶりの旧友に出会ったような思いでボトルを手に取る。
様々な思い出が鮮やかに蘇ってくる。

新たな思い出を作りたくて、
ワインを一本選ぶ。

急に声が聞きたくなる。

忙しい時はそっとしておかなくちゃいけない。
分かっているのに、
忙しいからこそ会えない時間が目の前に積まれてゆき、
その重みを感じたら最後、
泣きたい思いが溢れ出てしまう。

二回目のコールで留守電メッセージが聞こえてくる。
懐かしい声を耳にしながら、
声だけでも聞きたい、なんてことは、嘘だなと思ってしまう。

会いたい。

せめて十五夜の月を見ようと外に出てみると、
粉砂糖のような雨が降り注いでいる。
東の空は灰色の暗闇に追いやられている。

目を閉じれば、
夜空に銀色に煌めく大きな丸い月。
そう、目を閉じれば、
銀色の狼が優しく微笑んでいる。



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2013年9月18日水曜日

9月の雨の中の散歩


雨が降るたびに秋に近づいていくように、
今年の9月はいつになく雨が降る。

ゆるやかな晴れ間を感じて外に出ると、
北の空に濃厚な雲が立ち込めていることが多く、
鮮やかな驟雨に見舞われるか、
氷雨に打たれるか、
粉糠雨に髪を濡らすことになる。

雨は決して嫌いではない。
ラベンダーの香りが立ち込めて、忘れかけていた夏の日を思い出させてくれるし、
湿り気を含んだ土は、しっとりと足を迎えてくれる。
松や杉の葉は、これまで以上にツンとし、
気まぐれな夏の暑さで幾つも実をつけたオリーブは、
濃厚な緑の粒が大きくなれずに戸惑っている。

車でしか通らない、良く知った道を歩くのも悪くない。
いつも通っていた時間でなければ、余計良い。

小糠雨に髪を濡らせ、
ポケットに手を突っ込み、
リズミカルに足早に歩く。
一歩、一歩、踏み出すたびに、
ぐちゃぐちゃな頭の中が、ストン、ストン、と整理されていくようで、小気味よい。

それでも、物思いに耽っていると、
ふと、前方に木を見上げながら立っている人影に気が付く。
良く知った顔であることが分かると、
ちょっと大きな声で挨拶をする。

「木の上をご覧になっていらっしゃるけど、何か見えるのですか。
それとも、誰かをお待ちになっていらっしゃる?」

にやり、と、「あなたを待っていたのですよ。」と返ってくる。

あまりに驚いた顔をしたからか、破顔し、そこがバス停であることを教えてくれる。

バス停、ね。

一緒にバスを待てば、何かが起こるかもしれない。
けれど、小糠雨は止んでいて、
頭の中にはまだ納まるところに納まっていないモヤモヤが残っている。

木の上を眩しそうに眺めて、
もう一度挨拶を交わし、歩みを続ける。

背筋を伸ばし、足早に。
一歩、一歩、踏み出すたびに、
ぐちゃぐちゃな頭の中を、ストン、ストン、と整理しながら。







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2013年9月17日火曜日

年度始まっての所感




新たな学年がスタート。
クラス替えがあり、学年が進むにつれ教科書の厚みが増す。

その割には、高校2年となった長女バッタはリュックではなく、おしゃれな鞄。朝8時からの授業に、5分前、ぎりぎりに走って出掛けるが、夕方5時まで楽しそうに通っている。一方、要領が悪いのか、真面目なのか。一番重そうなリュックを背負う末娘バッタ。朝は、9時15分前に出掛ける。今朝はスポーツがあるからと、他にも一つ別のリュックを抱えての登校。そして、最も要領が良さそうな息子バッタ。それでも始業の30分前には、リュックを背負って出ていく。仲間との時間が大切となり、その重みが増す時期なのだろう。

