2016年8月31日水曜日

青く透き通った空








日本では仕事関係でFBやLINEを使うことが多い。国によって嗜好が違い、流行りがあるらしく、気が付くと、日本向け、中国向け、フランス向けとFB、LINE、WeChat、WhatsApp、Skypeと様々なアカウントを持つに至る。

正直なところ、公私混同を避けたいが、FBで仕事関係者から友達申請が来ると断れない。悪気ない友人による写真での名指し投稿を恨めしく思う時も少なくない。息子バッタからは、ママが逐一僕の行動を知るのって変だよね、と友達申請を断られていた。逆に末娘バッタからは、彼女がアカウントを作った時に、すぐに申請が来ていた。長女バッタは、確か私がアカウント作った時に、友達申請を出し、受け入れられていた。ノンポリと思われる長女バッタのこと、来るものは拒まず、の精神なのだろう。

ひっそりとしておこう、と思っても、心震える写真を撮影した際には、その感動をシェアしたくなる。メッセージもなく、写真だけをFBにアップ。そんなママの様子を見兼ねてか、長女バッタからInstagramを紹介される。ママにぴったりだよ、と。

Instagramでは、ハンドルネーム使用者が多いらしく、LikeしてもFBのように金魚の糞のようについてまわらないので、いかにもすっきりとしている。そのうち、長女バッタと末娘バッタがフォロワーとなり、私も彼女たちのフォロワーとなった。滅多に投稿されないが、彼女たちのみずみずしい感性に触れんばかりの写真を帰宅途中の電車の中で発見することは、実に楽しい。

一人でバイオリンの講習会に行っていた末娘バッタによる投稿は、嘗てない程に感動してしまった。

講習会が開かれているアルプス山麓の写真に、「The notes are on the paper but the music is inside you」のメッセージ。

楽譜には音符が並んでいるが、音楽は君たちの心にある。

講習会のバイオリンの教師の言葉であろうか。彼女の心を貫いた言葉。それを書き留めようとした彼女。

末娘バッタの成長を思う。

高校生の頃、心の琴線に触れる言葉を書き出して壁に貼っていたことを思い出す。
ベベと思っていた末娘バッタも、この9月から高校生。

どこまでも青く透き通った空を見上げる。






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2016年8月28日日曜日

期せぬ蝙蝠の訪れ







日中の暑さをどうしても取り込む二階の寝室の窓を全開にし、一回のコンピューター室で一人PCに向かっていた夜。

パパに呼ばれたからと息子バッタはパリ。

暑いからか、その気にならないからか、ヨーグルトのみの夕食を終え、真っ暗な我が家の中で明かりがある部屋は、私のいるコンピューター室。

近所は未だバカンスから帰っていないのか、夜は静けさをしょって這い寄ってくる。

と、ばさばさばさ。何だか聞き覚えのある音がしたかと思うと、黒い影がさぁーっとコンピューター室に入ってくる。

行き場を失って、気が狂ったかのように、ばさばさと音を立てながら、その黒い影は天井を旋回し、急降下をしたかと思うと、急上昇をし、次の行動がつかめない。

血の気がなくなる。
まさか。


どうしてだろう。
もう7年以上も前になろうか。あの日も暑い日で、窓を開けていた。
寝室で本を読んでいたところ、ランプに羽虫にしては音が大きい物体がぶつかってくる。

鳥かしら。

訝し気に目をやり、声こそ出なかったが、飛び上がってしまう。

蝙蝠。

動物園で見たことのある、洞窟にいる、おなじみの蝙蝠。

蝙蝠君には悪いが、ドラキュラの仲間であり、悪者の使者とのイメージしかない。

幼い時に見たテレビ番組、アニメのバットマンの主題歌の終わりに、「蝙蝠だけは知っている。ワッハハハハァー!」という箇所があった。喜んで歌っていたが、正直怖かった。
本当に苦手。

それなのに、寝室に訪れるなんて。

あの時は、蝙蝠がぽたりと床にへばってしまい、その上にプラスチックの箱をのせ、うまく引きずって蓋をし、外に逃がしてやった。

見まいと思いながらも確認した蝙蝠の顔。

人間の顔をしていて、本当に怖かった。


それがどうして、また訪れたのか。
独りだから、心配してくれたのか。

暑くて調子が狂って、煙突から降りてきたのだろうか。それとも、全開していた寝室の窓からか。

今回の蝙蝠は床にぽとりと落ちる様子もなく、飛び交うばかりなので、取り敢えずは一人で部屋にいてもらうことにする。

暑いだけでもうんざりなのに、夜を蝙蝠捕獲に使いたくはない。

ああ、蝙蝠君よ。
私は独りで大丈夫だから。安心してね。
明日には窓を開けておくから。

ひっそりと飛び交う音がやんだコンピューター室のドアに向かって呟く。







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2016年8月25日木曜日

16歳の夏








今年も一人でバイオリンの研修に参加すべく出掛けて行った末娘バッタ。一人残った息子バッタは、何を思ったのか毎日庭の木の伐採に勤しんでいる。

初夏になると、毎年クリスマスツリーのように、高い杉の木に絡まった藤の花が見事だが、野生の藤ほど手に負えないものはない。しなる枝は太くがっしりと絡みつきながら、どこにでも這っていく。その藤の根元など、あるようでない。いや、枝全てが根のように張り巡らされ、そこから新たな枝を伸ばし、とにかく繁殖力は凄まじい。

