2017年7月29日土曜日

マチュピチュを目指して







標高の高さからだろうか、乾季なので空気が乾燥しているからだろうか、太陽の日差しが強い。日本の天照大神のおわす御社は鬱蒼とした木立の中にひっそりと佇んでいるイメージだが、この地でインカ帝国を起こしたケチュア族が崇めた太陽の神、インティは頭上から存在感を持って民を照り付けている。そして、ケチュア族が今でもその信仰を続ける大地の母、パチャママは、至る所でその存在感を放っている。






夜中に到着したリマから、翌朝早朝の便でクスコ入りした我々は、ホテルに大きな荷物を預けて午後のペルーレールでオリャンタイタンボ駅からマチュピチュ遺跡のあるアグアスカリエンテス村まで行く予定であった。午後はゆっくりと温泉を楽しみ、翌日の一日400人限定とされるワイナピチュ登山に備えるはずであった。


ところが、3週間も続く教員によるストライキが山場を迎え、インカ帝国の首都、クスコからオリャンタイタンボ駅への幹線道路が通行止めになっていると教えられる。夕方には解除されるだろうから、翌日早朝の電車でマチュピチュまで行くしかないと言われる。オリャンタイタンボ駅までクスコから車で2時間程度。始発の電車は5時。クスコで一泊しても、夜中の2時半には出発をしなければならない計算となる。さすがにそれはないだろう。それならむしろ、オリャンタイタンボ駅まで夜のうちに行ってしまい、そこで一泊し、翌朝、それでも早い4時起きでマチュピチュに向かった方が賢明ではないか。






アグアスカリエンテス村で予約を入れていたホテルに、ストの影響でやむを得ず予約キャンセルをする旨伝え、旅行会社にオリャンタイタンボ駅に適当な宿を取ってもらう。


  



夕方からではないとクスコを出発できないのかと危ぶんでいたが、旅行会社が手配してくれた車は午後3時にピックアップしてくれる。一体、本当にストライキなどしていたのか半信半疑となるが、クスコから目的地までのマイクロバスでのドライブは、クスコがいかに急斜面の地に作られているかを如実に知ることが出来、大いに楽しめた。そして、この田舎道や山道を突っ走るドライブが夜中ではなかったことに、感謝。また、標高が高い山岳地帯を上り詰めた先の景観が余りに息を飲むもので、観光バスではなかったものの、一瞬で良いから写真撮影の為にバスを止めてもらうようにお願いした。







勇んで外に出た我々だったが、同じバスに乗っていた旅行者の男性は蒼白で辛そうな顔をしている。どうやら高山病の影響らしい。標高の高い場所で休憩などと呑気なことを頼んだことをお詫びすると、丁度一息入れたかったので、と、これまた辛そうに答える。若い男性だったが、高山病の恐ろしさを垣間見た思いがした。


  



遥か遠くには雪を抱いた山の峰が光って見える。今立っている地でさえ、標高が4000mはあるだろう。標高6000m級の山を従えるアンデス山脈の壮大さに息を飲む。





オリャンタイタンボに近づくと夕日が山々の斜面をオレンジ色に照らしていた。インカ帝国の砦の遺跡が夕闇に隠れ始めていた。




近間のレストランで早目の夕食をとる。楽しみにしていたセビーチェをメニューに見つけて、早速オーダー。母を始め、今回の旅行に同行している息子バッタと末娘バッタはアルパカのステーキ。凍ったセビーチェは味こそ悪くないが、夜の帳が下りたオリャンタイタンボの村では急激に気温が下がってきており、臓腑が寒さに凍えてしまう。



   



そそくさと戻ったホテルでは、母のリクエストで熱湯ポットとパネルヒーターをゲット。各部屋にはついていないが、リクエストをすれば無料で支給してくれる。決してサービスが悪いわけではない。ただ、お願いしないと出てこないシステム。学生時代のキャンプ施設を思わせる宿泊施設で、満天の星空の下、重い毛布の中に潜り込む。






数年前から母から誘われていたマチュピチュ遺跡への旅。「マチュピチュに行くなら足腰がしっかりしている時じゃないと。ワイナピチュ登山をし、山頂からマチュピチュ遺跡を俯瞰しないと。更にはマチュピチュ山も制覇したい。」当初、母のリクエストの意味が分からなかった。マチュピチュは遺跡であって、山ではないのではないか。遺跡は確かに急斜面にあるようだか、そこで登山もするのか。マチュピチュに対する知識など、中学生の社会の授業の域を出ていなかった。入山には人数制限があり、一年前から予約が必要との情報を母が入手。夏休みの日程を確実に押さえなければ、とても計画できない、さてどうしたものかと思案したのが今年の2月。「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」そう言われもしていた。何とか獲得したワイナピチュ登山の券が、日程上ペルー入りした二日目なので、高山病やら旅の疲れによる影響が心配されなくもなく、何故にこのようなスケジュールにしたのかと最後まで指摘を受けながらも、兎に角、やってみよう、と元気いっぱいの笑顔で母は眠りについていた。


こうしてオリャンタイタンボの夜は静かに更けて行った。










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