バッタ達の朝の時間を見守ることでの充実感よりも、彼らに出遅れた焦りの思いは、日、一日と濃くなってはいる。

フランスに住み、フランスの教育を受けながら、それでも日本語の学習を継続することは、並大抵のことではない。時に、親のエゴではあるまいか、と悩む時もある。

が、この夏、そうか、と膝を打つ文章に巡り合う。

バッタ達共々敬愛するバイオリンの先生の師は60代後半のバイオリニスト。彼女は、金髪+白髪のセミロングの髪を、オレンジやピンクのメッシュにし、いつも白か、黒の繋ぎドレス(長めのチュニック)姿。目をかっと見開いて演奏したり、教えたりと、とにかく、すごいエネルギーを発散しているので、口の悪い生徒たちからは、「witch」「sorcière」なんて陰で呼ばれている。

その師によるスピーチの原稿を読む機会に恵まれる。

ある日、子供たちにランチに招待され、喜んで行くと、息子と娘が揃って、「お母さん。お願いです。私たちの子供にバイオリンを教えてください。」と頭を下げる。まずは、驚いて、「でも、あなた達に教えた時は、すごく大変で、バイオリンなんかやりたくない、って反発してたじゃない。どうしてそれを、あなた達の子供に押し付けるの?世界中で最も大切なかけがえのない宝である子供に?」。様々な場面が頭を過ぎる。「練習を強制するから、ママのことは好きじゃないって、あれ程言っていたじゃない。」すると、驚いたのは子供達。「ママ、何の話をしているの?」「小さかった時、ママのことを意地悪な魔女呼ばわりしてたことは、覚えているでしょう?」「やだ、ママったら、大袈裟よ。馬鹿みたい。ママのことを魔女なんて本気で呼んだことは一度だってないわよ。悪ふざけよ。」「世界中のママの中でも、最低のママだって言ったじゃない。それは覚えているわよね。」子供たちは、ちっとも覚えていないと言って、自分たちが忘れてしまっているのに、大袈裟に話をしていると言われてしまう。子供たちは、母親のそんな反応に、ひどく戸惑ってさえいた。

そこで、師は悟る。子供たちが母親のことを嫌いだと言っても、本当には思ってはいないのであろう、と。

更に、私は思う。子供たちって、何かを習得する上での練習・訓練に伴う辛さは忘れるものだ、と。そして、厳しくも信念を曲げずに教える(導く)姿勢を貫くことは、お互いにとって大切なのだろう、と。

昨晩、ちっとも勉強しない息子バッタに、将来何になりたいのか聞いてみる。

そしたら、「金持ち」と返ってくる。シリコンバレーで何かしたい。大学は日本でもフランスでもなくて、英国、アメリカ、または、、、中国に行きたい。

最先端のテクノロジーを勉強したいと言うので、そりゃあ、日本に行かないと、と言うと爆笑されてしまう。日本のテクノロジーの高さを知らないのか、と思う反面、そこまでフランスでのイメージが落ちたのか、と愕然。

でも、まさか、中国で学べると思っているのだろうか。
あそこは発展途上だから、可能性が眠っていると返答される。

ああああ、どうなるんだか。
本当に年度の初めは悩ましい。
そりゃあ本人の人生だけど、親として、うまく導いてあげたいって願いは強い。
それよりも、先ずは自分の人生をなんとかしなくては、か。。。