その藤を相手に奮闘。

藤の枝が絡みついていた紫色の花をつけるリラも一緒にばっさりとしてしまった。

一日を終えて家に戻ると、ガレージの前が伐採した木、枝、葉の山。翌日にはこれが細かく裁断され、袋に詰め込まれていた。

彼が自主的に家の事をしてくれたのは、今年に入ってもう何回目になるだろう。しかし、庭の木の伐採は初めて。頼もしくもあり、嬉しくもある。

夜、一緒に携帯で撮影した写真を見ていると、初夏のコンサートの写真が出てくる。

バイオリンの演奏は好きなのに、人前で弾くことをとにかく嫌がる息子バッタ。バッハのバイオリン協奏曲第一番、イ短調の第二楽章。彼が選んだ曲。テンポの良い第三楽章を選ぶのかと思っていたが、表現が難しい第二楽章を選ぶとは。

毎日練習を重ね、当日、苦悩の表情で登場。間奏の間も、眉間に皺を寄せ、辛そうにしている。

演奏が終わるや、アルトやチェロで伴奏をしてくれた仲間達に笑顔も見せず、観客に挨拶すら満足にせず、拍手喝采の中、去って行く。その後ろ姿から、泣かんばかりであることが伝わってくる。

完璧な演奏を求めたことは、親として一度もない。彼の世界に響く音楽を奏でることができずに、苦しんでいるのだろうか。楽しく演奏する時期は過ぎてしまったのか。

あの日、日本から母が来ていた。腫れ物を扱うかの私に見兼ねてか、孫である息子バッタにバッサリ。観衆に挨拶もろくにできず、仲間に感謝の気持ちも言えず、ましてや、恩師にお礼もせずに、あの態度はなんなのだ、と。勝手を知っている日本であったら、首根っこ掴まえて舞台から引きずり下ろすところだった。情けなかった、と。

恩師も含め、フランスの仲間達の反応は全く違っていた。既に息子バッタの性格を知っており、彼の演奏を喜び、楽しんでくれていた。恩師に至っては、それだけ演奏をするに難しいレベルにあるのだから、と、彼を擁護する。

5歳の時から、我が子のようにかわいがってくれている仲間達。息子バッタや私に甘えはなかったか。確かに、彼に強く言うことで、彼が弓を置くことが、私には怖くてできなかった。彼から音楽を奪うような結果になることだけは避けたかった。

それでも、母の言葉は当然のことであり、深く、真摯に受け止めるべき内容。母の言葉に涙した息子バッタ。言葉少ない彼のこと、その涙が意味するところは、実は分からなかった。祖母から厳しい言葉を受けての涙か、俺はなんと情けない男だと思っての涙か。皆に申し訳ないと思っての涙なのか。

それから一月以上が経ており、一緒に初めてゆったりと写真を見たことになる。

あの時、マミー(フランス語でおばあちゃん)は厳しく言っていたけど、ちゃんと皆と一緒にいい音楽を奏でていたよ、と、そんな言葉が口をついて出ていた。

するとどうだろう。

「いや、マミーが言いたいこと、良く分かったよ。マミーは間違っていない。」
そう言うではないか。

そして、バカンス中にテレビで見たオリンピックのことを話し出す。あんな晴れ舞台なのに、ちょっとしたミスをしただけで、多くの応援をも顧みず、不機嫌になり、泣き叫ぶ姿をたくさん目にし、マミーが言っていたことは、これなんだ、と思ったと言う。

悟ったのか。

僕のミスはちょっとじゃなくて、本当にひどいものだけどね、と付け加えながら。

でもね、問題は分かったけど、自分の演奏にだけ集中してしまうから、演奏態度を改めることができるか分からないよ。

自分の非を認め、自分の弱さを自覚する。

なんか、大きくなったな。身体だけじゃなく。
何も言わず、その大きな肩をぱんぱんと叩く。彼の次の演奏が楽しみになる。




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2016年8月21日日曜日

爽やかなグリーンマンゴジュースで乾杯








ブルターニュの夏のバカンスから一人でフェリーと電車で戻ってきたかと思うと、翌日にはスーツケース二個を押しながら北駅から新たに旅立っていく。

大人になるとは、こういうことなのか。
独り立ち。

余りに厳しく叱ったからだろう。後姿のパジャマの裾が震えていて、はっとしたことが昨日のように思い出せる。彼女が一年生か二年生の頃。ママとパパが勝手に本人によかろうと選んだ学校で出る日本語の宿題。ママが仕事で家にいないのだから、日本語とは全く無縁のフランスで、一人で日本語の宿題ができるはずがない。それなのに、あの夜は随分と叱ってしまっていた。

