2017年6月29日木曜日

朝の一杯








オフィスに置いておいた烏龍茶の葉がなくなって数日。我が家の食品庫に寝ていた袋に詰まったお茶を持参する。お茶の缶に移す時、茶葉がしっかりとしていて、長いことに、やや違和感を覚える。ただ、これまで飲んでいたお茶の葉は一枚が丸く粒になっていて、最高級と聞いていた。なので、今回もまた特殊なお茶なのに違いないと、あまり深く考えずに数枚、いや、数本をポットに入れる。

熱湯を入れて数分。一口飲んでみると、まずくはないが、お茶というよりも微妙な味わいがする。それでも、既に仕事を始めていたし、取り掛かっていることに熱中していたので、それ以上考えずに、淡々とお茶を飲みながら仕事を継続していた。

ふと、ポットのお茶がなくなると、また新たに熱湯を継ぎ足しても美味しいのが烏龍茶の特徴。二回目の方が美味しいというから、こんなうれしいことはない。さて、熱湯を継ぎ足そうかとポットを覗いてぎょっとする。茶葉が細長く葉の形をすっかりと見せているわけではない。葉の形もなく、一本の太い茎が何本もくったりと積まれている。

その時、漸く、昨年母が日本からお土産と手渡してくれた干しぜんまいの袋を思い出す。
まさか!
一本手にして味わってみる。紛れもないぜんまい。

オフィスにあったお醤油をちょっと掛けて、朝から山菜を楽しむ。
干したぜんまいは、一度火を通さなくてもいいのかしらと思いながらも、久々にのんびりとした朝の時間となる。





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2017年6月25日日曜日

カルダモンの香り








ある朝、時間を確認しようと携帯を見るとユーチューブでお勧めの番組が流れ始める。恐らく、適当に指が勝手に指示してしまったのだろう。普通ならすぐに消すところ、料理の手順であったことから、食い入るように見入ってしまう。

質素なキッチンには素材しか置いていない。紹介者は一言も発せず、テロップで簡単に材料が示される。英語と日本語。英語の番組に和訳を入れたのだろうか。ひよこ豆の袋を切って、水につけるところから場面は始まる。

ガラス瓶に入った沢山の香辛料。その中から、干した赤唐辛子を取り出し、数個枝から切り落とす。丁寧に種をとったものを小さなブレンダーに入れる。

それから、クローブを数個。小さなコリアンダーの粒を幾つか。カルダモンを3、4粒。そして、塩、粒コショウ。フェヌグリークの粒を小さじ1、パプリカをたっぷりと。これを撹拌。その後、ナツメグを半分ぐらい削り入れる。

香辛料の香りが、携帯の小さな画面を通して伝わってくる。

中学の頃は、シルクロードの意味が本当に分からなかった。コロンブスやマゼランが新世界を発見するに至った背景を。

今なら、分かる。鮮やかな色彩、香り、そして辛味。素材の持つ旨味を更に引き立ててくれる。ナツメグの実を削り始めると、高貴さがぱっと香り立つ。カルダモンの実を細かく砕くと、爽やかな香りが発散される。唐辛子の辛味は、僅かであっても、効果は抜群。辛さは真っ先に舌を襲うが、その後別の香りや味わいが続き、一品がもたらす味に深みを出してくれる。

さて、ひよこ豆を圧力鍋で5分程で炊き上げている間に、向日葵の種をフライパンで香ばしく煎る。ブレンダーで細かい粉にし、そこに柔らかくなったひよこ豆を入れ、レモンのゼストを削り入れる。絞り汁も入れる。ちゃんと茶こしを使っているところが憎い。青唐辛子の酢漬けを一つ入れ、塩、先程別途作った香辛料をちょっぴり、オリーブオイル、刻みニンニクを二片入れ、全てを撹拌。必要あれば水を入れて柔らかさを調整。そして、フムスの出来上がり!