関連記事: フィオッコ、ア、レ、グ、ロ!!!
魔術に掛かる一週間 ~エキセントリックな魂の師、ヘレン~




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2013年9月13日金曜日

緑の木漏れ日




「こんにちは。
お久しぶり。」

自分の声に、想像以上に緊張していることに、驚く。
相手は、じっと見つめ返し、いや、そんなに遠い昔ではない、と微笑む。

勧められ、椅子に座る。
緊張しているのが、相手には伝わるのだろうか。
リラックスして、とささやかれ、瞳が接近する。

金がところどころに鏤められた緑の瞳。
こんなに透明だったかしら、と思う間もなく、
たまらなく、眼をつぶってしまう。

つい、左手を挙げてしまい、
相手が動きを止める。
いや、まだ大丈夫。覚悟して来たのだもの。

その様子をちゃんと受け止めて、
「続けますよ。」緑の瞳が伝える。

目をつぶりながら、
緑の瞳を必要以上に感じ、
生い茂った緑と木漏れ日を思う。

「さあ、今日のところは、もうお終いです。」
ぱちり、と目を開ければ、
緑の瞳が見下ろしている。

慌てて、リクライニングシートが正常位置に戻る前に、
身体を滑らせて立ち上がる。

我慢できるなら、麻酔は極力止めようと思う反面、
痛いのなら、局部麻酔で凌ごうとも思っていた。
なんとか、我慢ができたかな。緑の木漏れ日に救われたかな。

さあ、次のアポイントを取らないと。
これで最後となるはず。
ゆっくりと、手帳をめくる。



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2013年9月10日火曜日

ハーフボトル




インディアンもあるけど、
本格的な窯があって、
賑やかな笑い声が開ききった窓から
明るい光とともに漏れているイタリアンにしよう。

ドアの近く、部屋の奥、柱の陰、
どこでも気に入ったところにどうぞ。

あら、それなら、窯の近くのピザの作成台にしようかしら。

軽い冗談が口からこぼれる。

直ぐに届けられたメニューを眺め、
やっぱり窯の焼きたてピザがいいかな、
どんなトッピングにしようかな、と思っていると
ピザとパスタを取って、分けっこしようよ、と誘われる。

レジーナかな、ナポリタンかな、と思えば、
キャトルセゾンにしようと、と。

キャトルフロマージュ?

違うよ。キャトルセゾン。
パスタもキャトルセゾンにしようよ。

色々な種類のパスタが楽しめるのね。OK。

笑みが思わず漏れる。
なんだって今日は、いつになく率先して決めてくれるのね。

飲み物は?

Leffeにしようかな。ドラフトがあったっけ。
メニューを覗く。

イタリアンワインにしようか。赤?白?ロゼ?

ワイン、ね。そうれもいいかもね。
ロゼ、いいね。ロゼにしようよ。

ハーフでいいよね。

ん?ハーフ?
じゃあ、フルでサンペレグリノも取ろうよ。

ライムとオリーブが小皿で出てくる。

ロゼのハーフボトルが恭しく掲げられ、
味見用にと、グラスにちょっと注がれる。

うん、爽やかな香りと味わい。

満足気な笑顔。

淡いロゼのグラスを傾けて、
乾杯。

夏の草原の香りが口いっぱいに広がる。




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2013年9月3日火曜日

息子バッタと豆の木




庭の柵から溢れ出ている枝葉が作る緑の陰を
清涼感持って楽しめるのも、
実に我が家の庭の木がなせる仕業からか。

やはりここは、公共のルールを守り、
ばっさりと伐採すべきであろう。

ある夏の日、ふと思い立ち、刃の大きな鋏と太枝切り剪定鋏を抱えて、
息子バッタに声を掛けて表に出る。

昨年しっかりと伐採した筈なのに、藤の蔓はくるくると手を伸ばし、あと言う間にユダの木に絡みつき、駆け上っている。どうやら、隣の門柱にまで食い込むように蔓を這わせている。

思い切って、根っ子ごと引っこ抜いてしまおうよ、と息子バッタが叫ぶ。

果たして、我々が引っ越す前から、こんなに大きな株なのか、
或いは、あまり庭の手入れをしていないことから、ここ数年で、こんなところに、こんなに大きな株となったのか。
根こそぎ引っこ抜くという提案は、ちょっと受け入れがたく、
曖昧な返事をして、黙々と膨大なる伐採した藤の蔓と葉を袋に詰める作業を続けていた。

力任せに鋏を使う仕事を好んだ息子バッタに、
ベランダに覆いかぶさり、クリスマスツリーさながら、屋根まで届く大きさの杉の木に蔓を這わせ、初夏には真っ白な花房をシャンデリアのようにつけ、馥郁たる香りをまき散らしている別の株に取り掛かってもらう。