あれからパパがいなくなり、私に心の余裕が更になくなると、もう子供の勉強など見てやることもできなくなっていた。元気でさえいてくれればいい。それが一番。そう本気で強く願っていた。

そして、本当にありがたいことに、バッタ達は三人とも元気で、明るい子達に育った。ただ、学年が上になると、「元気でさえあれば」と言っていたことを後悔し、やはり将来の選択肢を広げるためには、勉学にも力を入れねばならなかったと思ったもの。フランスの学校は日本のように競争社会ではないように一見思われるが、実は水面下で選抜はしたたかに行われている。そんなことにも気が付かずに、生きることに必死だった日々。

大好きなダンスは、ママが送り迎えしてあげられないので、お友達の家族に随分お世話になった。甘えることを当たり前と思ってしまっていた時期。そのお友達から、車で送迎してあげているんだから、おやつぐらい持ってくるのが当然よ、あなたのママは仕事ばかりしてお金をかせぐことしか考えないのよね、と言われていたことを他の方から聞いて仰天したこと。だからスーパーで、遠慮がちに、ビスケットを買って欲しいとねだったのか、と愕然とする。ママを守るためだったのか、或いは、そんなこと言えなかったのか、長女バッタは今でもあの時のことを語らないし、私も敢えて聞いていない。

それからは、自分でバスや徒歩で通ってもらうことをお稽古の条件にする。息子バッタも、末娘バッタも。

末娘バッタが確か小学三年の時に、バスに乗り間違えて、終点で泣いてしまったらしい。運転手さんが良い人で、君が泣くとボクも泣くよ、と言ってなぐさめ、警察を呼んでくれた。そして、その警察も良い人で、親を叱る前に、泣いている末娘バッタをダンスの教室まで連れて行ってくれた。背の高い二人の警察官に挟まれ、末娘バッタは小さな体をもっと小さくして歩いたという。あの時も、ママに電話がないかって心配した、と言っていたっけ。


親として子供達を守る以上に、子供達から守られていたのか。

中国での一年間でママに会いと思ったことが二回あったよ。一回目はイギリスの大学から不合格通知を受けとった時、二回目は風邪がひどくて起き上がることができなかった時。

二回しかなかったのか。いや、二回もあって光栄なのか。しかし、なんと逞しくなったのか。


到着した当日は、学校の寮が未だ開いていないので、ホテルに一泊するらしい。ホテルの予約をネットでしていた長女バッタ。自分のクレジットカードの確認の電話番号登録ができていないからと、ちゃっかりと私のクレジットカードを使ってよいかと聞いてくる。頭金10ユーロ。ノーショーなら、全額払うのだろうか。


夕食のリクエストはカレーライス。確か中国に行く時も、カレーライスをリクエストされたっけ。嬉しいような、はぐらかされたような。カレーライスなんて、ちっともママの腕を振るう料理ではない。まあ、いいか。


それよりも、フィリピンからこっそりとスーツケースに入れて持ってきたグリーンマンゴでフレッシュジュースを作ってあげよう。カラマンシーもたっぷりと入れて。

小さめの5個すべてをミキサーに入れる。カラマンシーも種を入れないように潰してオレンジの汁を入れる。濃厚で綺麗な黄金のドリンクができあがる。

鮮やかな色合いに心躍り、一口含めば、爽やかな甘酸っぱさが軽やかに口中に広がる。

長女バッタの船出に、ぴったりじゃあないか。

さあ、乾杯。
元気でね。これからも自分の手で新しい道を切り拓いていくんだよ。
いつだって応援しているから。

君の歩く道に幸多かれ!










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2016年8月19日金曜日

謎は魅力







フィリピンの謎


『多くの国民が英語を話すだけでなく、非常に聞き取りやすい綺麗な発音。』

ボホール島からマニラに帰る機内で、早口でまくしたてる若者英語が耳に入る。声のトーンからも、英語圏からの駐在員の裕福な家庭の子弟に違いないと勝手に思い込んでいた。マニラに到着し、席を離れる際、件の若者を目にして唖然。ごくごく普通の現地の若者達。

ボホールのホテルのスタッフの英語は、やや訛りがあったか。いや、非常に聞き取りやすい綺麗な発音だったじゃないか。

高校時代の卒業旅行で京都タワーを見学した時を思い出す。どういう経緯かはすっかり忘れてしまったが、インドからの家族と知り合い、息子さんから英語が上手だね、と褒められる。あら、あなたの英語も素晴らしい、と応答したところ、非常に不快な顔をされてしまった。

