2016年12月14日水曜日

オフィスにて








いつものように遅いお昼を買いに外に出て、オフィスに戻ってみると、机の上に真っ白な花をつけた植木が。

もう。
何かあると私の担当なのだから、と溜息。まあ、何でも屋だから、ねえ。

一体、これ、どうしたの?
周囲に聞いてみる。

え?
誕生日ぃ?

なんと、同僚たちからの誕生祝のプレゼント。いやあ、まさか。驚いた。
同僚といっても、20代の子達。
本当に驚いて、声が出ない。

ちょっと、みんな、一体どうしちゃったの?

特に誕生日にプレゼントを贈る習慣もなく、戸惑うばかり。

一人が、私の席の横に置いてある、カラマンシーの鉢を指差す。
夏に種から植えたが、漸く双葉から本葉が出てきたばかり。
どうやら、それを大切にする私の姿が新鮮で、皆で花をプレゼント、と思ってくれたらしい。

ありがとう。
本当にありがとう。







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2016年12月9日金曜日

マドレーヌの香りを追って







マドレーヌの香りで幼い頃の記憶が突然呼び覚まされるプルーストの小説。

そんな高尚なイメージとは裏腹に、近所のスーパーではマドレーヌ20個入り特売大パックが売られている。

パリ郊外の学生寮で寝泊まりしていた頃。人気のないキャンパスに、ぽつりとあった旧式型の自動販売機。そこの定番の一つが二個入りのマドレーヌ。朝から学生達とおしゃべりをする気力もなく、かと言って一人でぽつねんと食べることもできずにいた日など、空腹を満たすために自販機のお世話になったもの。

だからマドレーヌに対する思いは、魅力にあふれたものでは決してない。所謂プルースト現象か。

これまで沢山の洋菓子、和菓子に挑戦してきたが、今まで一度も作ったことがなかった。心の奥底から突き上げるような欲求を感じてこなかったのである。

ところが、先日全く違った場所で、全く違ったバックグラウンドの二人によるマドレーヌのレシピとそれを作るまでのストーリーを読むに至り、人生で大切な何かを見落としているのでは、という気に突如なってしまう。

そうなると、何かに取り憑かれたかのように、あらゆるレシピを集め、読み比べをし、幾つか書き上げ頭の中でシュミレーションをし始める。材料を揃え、キッチンで卵を割るまでに、そう時間はかからなかった。

今回大いに参考にしたレシピは全卵を使うもの。湯煎しながらもったりと作る。レモンの皮を入れて風味をつけるが、ここで欲張り心が出てしまい、お抹茶を入れて緑の鮮やかさを演出しようと試みる。マドレーヌの型が近所のスーパーには置いてなかったので、カップケーキの型を使うことにする。予想以上に生地が重たく、四苦八苦。

ふっくらと上品に仕上がったようだが、やはりカップ型ではマドレーヌではない。

ここは型から入るフランス式に倣わねば。週末にマドレーヌ型を仕入れよう。


マドレーヌの香りを追う旅は、未だ始まったばかり。





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2016年12月6日火曜日

冬の夕日







息子バッタがバイオリンのグループレッスンをやめてから、末娘バッタは友達と乗り合わせて行くので、土曜は午後の慌ただしさから解放されている。
金曜夜の個人レッスンは続けているが、それも今年いっぱい。

高三なので、これまで以上に練習ができないから、オーケストラやコンチェルトなど、皆に迷惑をかけることになることはできない、というのが、彼がグループレッスンをやめた理由。

今年のノエルのコンサートの午後の部に、彼の姿はなかった。彼の音は響いてこなかった。末娘バッタの堂々とした姿を目で追いながら、何とも寂しく思ってしまう。

息子バッタは、バイオリンの恩師から彼女の9歳になる娘のたっての願いだから一緒に弾いてくれと声を掛けられ、午前の部でビバルディの二人のためのバイオリンコンチェルトを弾いていた。演奏後、晴れ渡った嬉しそうな笑顔で戻ってきた息子バッタを見て、彼がグループレッスンを止めざるを得なかった理由は、本当に彼が言う通りだったのだな、と改めて思ってしまう。

バイオリンが好きで、ここまで続けてきたことを確信する。
どこに進学しようとも、どんな将来を歩もうとも、今後の彼の人生で音楽は彼にとって大切な一部になるだろう。

冬枯れの木立に夕日。





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