勿論、直ぐに実行。

我が家にはフェヌグリークや青唐辛子の酢漬けなんてない。向日葵の種もカボチャの種を使おう。我が家の月桂樹も使おうではないか。

コリアンダーとカルダモンの粒を月桂樹と一緒に細かくしていると、爽やかで快活なパワーあふれる香りが満ちてくる。あまりの幸せ感に眩暈を覚える程。

自家製フムスの味に思わず微笑む。どうも病み付きになりそう。





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2017年6月24日土曜日

薔薇の棘








太陽の恵みによって、我が家の庭は今年も薔薇が咲き誇っている。友人宅に呼ばれると、庭に出てブーケを作り、それを持って行く贅沢さ。濃厚な緑の葉の月桂樹は純白の薔薇に映える。可憐なピンクの薔薇も愛らしい。

先週の土曜も、近所の友人に呼ばれて、薔薇のブーケを作って持って行った。どうやらその時に薔薇の棘が刺さったらしい。ボールペンを持つと右手の人差し指が痛くて、きちんと握れないことに気が付いた。良く見ると確かに小さな細い茶色い筋が見える。取ろうとしたが何せ右手の指に刺さった棘。左手で取るしかない。上手くいかないので、これぐらい小さい棘なら、放って置いても大丈夫だろうとそのままにしていた。

ところが、金曜の夜になっても一向に状況は変わらない。相変わらずボールペンを持つと痛くてきちんと握れない。最近はキーボードを叩くことが多く、滅多にペンは握らないが、さすがに何とかしないと、と思い始める。

いつもなら、末娘バッタにお願いするところだが、彼女は日本。息子バッタを頼るしかあるまい。嫌だよ、と断られるかと思ったが、意外にあっさりと見てくれて拍子抜けする。短く切って何の役にも立たない爪をどうにか使って抜こうとしてくれる。しかし、日が経っているからか、棘は一向に出てこない。爪切りや刺抜きを使うが、ちっとも効果なし。そこで、針を使って皮をむく作戦とする。消毒をしないと、とオキシドールで針を消毒。一体効果の程は分からないが、ここは任せるしかない。

数分間奮闘の結果、漸く茶色い細い筋が外に出てくる。そこを刺抜きで引き抜く。全部抜けたのか、残っているのか分かりにくいが、指を合わせても、もう前の様な痛さはなくなっていた。

あんな小さくて細い筋のような棘でも、しつこく痛みをもたらすとは驚きである。しかも、数日たっても、棘がそこに残っている限りにおいて、痛みはいつまでもついてくる。

息子バッタに棘を抜いてもらいながら、彼もこの夏が終われば、この家を出て行くのだなとの思いが過り、何かと感慨深い一時となる。







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2017年6月23日金曜日

トウモロコシのお人形







一人で一足先にバカンスに入り、日本にいる末娘バッタから、家族全員のグループメッセージに写真がポストされる。

黄緑色でふっくらとした、いかにももぎたて感満載のトウモロコシ。
コメントに一言、「12本!」

さすが田舎は羨ましい。
こちらではトウモロコシなんて滅多に口にできない。どうも家畜の飼料としか見なされていないらしく、日本にあるインスタントのコーンスープも、こちらでは売っていない。日本や台湾に遊びに行った帰りに、必ず買って帰る食料品の一つがコーンスープ。ましてや、ひげが立派にふっさりとついている皮をまとった生のトウモロコシなどお目に掛かることは滅多にない。夏に熱々に茹で上がったところに塩をぱっと振って、ぷつんと口の中で弾けさせながら頬張るトウモロコシの美味しさと言ったら!

と、ロッテルダムにいる長女バッタが 目をハートマークにさせながら、「お人形作って写真送ってえ」とリクエスト。

末娘バッタが、「お人形?」と聞いている。
「トウモロコシの!」と、長女バッタ。

ふっと胸が熱くなる。
きっと幼いバッタ達が夏日本に遊びに行っている間、母が彼らにトウモロコシ人形を作ってあげたに違いない。末娘バッタは、記憶に残っていないぐらい未だ幼く、長女バッタにとっては、大好きなトウモロコシと一緒に思い出す程、心に残る思い出だったのに違いない。

幼いバッタ達を日本に連れて行っては、母にお願いをして面倒を見てもらっていた記憶がよみがえる。体験入学といっては、地元の幼稚園、保育園にお世話になっていた。バッタ達は小学校、そして、中学まで喜んで通っていた。