そりゃあそうだろう。彼にしてみたら、インディアンイングリッシュなれど、英語は母国語。日本に家族で遊びにくる程の家庭なら、家庭内での会話も英語であろう。今なら分かるが、高2の田舎娘にはインド人はヒンディーを話すのであって、英語は努力の結果、としか思えなかったのである。

さて、英国の植民地であったインドでは、英語が公用語の一つであるが、非常に訛りがあり、高等教育を受けたインテリであってもインディアンイングリッシュ。方や、米国の植民地であったフィリピンでは、英語が公用語の一つであり、訛りあっても非常に聞き取りやすい。

この違いは何なのだろうか。映画、小説、などヒンディー語のものは星の数ほどありそうだが、タガログ語ではどうなのだろうか。民衆の娯楽、文化の広がりに答えが隠されている気がしてならない。




『他の東南アジア諸国と違い、味付けが辛くない。』


その昔、胡椒を求めてコロンブスは海を渡ったのでないか。いや、紀元前一世紀には、既に海、陸のシルクロードを経て、インドからヨーロッパに香辛料が流入している。胡椒、クローブ、シナモン。一方、唐辛子は今でこそ世界各国で使われているが、原産地は中南米。コロンブスがスペインに最初の唐辛子を持ち帰ったとか。インドに伝来したのは16世紀になってから。日本へはポルトガル宣教師からもたらされたとの記録がある。朝鮮には17世紀に日本から紹介されたとあり、韓国料理には今では欠かせない唐辛子の歴史が実は新しいことを思うと興味深い。




さて、ではどうしてフィリピンは素通りされてしまったのか。いや、胡椒も唐辛子もあるには違いない。が、全てに唐辛子や胡椒がたっぷりのアジア諸国に比べ、驚くほどに、香辛料が使われていない料理の方が圧倒的に多い。



そして、
『辛くないだけでなく、超甘い。』

また、
『超甘いだけでなく、塩辛い味との融合に挑む料理が少なくない。』





マニラ在住の友人がフィリピンのOLに大人気のカフェよ、と連れて行ってくれたマニラのお店。朝9時半。美味しそうなケーキがショーウインドーを飾る。彼女が注文してくれた8cm程度の細長い菓子パンを半分ずっこ。ふわふわのパンは、フォークで半分すると、見事に潰れてしまう。周りは粉砂糖がまぶしてあり、中はとろりとしたクリーム。




ペパーミントフルーツドリンクがテーブルに置かれると、やや違和感。緑ではなく、お茶のような色。ストローで一口飲んで、うっと唸ってしまう。確かにミントの香りはするが、それ以上に別の何かの味が濃厚。このコンビネーションは何なのだろう。

取り敢えずは口を湿らせ、フィリピンのOL達が大好きな菓子パンをちょっと齧ってみる。うっ!クリームは甘くなく、プロセスチーズの濃厚な味。それに粉砂糖の甘さ。こっ、このコンビネーションは。チャレンジング過ぎる!


そして、つい、手元にあったペパーミントフルーツドリンクを口にしてしまう。うっ。
すると、粉砂糖たっぷりのプロセスチーズの入った菓子パンに手がいく。な、なんなのだろう。塩辛さと超甘がいっぺんに口内を満たすと、喉を潤すために、奇妙な味のペパーミントフルーツドリンクが欲しくなる。

そうして、気が付くと菓子パンはぺろりと平らげ、ドリンクのグラスも空にしてしまう。
恐ろしや。










『土産屋がしつこくない。押し売りしない。引き際が鮮やか。』



東南アジアで閉口するのは、しつこいお土産屋。ところがどうだろう。ボホール島の洞窟を訪れた際、その日の恐らく二番目ぐらいの訪問客であり、恐らく他に来ても数名だろうのに、土産物屋が全く声を掛けてこない。Tシャツでも、と店を覗けば、声を掛けてくるものの、さっと歩み寄るでもない。次の店に足を動かしても、追ってこない。


ロボック川を船で下った時のこと。村の踊り子チームなのだろう。川べりで、筏に乗った老若男女、数名がダンスを披露してくれた。村の男性達が音楽を担当。いたって田舎っぽく、それでいてロボック川に相応しく、観光客は大喜び。そこそこチップをはずみ、拍手喝采。我々が乗った船が、エンジンを掛け、そこを離れようとするや否や、音楽がぴたりと止む。踊り子チームから笑顔が剥がれ、振っていた手は振り下ろされる。







塩味の筈なのに、何故か甘さも感じられる味付きPilinutsを食べながら、どうして、普通の塩で終えずに、プラスアルファしちゃうのだろうと思いつつも、手が伸びてしまう自分に呆れつつ。。。


謎は魅力となって、心を惹きつけて止まない。






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2016年8月15日月曜日

孤高のターシャ tarsier





世界一小さな猿。

体長は約8.5cmから16cm。体重はオスが80gから160g。メスの方がやや軽い。

縄張り意識が非常に高く、ホームレンジは1ヘクターから2ヘクターと解説を受ける。その後ネットで調べると、最近の研究ではオスが平均6.45ヘクター、メスが平均2.45ヘクターと判明しているらしい。