ガレージの入り口は枝葉で覆われ、ベランダは緑の塊と化してしまっている。

いつかは手をつけねばならないと思いつつも、ここまで放置してしまったか、
と半ばあきれながら、ここは息子バッタの思い切りよい伐採手腕に任せ、
さっぱりとさせてしまおうと思うに至る。

ところが、そう簡単にはいかない。
先ずは絡み合った蔓を解し、或いは、手繰り寄せ、力いっぱい引っ張り落とす。
時には、一人がひっぱる間、先をもう一人が斬り、新たな別の蔓を手繰り寄せねば、うんともすんともいかないこともある。

こんなことでは、二階のベランダを絡み取られてしまうと、懸命に手繰り寄せては引っ張り落とす作業が続く。

と、壁を見上げていた息子バッタが、大変なことを発見する。
どうやら、雨樋がすっかりと藤の蔓に侵略されてしまっているらしい。

おおっ!
そうだったのか!
ついに大きな声が出て、興奮してくる。
ああ、早くその蔓を除いてしまおう!
この藤の蔓が原因で、二階の子供部屋が、この頃雨漏りに悩まされていたのか。

今年に入ってから雨が降ると、化学薬品の匂いがすると長女バッタが指摘。
その時には、末娘バッタの変な実験が原因であるとし、彼女を叱り、片付けさせた。
この夏、臺灣の甥っ子、姪っ子が遊びに来るからと、徹底的に部屋を掃除した際、
どうやら、昔モロッコで買ってきた絨毯が濡れていて、そこから異様な匂いが発生した可能性が考えられ、早速太陽の下で日干しをし、乾燥したものを物置に仕舞っていた。
その時、初めて、子供部屋での雨漏りに気が付く。

それから、雨が降るたびに、気を付けてみると、天井でもなく、桟の下から、時には蛇口を放たれた水道水のような勢いで、じゃんじゃん雨が流れてくることが分かる。
大きなバケツをあてがい、タオルを敷き、なんとか雨漏り対策をするも、いつかしっかりと原因を究明しなければならないのかと思うと、気が重かった。
まさか屋根の修理なんてことになったら、どうしようかと思っていた。

そうか、そうだったのか!
藤の蔓に雨樋を取られていたのか。

大いに息子バッタをけしかけ、雨樋救出作戦をはってもらう。
蔓はしぶとく、ひっぱっても、なだめても、ちっとも動かない。
息子バッタが、別の方向からひっぱることを思いつき、ひとり庭の緑の闇に入っていく。
長い鋤に蔓をひっかけることに成功し、息子バッタが思い切りひっぱると、
果たして、蔓はあっけなく雨樋から抜け落ちる。

おおっ。
これでもう、雨漏りはしなくなるのか。
本当のところは確かめようがないが、取りあえずは雨樋は奪取。

やれやれ。
山のようにうず高く積まれた蔓、枝、葉を眺めつつ、
息子バッタに感謝しつつ、
ああ、ジャックと豆の木の豆の木とは、藤のことだったに違いないと思うに至る。

ジャックならず、息子バッタは雲の上まで登ることなく、巨人の館に行って金の卵を産む鶏を取ってくることもなかったが、どうやら、雨漏りから我が家を救ってくれたことになろうか。いや、雨樋を取り戻してくれたか。

めでたし、めでたし。



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2013年9月1日日曜日

それぞれの夏




人は見えない力に導かれているのだろうか。
或いは、何かの事実を摩訶不思議な現象に捉え、
如何にも、その不思議が我が身に降りかかったように思うものなのだろうか。

臺灣に住む双子の妹が三人の小さなバイオリニストたちを連れて夏に遊びにやってきて、
一緒に我が家の三匹のバッタ達とともに、イギリスに一週間の音楽のサマースクールに行くことは、ここ4年ばかり、我が家の恒例行事となっている。

