2018年1月30日火曜日

ヘッドライト



車の左のヘッドライトの電球がどうやら切れてしまい「片目のジャック」になっているらしい。

「片目のジャック」とは母が良く使っていた言葉で、実のところ映像など目に浮かばない。むしろピーターパンのフック船長のイメージがわき上がってしまうが、フック船長は鰐に腕を食われてしまって、片手がフックだっただけで、片目ではなかったか。

最初から話が逸れてしまったが、とにかく車のヘッドライトの電球を交換する必要があった。毎日車を使うことがなく、しかも夜になって初めて電球の交換が必要であることを思い出すことから、もたもたして「片目のジャック」状態がかれこれ一月続いてしまっていた。

以前、ガレージに交換を頼んだ時、こんな簡単なこともできないのか、と言わんばかりの対応だったことを思い出し、スーパーの車コーナーを覗いてみる。と、ちゃんとヘッドライト用の電球が販売されている。交換する時は左右同時に交換しましょう、との注意書きまである。思い切って購入し、自分で交換してみることにする。

不遜にも、誰かがやっていることに、自分が出来ないことはない、との思いがどこかに潜んでいるに違いない。いやいや、下手の横好きなのだろう。これまでに水漏れ、ペンキ塗り、カーテンのレール付けから始まり、蛇口交換といったDIYをやってきている。料理に通じるものがあるだろうか。複雑そうに見えても、レシピをみて、丁寧に作れば、やれないことはない。

ところが、それはレシピがあれば、の話であろう。

車のヘッドライトの電球の交換。これが、思った以上に大変であった。取り敢えずは、どこに電球があり、何を外せば良いかは分かったが、がっちりと設置されている電球が取り外せない。そして、どうも買った電球がぴったりとしたサイズには思えないし、余計な器具がついているように思われる。

最近は料理の仕方にしろ、全てユーチューブで映像が確認できることを思い出し、検索してみる。モデルの年代によっても、どうやら電球の形状やら取り付け方が違うことが分かってくる。そして、正に、これと思う映像も、肝心の電球取り外しの部分はカットされている。

夜中に末娘バッタを迎えに行くことになっていたので、どうしても交換する必要があったし、冬は夕方でも薄暗く「片目のジャック」は危険であった。

仕方ない、ガレージのお世話になるか。

近所のガレージに行ってみると、土曜は17時に終業となっていて唖然とする。隣村の大きなガレージに駆け込むと今日の受付は終了したので、月曜に来てくれと言われてしまう。電球の交換なんて、プロには赤子の手を捻るようなものだろう。朝飯前。ところが、その時間さえも取れないという。

ちょこっとコツを教えて欲しい、本当に困っている、とごねると、お前さんのお蔭で我々は残業だよ、と露骨に悪態をつかれながらも、最後の最後まで待つならやってやってもいい、と言われる。一瞬悩むが、待つことにする。

鍵を渡してしまったので、暗闇が押し迫る中、エンジンを切った車の中で震えながら待つこと小一時間。すぐにできると踏んで、何も持たずに出てきてしまっていたが、付き合いの良い末娘バッタと今年の夏のバカンスの計画についてや、最近彼女が取り組んでいるレポートの内容についてなど、色々と話をして過ごす。

と、ガレージから中年の男性がにこにこして歩み寄ってくる。先程の男性は受付担当で、作業部隊は別だったのかと初めて気が付く。顔に一日の疲れがべったりと張り付いているが、笑顔を絶やさず、とても丁寧に対応してくれるので、待たされた不満や寒さなど一遍にふっとんでしまう。

既に購入していた電球は旧式で、今ではほぼ使われていないことを知らされ、あっと言う間に新しい電球に交換してくれる。右の電球の交換もお願いするが、今日は本当に時間がないんだよ、これから未だ修理しなくちゃいけない車があるんだ、と申し訳なさそうに断られてしまう。

いえいえ、無理をお願いしたのはこちらです。本当にありがとうございました。

そういうと、ウィンクが返ってくる。

真っ暗になった道を明るいライトを照らし家路を急ぐ。
道路だけでなく、どうやら心まで明るく照らされているように思われ、ほのぼのとしながら、夕食はカボチャスープにしようかと、思いめぐらす。