集団行動はせず、常に一匹。








ここボホール島では、フィリピンターシャ基金が8.4ヘクタールの広さを確保し、ターシャ保護区としている。2mの高さのフェンスで囲まれており、中には100匹以上のターシャが生息している。

夜にはフェンスを乗り越え狩りをする姿も見られているが、夜明けには保護区に戻ってくるらしい。夜行性のターシャを大自然の中で見つけるのは容易ではなく、観光客向けのちょっとしたスペースに8匹が生息している。

当日は8匹いるターシャのうち、スタッフが4匹見つけてくれていた。こうして旅行者は、こっそりと会うことができる。




「とても繊細なのでカメラのフラッシュは勿論、びっくりさせないであげてくださいね。ストレスで自殺しちゃうのですから。」

ガイドの声が甦る。


「自殺って、どうやって自殺するのかしら?飛び降り自殺は無理よね。」
現実的なことを友人がつぶやく。

ネズミのような体長よりも長い尻尾で首を巻くのだろうか?食事拒否で餓死?

マニラ行きの飛行機で読んでいたガイドブックの一節が甦る。「ターシャと目を合わせてはいけない。もし目が合い、ターシャが涙を流したら、そのターシャは死んでしまう。」






どう頑張っても良い写真は撮れそうにない。ターシャは余りに小さく、木陰の中で、ひっそりと枝にしがみついているのだから。



    

ここで、ターシャの写真集や絵葉書など販売していれば、訪問客の多くは買い求めるであろうのに、驚くことに、絵葉書一つ置いていない。商売のセンスがないといおうか。いや、きっと商売などする気もないのだろう。

のんびりとして大らかで、それもいいかな、と思ってしまう。

孤高のターシャにはぴったり。
ここが観光地化してしまったら、彼らはストレスで彼らなりの方法で消えてしまうのだから。




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2016年8月14日日曜日

ボホールの海









海が恋しかった。
肌を突き刺す程冷たいBretagneの海も、拍子抜けに暖かいPerpignanの海も、遥か遠き昔の勝浦の海も、全てが恋しかった。
砂浜を大声で駆けたかった。
波の中を潜りたかった。海水で鼻がつんとする、あの瞬間が恋しかった。

手を伸ばせば届くのに、恋しがるだけで手を伸ばしていなかった。

17歳の時の友人が、その願いを叶えてくれた。
「どうして」とか一切聞かずに、今までずっとそうしてきたかのように、島へのフライトとホテルを二人分予約してくれた。


マニラは土砂降り。雨季の時期に訪れた友と一緒に島に行ってくれる彼女に申し訳なく思う。三時間前のフライトが立て続けに遅延で、新たな出発時刻さえ発表されていない中、どんどんとチェックインを終えた乗客が入ってきて待合室はパンク状態。

時刻は午前10時。寝ている人もいなくはないが、ピザを食べたり、大きな肉まんを頬張ったり、お肉のソテーと御飯を食べていたりと、軽食を楽しむ姿が目立つ。しかし、いったい、これは彼らの朝食なのだろうか。

フィリピンでは7回食事をするのよ。
友人はこともなげに言う。久しぶりの真っ白でふんわりとした肉まんの姿に歓声を挙げた私を見て、早速一つ買ってみようと列に並んでくれた友人は、次にはフィリピン人が愛するお菓子の一つ、「Ensaimada」をゲットしてくれていた。一瞬、モンブランかと思わせる容姿。丸い甘いふわふわのブリオッシュに塩味のチーズのスライスがトッピング。

奇跡的にも私たちの飛行機は予定時刻にボーディングの呼び出しがなされ、雨の中、航空会社が用意してくれた傘を差して機内に乗り込む。水溜りを避けながらも、サンダルを履いて来て良かったと思う瞬間。

あの島は他が雨でも避けて通るんだって。
矢張り友人はこともなげに言う。何度も見た天気予報は連日雨模様。雨は降っても、氷雨ではない。温かな、シャワーのような雨に違いない。雨に打たれるのも悪くないではないか。





島についてみると、友人の話の方が確かであることが分かる。むんとした熱気が骨の芯まれたバスルームと広いベッドルームに息を飲む。

とにかく海を見ようよ。
競うように水着に着替え、ビーチまで歩いて行く。





どうやら波があるらしい。サーファー向けのビーチなのだろうか。砂浜には打ち上げられた海藻がたんわりとある。波打ち際は砂や海藻で海水に透明感はないが、遊泳区域を示すブイが浮かぶ辺りは心浮き立つエメラルド。そして真っ青な大海が続く。