最初こそ、その日の様々なレッスンやイベントに参加するこに夢中であったが、一昨年からは、ちょっとした用で、薬局やスーパーに広大なるキャンパスから外に出ることもあり、音楽のシャワーの素晴らしさとは別に、ひと時の安らぎや楽しさも味わってきている。

今年は、キャンパスのそう遠くない場所に、世界遺産のストーンヘンジがあることに気が付き、では、水曜の午後の時間にでも、ちょいと子供たちを連れて行ってみようか、と思うに至る。

ところが、残念ながら我が愛車には、運転手の私を含めて5人しか乗せることしかできない。妹は遠慮してか、頭痛がするのでキャンパスに残ると言う。そうなると、彼女の一番チビのお茶目姫と真ん中の未だママとの時間が大切な甥っ子は、キャンパス居残り組になろう。長女バッタは、今年はティーンエイジハウスやらにお世話になっているので、顔を見せることも一日にあるかないか。日本から来ている母は真っ先に小旅行参加に手を挙げている。あとは、妹のところの、急にレディになった長女と、息子バッタに末娘バッタ。オーケー。人数もぴったり。

が、意に反してに、息子バッタは居残り組になることを告げる。どうやら、妹に気になるオーケストラのパートを見てもらいたいらしい。いや、長旅には飽きて、プールに行きたいのかもしれない。あの、ストーンヘンジだよ。と言っても、フランスにもカルナックがある、と言い、乗り気にならない。まあ、へそ曲がりに付き合っている時間はない、とばかりに、一行車で出発。

Salisburyに行けば、何らかの看板が出てくるであろうと踏んでいた。そこまでの道は驚くほどの細道で、ところどころに木のアーチができている中をくぐる。対向一車線ながら、スピードは時速制限110キロ。さすがに、道を知らない田舎者が出せるスピードではない。

ほどなくしてSalisburyに到着。ここも13世紀頃から栄えた中世の町らしく、見事な大聖堂や町並みが目を楽しませてくれる。が、どこに行けども、ストーンヘンジに関する情報は得られない。取りあえずは、どこかで駐車しなくては、と思っても、タクシー専用であったり、なんだかややこしい。駅まで行けば、と思うが、あんまりぱっとしない駅で、気が付くと歩行者天国らしき道に入り込んでしまう。私の悪い癖で、前の車の後を付いて来てしまった結果。と、停車した前の車が合図をしている。窓を開けると、花屋のマダム。突き当りは駐車場だから、行きなさいよ、との合図だった。せっかくなので、ストーンヘンジへの道を尋ねてみる。

「あら、日を改めなさいな。今、私、その道から帰って来たのだけど、そりゃあ大変だったわ。交通事故よ。事故。それで、ひどい渋滞なの。」

地元ならではのホットな情報に感謝するも、かなり残念な思いが募る。この9月に中学に進学する姪が、来年は勉強が大変で夏にはイギリスに来れないかもしれないから、これが最後のチャンス。ぜひストーンヘンジが見たい、とつぶやいていたことを思い出す。

まあ、そんなこともあるよ。来年、きっと来れるよ、そう彼女を振り返って言葉を掛ける。

そして、教えられた駐車場が、実は大聖堂を訪れるにぴったりの位置であることが分かり、それはそれで大喜びし、皆で大聖堂の庭でピクニックをしようと、繰り出す。

13世紀建立された大聖堂は非常に重みあり、踏んでいる足元に書いてある文字を辿ると、なんと9歳で亡くなった方のお墓であったりと緊張感溢れる訪問となる。姪と末娘バッタは、それぞれにカメラを持って、お気に入りの写真を撮ろうと大騒ぎ。初めてカメラを買ってもらって嬉しかった自分と重なる。と、同じことを思っていたらしく、母もそんなことを言う。

マグナカルタをお見逃しなく、とパンフレットに記してあるので、皆でマグナカルタを拝みに行く。マグナカルタ、確か、大憲章。さて、如何なるものだったのか。記憶を辿ろうにも、曖昧模糊としている。