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2018年1月29日月曜日

贅沢は敵か、安物買いの銭失いか



気が付いた時には既に遅かった。
いつものポケットにある筈の携帯がない。慌ててオフィスに戻ってみても、乱雑に置かれた書類の山の上にも、ひょっとしてと思い覗いたトイレの棚にも、どこにもなかった。同僚が携帯の番号を押してくれたが、鳴るどころかすぐに留守番電話のメッセージの声が聞こえてきた。電源が故意に切られたのだろうか。

落としたのか。
その可能性はないことはない。

雨が降っていて、夕方からの学校での教師との面談に間に合わせようと急いで走ったから、ポケットから落ちてしまっても、聞こえなかったのかもしれない。
それでも、駅の改札の手前で気が付き、すぐに戻って道路を隈なく探したが、なかった。駅とオフィスの間は一本道。

ある筈のものがないということがピンとこなかった。オフィスの湯沸かし器の傍に置いたのかもしれない。落とすはずがない。いや、なくすはずがない。そう頑なに信じ、面談の時間に遅れると急いで学校に向かってしまった。


翌日、転がるように駆け込んだオフィスのどこを探してもなかった。
諦めるしかなかった。

前の週末にロッテルダムでバッタ達と撮った写真も、ノエルに皆で撮った写真も、マチュピチュ、クスコ、コルカ、チチカカ、なくなってしまった。バッタ達のコンサートのビデオもあったはずだ。それより、自宅の電話番号やバッタ達の連絡先でさえ携帯がないと分からない。

落ち込んでいる暇はなかった。とにかくSIMカードを無効にし、新たに購入する必要があった。幸いに保険に入っている。急いで電話をして、詳細を詰めているととんでもない事実が発覚してしまう。同じオペレーターで契約を継続していたが、何度も携帯自体は買い替えている。しかし、携帯の保険は書き換えていなかったが、オペレーターの方で変更手続きなるものを自動的にしてくれるものと思っていた。ところが、契約はもう数年前の旧型に掛かっているのみで、その携帯に対して保険料を毎月数年に渡り支払っていた。バッタ達の携帯についても然り。なんと。
泣きっ面に蜂。

とにかくオペレーターのところに駆け込む。すると、ポイントは未だたまっておらず、後二年間は待つべきとのアドバイスを受ける。その間は、廉価商品で対応するよう慰められる。

マダム、ブランドで携帯を買う必要はないのですよ。メモリーは増やせばいいのです。え?写真の質?これぐらいあれば問題ないでしょう。どうです?これはオペレーターの自社ブランドなのでお買い得ですよ。コスパの点では最高点です。

どうしてだろう。
安い商品を勧められると、断りにくい気持ちがわき上がってきてしまう。贅沢は敵。何も高価なスマホでなくてもいいではないか。

気が付くと、これまでよりも大型で、分厚めの携帯を購入していた。

我が家に帰って末娘に仰天される。ママっ!何しているの!
ひったくるように携帯を奪うと、色々なアプリケーションをダウンロードしたり、設定しながら、日本語表記の選択肢がないと騒ぐ。セルフィを撮りながら、クオリティーが良くないとなじる。

そうかぁ。
日本語表記なら、それ用のアプリをダウンロードすればよい。写真は、どうなのだろう。ピクセルの数字でいえば、そう見劣りはしない筈。

ただ、確かに、音質は良くない。そして何より、100%充電しても、午後には15%程度になり、家に帰る頃にはゼロになってしまう。夜帰宅中に電話もできない、メッセージも送れないとなると、会社で充電をする必要が出てくるし、困りものではある。

そして、使い勝手が実は良くない。恐らく、設定を変えれば良いだけなのだろうが、電話が鳴っても毎回暗証番号を入れないとすぐに対応できない、メッセージの返事も然り。

そうして、写真の出来がやはり気になる。自分に沢山の言い訳をして、なくしたものと同じ機種を遂には新たに購入してしまった。手にしてみて、その軽さに驚き、すぐに写真を撮ってみて、悪くないと思う。と、言うことは、私自身がさほど大した腕ではないということか。

数日しかともにしなかったが、愛着のわいた携帯を箱にしまう。目覚ましの音は優しく響いたし、コール音も悪くなかった。まあ、これも設定を変えればいいだけのことなのだろう。

本当のところ、新たに買う必要があったのか、ちょっとわからない。それでも、音声は明らかに良い。まあ、次回、遊びに来た家族や友人たちに貸してあげるのも悪くはないか。

無駄使いをしてしまった後味の悪さが若干残ってしまう。

そこで、ここに写真を掲載。さて、皆さんなら、どちらの写真に軍配を上げます?
どちらも、同じ機種で撮ったものかもしれない。それでも、敢えて選ぶならどちらを?