足を入れると温かい。
人っ子一人いない海にずんずんと入っていく。どうやらかなりの浅瀬が続くらしい。時々、貝殻なのか足に何かが刺さる。先が尖った石を踏む。なんて懐かしいんだろう。ずんぶりと身体を入れて泳ぎ出す。左肩が自由にならないことを思い出す。平泳ぎは無理だし、クロールなんてもっと無理。それでも、遠くに浮かぶブイまで行きたかった。

と、波をざんぶりとかぶり、思いっ切り海水を飲み込む。波乗りさえ忘れてしまったのか。まさか。

次からは波を待ち受ける。ハワイ、サイパン、沖縄、大洗。当時の感覚を蘇らせる。シドニーでも泳いだはず。さあ、大波がくるぞ。

左腕が上がらないことで、泳ぎ切れないかもしれない、と一瞬思うが、この波なら帰りは追い波を受け、あっという間に浜辺に戻るに違いないと判断。そんなことより、真っ青な大海に向かって、ぐんぐんと泳ぎたかった。

何度目かの波をくぐって、漸く目の前にさっきから見えていたブイに手を駆けることができる。浜辺に手を振るが、友人は気が付かない様子。海風にうっとりしているのだろうか。帽子も被らずに直射日光を目一杯浴びているなんて。そう思うが、海水からの反射で紫外線を余計浴びているのは私の方だろう。

さあ、余り休んでいると帰れなくなる。次の波で浜に戻ろう。海水は暖かく、波は優しく押してくれる。



翌朝、波は前日に比べ穏やかで、潮が引いているらしい。と、遊泳禁止の赤旗が目に入る。この波で赤?ひょっとしたら、ホテルでこの波なら誰も入るまいと思っていたところ、遊泳者が出たので慌てて旗を立てたのだろうか。或いは、前日は旗に気が付かなかったのか。なんだか変に得をした気分になる。



そう、泳ぐが勝ち。
エネルギーが体中に満ち溢れていく。








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2016年8月13日土曜日

カラマンシーの香り









朝八時から夜九時まで、ほぼノンストップで幼虫がキャベツをバリバリと食すかの如く仕事をし、当たり前のことながらバスもなく、タクシーもない中、重いラップトップを肩に下げ、会社鞄を抱えながら夜道を歩いて帰る。

それでも、翌日からの旅行を思うと解放感と高揚感で足取りも軽い。近所の猫か、人恋しそうに足にまとわりついては、ニャーニャーと物悲し気に訴えられる。家族に置いてきぼりにされたのか。猫君、ごめんよ。今日は先を急ぐんだ。まだ支度も出来ていないし、家も片付けも終わっていない。明日の朝には速攻で買い物もしなきゃ。だから、ここは失敬するよ。


何年振りだろう。高校の時以来。17歳の思い出が甦る。あの頃も、彼女の家に遊びに行く週末は嬉しくて仕方がなかった。背が高くて、真っ直ぐの黒髪を長く優雅に伸ばし、まるで森の中の妖精そのものの。微笑むと、くっきりとえくぼが愛らしい。お嬢様のようで、ちっとも気取ったところがなく、おっとりとしているかと思えば、しっかりと自己主張をする。彼女の魅力に、何人の若者たちが参ったことか。

孔子の言葉が胸に突き上げてくる。
有朋自遠方来、 不亦楽乎。


ぽっかりと開いた自由な一週間。マニラに住む彼女に連絡を入れると、二つ返事で遊びにおいでよ、と言ってくれる。棚田が見たい?火山がいい?それともビーチに行く?

青い空にヤシの木、緑の海、灼熱の太陽。

すべてが魅力に満ちていた。そして、突然の連絡に驚いた風でもなく、ごく当たり前のように、いつでもおいでよ、と言ってくれる彼女の思いやりと優しさに真綿でくるまれるようなあったかさを感じていた。

甘えてしまおう。


そうして急遽ドーハ経由でマニラ入り。常夏の国、フィリピン。数時間立ち寄ったドーハや台湾のように、気温が高い国にありがちで、空港はがんがんに冷房が効いていて寒いぐらいだろうと想像していた。ターミナルも複数あり、かなりの規模らしい。

友人が、ターミナル1なら送迎の人は入れないので出口で待っているから、と丁寧に地図まで送ってくれていた。

パリでも国際線なら手荷物のピックアップ後、税関を過ぎるまで出迎えの人は入れない。ミーティングポイントは常に出口。大丈夫、大丈夫。そう高を括っていたことが間違いであったことは、荷物のターンテーブルの前で漸く分かり始める。

だだっ広い場所で、機体から吐き出されたスーツケースや段ボールをターンテーブルがガタガタと載せていく。暑さと湿気、騒音。クーラーなんて効いてやしない。20年以上も前になるビエンチャンの空港が甦る。

ぼんやりとした頭で、息子バッタから勝手に失敬して来た青い鞄を探しながら、他の乗客たちの様子を観察。フィリピンの男たちは素晴らしく力が強く、気が優しいらしい。女たちは自分の探す鞄が出てくるや、一声かける。と、よしきた、まかしときな、とばかりに、一斉に男たちが取ってくれる。