大聖堂の二階や塔の上まで見学が出来るようであったが、どうやらツアーでしか行かせてもらえず、時間も90分かかると言う。ちょっと残念な思いを残しながら、マグナカルタの記憶を頭で未だ探りつつ、それでも十分楽しめた大聖堂を後に芝生を歩く。

先程の花屋のマダムのお蔭で、渋滞に巻き込まれないで済んだけれど、、、。けれど、、、。ふと、そんな思いが過る。距離的にもそう遠くない筈。これから飛ばして、ちろりと目の端に収めるだけでも、ひょっとしたら、それなりの思い出になるかもしれない、と思う。

先ずは駐車場のおじさんに場所の確認をしようと思い、声を掛ける。にこやかに答えてくれるが、地図をみないと正確なことは言えない、と言われる。そして、「なにせ、ドイツから来ているドライバーなんだよ。あそこの、駐車場の管理人なら良く知っているだろうから、彼に聞いてみな。」とにっと笑顔を向けられる。

なんと。駐車場の管理人と思って声を掛けてしまったことを詫び、慌てて本当の管理人に尋ねに走る。今度は、もっと丁寧に、しかし、かなり地元情報満載にて教えてくれる。大聖堂の脇道を抜けて駅の方面に行き、橋を潜る感じで手前のランナバウトの二つ目を左折しA360に入る。そうしたら、ストーンヘンジへの標識も出てくる、と。

往復30分として、キャンパスに帰る時間が夕食に間に合うかぎりぎり。さあ、どうする?

姪が真っ先に、やっぱり行ってみたい、と言う。

因みに、駐車場の管理人のおじさんは、交通事故の話は聞いていないとしていた。

よし、行こう。いや、先ずは、さっきの駅に戻れるかな。大聖堂をぐるりと回り、さっきの道をうまく辿ると、駅の標識が出てくる。いいぞ。そう、このランナバウト。A360!間違いない。

それでも、怪しみながら走行する。イギリスの通りには、国道何号などといった標識が一切ない。日本は海外からの観光客に不親切だと言われるけれど、世界遺産のストーンヘンジへの標識がないなんて、なんて国なのかしら、と母は助手席でつぶやいている。

暫くして、ようやくストーンヘンジの遺跡のマークが印された標識が現れる。

花屋のマダムの情報はガセネタだったのか、或いは、我々が大聖堂を観光中に既に事故処理が終わり、走行がスムーズになったのか、何ら障害なく車を飛ばすことが出来る。

ストーンヘンジとの出会いよりも、その出会いを姪っ子に体験させてあげられることへの嬉しさの方が勝っていることに、なんだか笑ってしまう。ストーンヘンジでも、にわかカメラマンとなった姪っ子と末娘バッタが色んなポーズをとって写真を撮ってはキャーキャーしている。こういう場所は、博物館と一緒で、静かに鑑賞するものなのだと告げても、年頃なのだろうか、ころころと笑い転げ楽しそう。

そんなちょっとした体験をした今年のイギリスのサマースクール。車で戻ってくると、ヒースローから臺灣に帰った妹からメールが入っている。

ストーンヘンジの魔法か、中学受験した学校から入学案内が届いたとのこと。
勿論、実力だろう。いやあ、良かったね、おめでとう!

確か、大変な進学校だから、夏休みも返上で授業があるんだっけ。となると、来年のサマースクールは本当に参加が難しくなっちゃうのかな。

無理してでもストーンヘンジを見せてあげることができて、良かったな、と思う反面、ちょっぴりと寂しい思いも。子供たちは、こうして大きくなって、いずれ羽ばたいていくのか。

その時期がちょいと早まっただけ。

いやいや、妹のことだから、来年も私の車のトランクに入り切れない程の大きさのスーツケースを2つ持って、3人の子供たちに大きなリュックとバイオリンを背負わせ、遊びにくるんじゃないかな。

それぞれの夏がそろそろ終わりを告げる、未来に向けて。。。



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