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2018年1月27日土曜日

宇宙人相手








会社には研修生と称する学生たちがにぎわっている。
私にもそんな時代があったなと、懐かしく思う反面、若者たちの社会人たる自覚のなさに愕然とすることもある。

今の若者は、と十把一絡げにするのは言語道断。
分かっちゃいるけど、どうよ。そんな感じ。

そして、当たり前のことだろうけど、我が子と同じような世代の彼等。
彼等と伍してやっていくなんて、どうよ。
世代交代の時期なのかしら、と、じっと手を見る。

午後4時半に、平気な顔で退社する青年。
「あれ?今日は早いの?5時まででしょう?」
「はい。夕方、ちょっとイベントがあって(悪びれる様子なく)。」
「上司には確認したの?」←ちなみに、上司はアメリカ出張中
「いえ。だめでしたか?ここって、かなりフリーなので、いいのかと。」
絶句。

そういえば、この間11時になっても出社しないので、事故でもあったのかと心配して連絡したところ電話が通じない。いよいよ心配が本当になってきたところ、メッセージが入る。「寝坊しました。お昼には会社に着きます。」
絶句。

と思えば、メールで
9.00-18.06 といった具合に、自分の勤務時間を知らせてくる輩も。
時給制だからか?

9.00-20.16 時間帯の羅列をぼんやりと眺める。そうなると、長いおしゃべりの時間も入っているということか。あっ!それより!

「メールでもらった勤務時間の件だけど、あれお昼時間、入っていないよね。」
「えっ?あっ。本当でした。」
「 一時間、差し引いていいかしら。 」
「あのぉ。私、一時間もとっていません。」
「会社的には、お昼休みは一時間なんだけど。まあ、そうね。では45分としましょうか?」
「 そんなに取っていません。次回からはちゃんと時間を確認してご報告しますが、せめて40分にしてください。 」
絶句。

まあ、彼等にしてみたら、私の方が宇宙人なのだろう。

9時を過ぎて家に戻ると、末娘バッタが友達を10人ぐらい呼んで賑やかに楽しんでいる。そういえば、そんなことを言っていたか。夕食はこれかららしく、何の用意もしていない。ピザでも取るかな。

明るく挨拶をしてくる16歳、17歳の若者達。もう少しすると、彼等も社会人になる。

親の背を見て子は育つ、ではないが、会社の研修生たちの様子を見ながら、一体どんな親なんだろう、と思っていた。が、きっと彼らの親も、私のように朝から晩まで仕事漬けの仕事人間なのかもしれない。そうして、そんな親の姿を見て育ち、ああはならんぞ、と思ってきたのかもしれない。
反面教師。

どんな人生を送りたいか。人間としての矜持。

我がバッタ達よ。君たちは、どんな人生を送りたい?




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2018年1月20日土曜日

光の驟雨







彼女が住み始めて半年。
窓際に駆け寄る。
寄り添った煉瓦屋根、合間を縫って飛び交うカモメ、そして驚く程大きな空。

一日の始まりに、お昼の合間に、夕方帰宅して、寝る前に、何度も目にするだろう景色。

雨上がりの虹の写真も、水の入ったグラスに真っ青な空が取り込まれた写真も、雪で一面が真っ白になった写真も、皆、ここから写したものに違いない。

洗いたてのシーツとタオルを用意してくれ、夕食にキッチンに立つ姿に、家を出て早2年半の月日を思う。

彼女の寝室の壁にはお気に入りの写真がずらりと貼られていて、そこに一昨年、母と三人で一緒に行った海の写真を見つける。母が遠くを指差している姿。

別の壁には、古びた短冊が一つ。
「夢に向かって」
彼女自身の手によるもの。いつ書いたのだろう。

眩し過ぎて、目を開け続けることが、もう叶わない。







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謹賀新年







おほけなく 憂き世の民に覆ふかな
我が立つ杣に 墨染の袖


























本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。