2017年9月10日日曜日

終わりは新たな始まり







早朝のキッチンに足を入れる。窓の向こうは未だ薄暗い。緯度の高いこの地では秋の気配が一気に忍び込む。そして、どうやら外は雨模様。

こぽこぽと優しい音を立ててイタリアスタイルの直火式サイフォンが、ペルー産珈琲のふくよかな香りをキッチン中にもたらしてくれている。長女バッタが作って行ったクエッチのジャムをたっぷり入れて食べるヨーグルトが、このところ週末の朝の楽しみになっていた。

ヨーグルトを出そうと冷蔵庫を開けて、妙な違和感を覚える。外気との温度差が感じられない。夏はキーンとする程冷たくなっていて、目をしかめる程だったのだが、それ程気温が下がっているのだろうか。ありえない。冷蔵庫の奥にあるパネルに手を当てると、ちっとも冷たくない。しかし、電源が切れていないことは、庫内の灯りが付いていることで確認できていた。いつもの地すべりの様な音がしないことに漸く気が付く。

そうか。遂に動かなくなったのか。

冷蔵庫の中身の心配や、霜取りなど随分しておらず、冷凍庫の霜の処理などへの懸念はすぐには襲ってこなかった。それよりも、来るべき時がやって来たとの感慨が強い。

この冷蔵・冷凍庫は元の家主のものであった。システムキッチンだったことからも、オーブンも食器洗い機も全て残してくれていた。

10年以上も前になる、未だ元の家主が家主であった頃、バッタ達とその父親と5人で家を見学した時の思い出が甦る。

出来たらキッチンやお風呂場を改装して入居したかった。特にキッチンは家主が一生懸命考え抜いて、選び抜いた素材や設計であったが、落ち着いた茶色のウッド貴重のスタイルで、以前パリで改装した際のメタリックなダークアボガド色のトーンに変えたかったし、恐らく家の中でも一番長くいるであろう空間を、自分たちで作り上げたものにしたかった。せめて壁紙だけでも変えたかった。ここは、こうしたら、と私がバッタ達の父親に話を始めると、その場にいた家主のマダムと結婚して既にパリに住んでいる娘が大声で異論を唱え始めた。こんなに素敵で問題が一切ないキッチンに手を入れるのか、と。

その気持ちは痛い程分かる。遠い昔、パリの小さなアパートのキッチンとお風呂場を改装したが、四年後には引っ越しとなった。書類を取りにアパートの管理人のところに寄った際、新たに入った住人が全て取り壊し、オフホワイトの今でも手触りを覚えている、清水の舞台から飛び降りる思いで買ったトイレが取り外され、キッチンも大きな鏡も全て壊してしまった残骸を目の当たりにして、悲しさを通り越して憤る思いをしていた。今でも、あの時、捨ててあったトイレを持ってくれば良かったと後悔している程である。ただ、その後の引っ越しで、高さ3メートル以上のサロンのカーテンを作り、胸痛むからと次の引っ越しの際に全て持ってきたが、今ではこの家の地下室にそれこそ箪笥の肥やしとなって眠っている。カーテンバーも然り。あれが日の目を見ることはあるのだろうか。

話が逸れたが、あの時の親子も、せっかくの自分たちにとって最高のキッチンを壊すのか、との思いが強かったのだろう。

彼等の反応よりも、バッタの父親の反応の方が意外だった。これまでは、引っ越しをする度に自分たちで壁を塗り替えたり、それこそ、キッチンやお風呂場を改装してきた。ところが、今回に限っては特に何もしないでいいだろうという。確かに、あの時は仕事も尋常ではない程大変であったし、銀行ローンを考えると、できるだけ出費は最小限に抑えたいところであった。それでも、かなりがっかりしたことを覚えている。小さなキッチンにあるテーブルでは、いかにバッタ達が小さかったとは言え、家族5人が座れる場所はなかった。

まあ、そう感傷的になる話でもあるまい。実際に資金面ではぎりぎりだったし、その後取り敢えず小さなテーブルと椅子を買って5人仲良く座れることになったし、サロンには大きな伸縮式の木目調のテーブルを購入していた。二階の寝室は全てフローリングに変えたので、それもそれで出費ではあった。

いずれにせよ、あの時変えなかった元の家主の冷蔵・冷凍庫が遂に終わりを遂げてしまう。持ち主が変わって霜取りをしなくなったからだろうが、冷凍機能が非常に良くなく、バッタ達からは新しい冷凍庫の購入を時々せがまれていた。以前は一週間分の肉や魚を冷凍していた時期もあったので、矢張り手抜きメンテが要因だろう。ただ、どうしても未だ動いている冷凍・冷蔵庫をお釈迦にし、新たに購入することは憚られていた。バッタ達は最新モデルが如何に電力を消費しないか、何度か説明してくれていた。

5年前にはオーブンが動かなくなり、新しく購入している。今度は冷凍・冷蔵庫の番。こんなことなら、未だ息子バッタが住んでいる時に新しいものに替えてあげればよかったと、ちくりと胸が痛む。

全てのことには永遠はなく、寿命というものがあり、終わりがある。そして、その終わりは新たな始まりでもあるのだという、いかにも陳腐なことながら、それを身をもって体験することで、一層理解が深まっていく。こうして、暫くは冷蔵庫のない生活に。

それも悪くはないだろう。
外は冷えた空気が秋を告げている。さあ、珈琲を淹れようか。





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