お馴染みの青いキプリングの鞄が出てきたので近寄ると、ほいさ、とばかりに男性が手伝ってくれた。さあ、いざ、17歳の時の友人が待つ場所へ 。おおっ、ここか、と思い背筋をまっすぐに、お腹をひっこめ、髪を手ですいて、長時間の旅の疲れをみじんも見せない様子で颯爽と歩く。むんむんとした熱気が一層気持ちを高揚させる。が、どうやら、これが出口ではなさそう。ミーティングポイントを尋ねると、いかにも旅行会社のスタッフ風の女性が、ここからは車での移動かと思わせるコンクリートの道を指し示す。ここを歩けと?誰も歩いていないじゃないか。半信半疑ながらも友人が「地下通路」と呼んでいた道なのかもしれないと思い始める。

その「地下通路」を出ると、夕暮れ差し迫るマニラとご対面。町中挙げてのお迎えかと思わせる程の賑わいで、彼らの注目を一斉に浴び、急に自分が偉くなったような気恥しい思いが込み上がる。しかし、友人の姿が見つからない。

横断歩道を、今度は気取ることさえ忘れて渡り、出口とやらにたどり着く。警官なのか警備員なのか、二人で人の出入りをチェックしている。特別な人、つまり乗客しかこの区域にはいられないことが、彼らの厳重なチェックとゲートで仕切っていることが如実に伝えている。友人を探すことよりも、そんなことに驚き、あっけにとられてしまい、民衆の熱に飲み込まれてしまっていた。

そんな様子を見てか、警官の一人が声を掛けてくれ、友人と待ち合わせていると言えば、電話さえも掛けてくれる。「出口にいるよ。」「そこからジョリビーが見える?」はっきりとしない会話の後で電話は唐突に切れてしまう。警官は友人はどこにいるのか?彼女はここに来るのか?いるのか?と聞いてくるが、答えられない。日本人だよね、と、大衆をぎょろりとした目を一層ぎょろりとさせて見回す。そうして、あ、あそこにいるのでは?と教えてくれる。

大勢の人が行き交う中、17歳の彼女を探す。背が高くて、真っ直ぐの黒髪を長く優雅に伸ばし、まるで森の中の妖精そのものので、微笑むと、くっきりとえくぼが愛らしい。お嬢様のようで、ちっとも気取ったところがなく、おっとりとしているかと思えば、しっかりと自己主張をする、そんな彼女を。

どこにいるの?彼女は見当たらない。それでも警官は自信があるらしい。日本人なら、ほら、あそこに!

大勢の中で、大衆より頭一つ大きいだろうか、背の高いショートカットの女性が周りをきょろきょろとしながらも、猛スピードで突っ走っている姿が目に入る。

あっ!

大声を出す。相手もこちらを振り向く。が、初めは分からない様子。走る私の姿を目にし、数回確認後、漸く認めた様子で笑顔が広がる。

そりゃあそうだ。彼女も17歳の姿を探していたに違いない。

ああ、無事に会えた。頬にくっきりとえくぼが刻まれる。ちっとも変っていないね。

会ったら、何から話そうかと思っていたのに、会ってみると、いつでも会っていたように、あの時と同じように、極々自然と言葉が出てくる。笑いが広がる。








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2016年8月6日土曜日

朝の散歩









この親にしてこの子あり、
とでも言おうか。
悪い意味でも良い意味でも。


早起きをして、朝日が昇るところを見たい。
誰も踏んでいない朝露に輝く草原を踏みしめたい。
冷たい新鮮な朝の空気を胸一杯に吸い込みたい。
そして、何より、発見をしたい。


約束したわけでもないのに、母が来ると朝の散歩をする。
膝の調子が良くないのよ、と言いながらも、健脚。
それでも、何でもないアップの後、息が切れていた様子にどきりとする。


道端に蕨を発見してからは、毎朝蕨摘みをしながらの散歩。


一時間の散歩から帰ってくると、摘んだ野花を活け、あっという間に蕨を茹でてしまう。
お醤油をかけて頂くと、緑の香りが口いっぱいに広がる。
ちょっとした苦味がまたなんとも言えない。
母の手に掛かるから美味しいのか、新鮮だから美味しいのか、山菜の味が分かる大人になったのか。


母がマチュピチュに行こうと言い始めてから、もう何年になるだろう。
標高も高いし、かなり歩くらしい。


本気で計画を立てよう。
この秋にはアンコールワットに行くらしい。それでは、来年はマチュピチュにしようか。


緑の風がやわらかに葉をゆらしていく。






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2016年8月4日木曜日

夏真っ盛り








「あのさぁ、そのことだけど。」

留学を終え一年ぶりにCDG空港に降り立った長女バッタを乗せて、家に向かっていた時のこと。中国には一緒に行ってあげられなかったが、9月から彼女が行く大学はヨーロッパにある。8月中旬には説明会があるから、その頃には現地入りすると聞いていた。8月中旬ならパパは島でバカンス中。車にたくさんの荷物を載せて彼女を連れて行ってあげよう。そう勝手に思っていた。