中学一年の時に、憧れの部活に入り、大好きなサッカーをするはずだった息子バッタが、どうして先輩だからといって、一緒に準備や掃除もしないで偉そうにするのかが分からない、とショックを受け、翌年からは体験入学に行かなくなってしまっていた。末娘バッタだけは、一人でも喜んで小学校に通っていたが、何が理由だったのか今では思い出せないが、中学時代は一度も日本で夏を過ごすことがなかった。


末娘バッタは日本の高校に通うことを夢見ていた。一時は一年間の留学をしたいと考えていたほど。今年の夏、日本の友達にお願いをして、彼女の通っている高校に体験入学をさせていただいた。流石に義務教育課程ではないからか、期間も二日のみ。体育、部活、全て見学。制服も同校の生徒ではないから、着用不可。なんとも、いやはや。しかし、本人は友達と一緒に通えたこともあってか、とても楽しかったらしい。受け入れていただけるだけでも感謝しなければなるまい。また、その間、泊めていただき、毎日お弁当を作ってくださった、お友達のお母様にも感謝の気持ちでいっぱいである。

そして、東京の俄か高校生は、田舎に帰り、今度は祖母の経営する会社で研修中。どうやら毎朝制服を着て通っているらしい。週末に電話を入れて様子を聞いてみないことには詳細は分からない。何せ、送ってくるメッセージはトウモロコシ、サンマ、インゲン、トマト、お豆腐、といった食べ物中心なのだから。

今年は一人で祖母のもとにいる末娘バッタ。トウモロコシ人形を作ってもらうには、もう大きくなってしまっているだろう。彼女のことだから、自分でネットで検索し、作っているかもしれない。

明日、朝、電話を入れよう。トウモロコシのような、ぷっつりとした元気の良い声が返ってくるだろう。





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2017年6月20日火曜日

隠されたメッセージ








お久しぶりです、とメールが舞い込む。

差出人は、二年前に持ち家も売って、家族で異国の地に移住していった友人の年若い奥様。

慣れない異国の地での生活が最初は大変だったこと、探したけれど仕事がなくて、今は語学学校に通っていること、それでも子供達はすっかり現地の学校に慣れて楽しんでいること、好きなピアノを自己流だが続けていること、旦那は相変わらず忙しくても充実した生活を送っていること、などなど。

詳細に渡り、とても丁寧に近況が綴られている。彼女に会ったことは、恐らく数回程度。二度ほどご家庭に夕食に呼ばれている。けれども、いつも大勢だし、直接の知り合いは旦那の方なので、特にこれといって話すことはなかった。

いや、そんなことはないか。記憶を掘り起こしてみれば、女性同士の集まりで何度も会っているし、子供の教育のことでも、何度もメールの交換をしている。いやはや、記憶とは全く自分に都合が良いようにできているらしい。

ただ、引っ越していく前の二年間ぐらいは、ほとんど会う機会もなかったので、やはり四年ぶりと言ってもいいか。

とにかく、その彼女からのメールに、旦那の近況を伝える場所で、今彼がパリに出張に行っていること、その後、東欧に出張し、戻ってきたら、息子のサッカーの遠征試合に家族一緒に行くこと、が書いてあった。

そうか。

もしかしたら、彼女は全く気にしないで、本当に純粋に近況を伝えたかったのかもしれない。しかし、穿った見方をすれば、牽制とはとれまいか。

ただ、たとえそれが牽制の意味合いを持ったメッセージだとしても、実は彼女が思ってもいない、別の効果をもたらしたことは、彼女自身気が付かなかっただろう。

それは、他ならぬ彼からのメッセージ。

彼の真剣な思いが伝わってきて、真面目な彼らしいと微笑んでしまう。

男女の友情とは、時に危うい。だから、貴重で尊い。






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2017年6月19日月曜日

初夏を迎え








早朝、小鳥たちのさえずりを耳にし、緑の小径を歩みながら、ふと心に思いが過る。そして、思い始めたら、今までのことが嘘のように、無性に恋しくなる。書く、という行為が。

時間がないのではなく、時間を作ってこなかった。

それが突然、書こう、と思い立つ。

この夏、20年前ぶりに日本に戻るという友人から、一袋ずっしりと単行本をもらっていた。その中に安倍公房の「密会」と「砂の女」を見つけ、この週末、貪るように読んだ。しかし、さすがにだから、でもないだろう。

青空を仰ぎながら、にんまりとする。






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