2017年12月10日日曜日

止みそうにない風






俺たちって、深く考えずに子供を授かったけど、本当に子供達のためにと色々してきたよね。

心地よいエンジン音と共に、オリビエの言葉が耳に入る。

彼はフランス留学時代からの大切な友人の一人。初めて会った時には日本語で話しかけてしまった大陸生まれで香港出身の、身のこなしが何と言っても優雅で、それでいて自己主張をしっかりとし、頼もしい女友達の連れ合いでもある。彼らはアメリカの大学で知り合い、翌年、交換留学生だった彼がフランスの大学に戻るのと同時に、彼女も同じフランスの大学に留学を果たしていた。そして、その年、偶然にも私も彼らと一緒のキャンパスで学ぶことになっていて、二年間、一緒に学んでいる。実際には彼の方が一年上のクラスで、先に卒業していたが、もう何年も前の話ともなると、些細なことには拘らなくなってしまう。

不思議なことに、最初から馬が合った。バッタ達の父親と4人で、良くつるんで遊び回ったものだった。二人がシンガポール、そして北京に駐在になった時も、連絡を取り合い、私たちの結婚式には北京から駆けつけてくれた。彼らの方が先に子供が授かり、パリに戻って再会を喜んだ頃には、我が家にも長女バッタが誕生していた。彼女の当時のオフィスの近くで、ランチをした春の初め、第二子を授かったらしいと告げると、その足で彼女も薬局に行き、午後には電話で彼女も第二子を授かったとの報告を受けた時には笑ってしまった。息子バッタが予定より早く11月に生まれると、彼女のところには翌年の1月に息子が誕生した。

子供達の年齢もあまり変わらないこともあり、バカンスには良く一緒に出掛けて行った。南仏では毎晩トランプをし、負けたものがベビーシッター役で家に残り、勝ったものが夜遊びに出る、なんてことをしたものだった。週末もピクニック、プール、散歩、色んなことを一緒に楽しんだ。

彼らは暫くすると上海に駐在のため旅立ってしまう。ノルマンディーで夏の間一緒に家を借り、好きなだけミラベルを食べた子供達。ノルマンディーの家からパリまで、ずっと泣き続けた思い出。

そうこうしているうちに、私たちのもとからバッタ達の父親が去ってしまう。

オリビエは父親が幼い時に家から出てしまっていて、母親に育てられていることから、家族への思いが強かった。父親への憧れ、そして、恐らく怒り、和解、色んなことを経験しているだろう彼に、何度となく国際電話を掛けては相談した。

彼らは、あれ程子煩悩なバッタ達の父親が家を出るとは信じられない、と言っていた。家を出たのは、子供から離れるためではなく、別の人と一緒の人生を送るためであり、子供とは全く別の問題であったということは、当時彼らは良く分かっていなかったし、私自身、ちゃんと分析し理解してはいなかった。しかし、これは子供にとっては非常に重要なことであり、私自身も含め、バッタ達も、周囲の人々も、子供達が大きくなるにつれ十分良く理解していったことでもある。今でこそ、子供にとって良かったと言えるものの、このことに私は随分と苦しめられた。

話を元に戻そう。友人一家は上海からフランスに戻り、子供たちはバッタ達と同じ学校に通うことになる。

夏はバーベキュー、冬はフォンデュ。ノエル、新年、中国の新年、中秋節、などなど、週末には頻繁に集まって、5人の子供達と一緒に、賑やかに過ごしたものだった。そうして、気が付くと3人が既に高校を卒業。友人一家の長男が、今年は卒業の年に当たる。そして翌年には末娘バッタが控えている。

大人3人だけの夕食になることも、このところ少なくない。そんな時は、子供たちが巣立ってからの人生が何かと話題になる。

冒頭の言葉は、車のエンジンの調子が悪いからガラージに預けているので車がない私を、三人でラクレットを堪能した夜に、車で2分もかからないよと、送ってくれた道中でのこと。

