2017年9月9日土曜日

散歩道






不思議なもので、10年以上も住んでいながら今頃になって庭の片隅に枇杷の大木があることに気が付くことがある。7月には山吹色のふっくらとした実をたわたにつけ、つややかな茶色の大きな種を幾つも宿した、甘酸っぱい果実を口にした時の驚きといったらどうだろう。

鬱蒼とした森の中を走り抜ける自転車コースも然り。息子バッタが夏の夕食後に、未だ明るい日差しの中を小一時間ぐらい走っていることは知っていた。一度一緒に行ってみると、いつもの山道をちょっと入り、鬱蒼とした森の中に幾つものピストがあり、好き勝手に選びながらも迷わずに、ちゃんと家路につける息子バッタの記憶力の良さというか、感の良さには舌を巻いた。それよりも何よりも、夜の帳が下りる前の夏の日、漸く静まりかけた暑さを身体にまとい、森の中を自転車で走る爽快さといったら。どうして今まで気づかなかったのだろうか。

近くの小川が流れる散歩道も然り。末娘バッタといつもの日曜の午後の散歩の時に、ちょっと足を延ばしてみるとどうだろう。ゴルフコースが大きく開けていて、大きなプール付きの緑の芝生が眩しい一軒家や貯水池、トマトやナスが賑やかな畑が続き、隣村の森に抜けている。イソップ物語に出てきそうな山葡萄、昔懐かしいグミの実(小学校の帰り道、季節になると口を真っ赤に寄り道したことを思い出す)、ブラックベリーが賑やかに彩ってくれている。嬉しい発見。

この5キロ程度の山道を、この夏帰省した長女バッタ、高校を卒業し全寮制のプレパに行く息子バッタ、そして高校2年に進学する末娘バッタ、このバッタ達とそれぞれ違う日に散歩する機会に恵まれた。

長女バッタとは葡萄を味見し、息子バッタとはブラックベリーを楽しみ、末娘バッタとは葡萄もブラックベリーも味わった。三人三様ながらブルーベリーを更に小さくした実を見つけた時の反応がそれぞれ違って面白かった。パピー(おじいちゃん)が食べられないって言っていたよ、とは長女バッタ。パピーが食べちゃいけないって言っていたよ、とは末娘バッタ。食べたたけど酸っぱくて美味しくないよ、とは息子バッタ。

自然が厳しいブルターニュの小さな島で、パピーと散歩しているバッタ達が目に浮かぶ。確かにあそこには自然のベリーがあちこちにあった。膝下のベリーは小動物が印を付けている可能性が高いから、食べないようにとバッタ達の父親に言われた記憶が甦る。彼は父親、つまりパピーから言われたのだろうし、経験論でもあったのだろう。こうして世代から世代に受け継がれるものかと、微笑ましい。

バッタ達のうち、既に2匹が飛び立っていった。もう彼らとは同じ屋根の下で生活を共にすることはないのかと思うと、愕然とする。我が身を振り返れば、16歳で一年間オーストラリアに行き、19歳で大学に行くために東京に出てからは、一度も実家で「生活」することはなかったし、それについて考えたこともなかった。バッタ達も、きっと、ママとの生活が終わったことに思いを馳せることさえしないのだろう。









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