彼ら二人の間にも、険悪な時期もあったし、これまで山あり谷ありの人生であったことは良く知っている。それでも、今また二人一緒に、子供たちが巣立っていった後の人生をどう過ごそうかと相談している。友人として本当に嬉しいし、そして、羨ましくもある。

そんな彼からの言葉。「俺たちって、深く考えずに子供を授かったけど、本当に子供達のためにと色々してきたよね。」

彼らの長女はイギリスで建築を学んでいて、この夏はミュンヘンの建築事務所で研修をしていた。長女バッタは北京大学での留学を経て、今はロッテルダムで経済を学んでいる。息子バッタはフランスでエンジニアの大学に進学すべく、全寮制のプレパで毎日研鑽している。彼らの長男は、クラッシックギタリストを目指していて、イギリスの音楽学校に進学したいと、オーディションを受けている。恐らく来年の今ごろはイギリスに渡っているだろう。その頃には末娘バッタも、彼女のひそやかに温めている目標を我々にも公開していることだろう。

「後悔するんだよね。私たちは本当に子供の為を考えてきたかって。子供のことを思えば、離婚なんてしなかったよね。」

ふと本音が漏れる。
きっとこれまで、誰にも言ってこなかったと思う。後悔なんて言いたくなかった。自分の人生を否定することは言いたくないし、生き続けるためにも、言えなかった。

私の言葉にびっくりしたのか、慌てたようにオリビエが告げる。
私のせいじゃない、と。

彼だけのせいでもない。二人の関係は、私にも大いに責任がある。彼の心を繋ぎとめる努力をしなかった結果とも言えるのだから。

我が家の前に車を停めると、ルームランプを点けて、オリビエが慰めるように、優しく微笑む。

あちこちに散らばっている子供たちが戻ってくる、それがノエル。この冬もロッテルダムから長女バッタが戻り、全寮制のプレパから息子バッタが戻る。漸く会える二人。そして、末娘バッタと三人が揃って、バッタ軍団が一堂に会す。

今年は一週間の休みを取っている。彼らと一緒の時間を過ごすことをどんなに待ち焦がれていただろう。軍団が揃わないと意味がない。彼らの笑い。クリスマスツリーも、車がないからと無理を言ってオリビエに手伝ってもらい、我が家のサロンに取り付けてある。

バッタ達の父親にも、そのことは告げてあった。バカンスの初めの一週間は、私の週。本当は日本にバッタ達を連れて行きたかったが、翌週勉強をしなければならない息子バッタの負担になるからと、バッタ達の父親に指摘を受け、それならとフランスに留まることにしていた。

それが、バッタ達の祖父、パピーがボルドーからパリに遊びに来るので、二日毎にバッタ達を一人パリに来させて欲しいと言われてしまう。一週間あるから、丁度二日毎で6日。

ちょっと待って。三人が私と一緒に一堂に会する日がなくなってしまうではないか。

80歳を超えたパピー。どんなに孫に会いたがっているか。大勢ではなく、一人一人との時間がパピーには必要なんだ。

どうやらパピーは、バカンスの前の週からパリに来て、バカンスの第一週の終わりまで、二週間過ごすらしい。

なぜ、私の週に。

そんな言葉を飲み込む。

もしかしたら、私の人生もいつ終わるか分からないではないか。

そんな言葉も飲み込む。

離婚していなかったら、いつまででもパピーを我が家に迎え入れ、バッタ達三人が一堂に会した場で楽しく過ごせたのではないか。時々寮から戻ってくる息子バッタとも、毎回会えるはずだったではないか。

これから、毎年、バッタ達が我が家に羽を休めに戻ってくる時、独り占めはできずに、パパと分かち合っていかねばならないのか。

オリビエに言った言葉は、実は本音のようであって、真実ではない。

後悔するんだよね。私たちは本当に子供の為を考えてきたかって。子どものことを思えば、離婚なんてしなかったよね。いや、自分のことを思えば、離婚なんてしなかったよね。

子を思う自分のことを思えば、離婚なんてしなかった。

昨夜の雨で積もった雪はすっかり解け、外では風が枯れ木をなぎ倒すかの様に荒れている。

風は止みそうにない。





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