バカンスの日程を会社に申請しなければならないので、日程を決めようよ、と帰国前の彼女にメッセージを送っていたのだった。返事がなかったので、改めて、8月の日程について話題を振ったら、この返事。

「ママに言おうと電話したけど、繋がらなかったんだ。あのね、私、一人で行こうと思うの。」

遠慮しがちながら、それでも、きっぱりと長女バッタは言う。

「最初こそ友達を作る時なの。一人で大丈夫。ママはしばらくしてから来て。そう、10月でも11月でも。」


そうか。戻ってきたと思ったが、戻ってきたわけではなかったのか。彼女は、もうしっかりと自分の道を歩き始めている。一人で。

でも、待ってよ。8月は鬼門。
毎年バッタ達はパパとのバカンスでいなくなるから、一人になる。それでも、このところ毎年のように台湾から妹一家が遊びに来てくれていた。それが、今年に限って彼女たちは旅費が嵩むからとお休みとしてしまっていた。

バッタ達がこうして自立し、一人で旅立つのであるから、親の私もしっかりと一人で歩まねば。人間、所詮一人。

それでも、バカンスで空っぽになった通りや家に一人でいることを想像しただけで、気が狂いそうになる。駄目だ。


そうだ、彼のところに会いに行こうか。
久々に連絡を取ってみる。今年に入って国内で最大の基地を任されているから非常に忙しいとは聞いていたが、ぜひおいでよ、と返事が返ってくる。どうしようか。

休暇が取れないことは聞いていた。夕食ぐらい一緒にできれば御の字、それぐらいの気持ちでいないと、と思っていた。昔真剣に集めたガイドブックを再び手にし、読み耽る。最近は旅行サイトも随分と充実している。学生時代は本当に情報がなく、ガイドブックも大手旅行社が形だけ整えた薄い物しかなかった。それがどうだろう。和平後、随分状況も変わったのだろう。それに貢献した彼のことを思う。

数日後、彼から旅行の日程についてメッセージが入る。この期間と、この期間は避けて欲しい、とのこと。外国から要人が来るので出迎えをし常にエスコートをしなければならないと言う。

大丈夫。その時には東海岸に遊びに行くか、内陸で電車の旅でもしているから。

そう言うと、それは良かった、との返事。

これは本気で日程を組もう。そう思ってチケットを検索。日本に行くよりも高い値段が弾き出される。空港に迎えに行ければいいけど、そんなメッセージを思い出し、ここはナショナルフラッグの航空会社でないと、と思ってしまう。

取り敢えずの日程を書き送る。
Good。
そっけない返事。まあ、忙しいのか。

それでも、ホテルを探して薦めてくれていた。そのホテルに予約をと思い調べてみると、正直余りピンとこない。彼の基地に一番近いということか。色々と探していると、こじんまりとしているが、なかなか素敵なプチホテルが見つかる。ここはどうかしら。そう書き送る。そして、ホテルを検索しているうちに、航空券が高くなっているのに気が付き、ここは決断の時、とチケットも購入。

朝起きてみるとメッセージが入っている。ホテルはそこでいいよ。ただ、日程を数日変えてくれないか、とある。とにかく、今夜最終的な日程を決めよう。

ちょっと待ってよ。もうチケットは買っちゃったのよ。今更それはないよ。別に要人が来ている時は他に行っているから、気にしないでね。そう書き送る。

すると慌てて返事がくる。これから会議に行かなきゃならないけど、航空券を買ったって?日程を変えてみてくれないか。

指定された日程では、うまくいかない。先ず、そんなに簡単に休みの期間は変えられないし、しかも、一人で行くとは言っているものの、長女バッタの出発の日に不在となってしまう。

駄目。無理。
夕食だけでいいんだから。日中は仕事だって分かっているんだし。

それでも、日程を変更してくれとの一点張り。せっかく来てくれるのに、会えないなんて辛いよ、とくる。そして、休暇をとれるご身分じゃないんだ、と。

でも、私だってそうそう休みは変えられないし、他の都合もある。日程の変更は無理よ。

そんなやり取りが続く。そして改めてチケットの日程を聞かれる。何度言えばいいんだろう。ちゃんと確認してくれていたわけじゃなかったのね。今度はe-ticketを送って、これは格安なので交換は無理なのよ、と言う。

遊びにおいで、といつも言ってくれるけど、実際に本当に行くことになると、困ってしまうのね。身勝手ね。分かった。もう決して会いに行く計画なんてしないから。すっごく高くついたけど、いいレッスン料になったわ。

久々に連絡したのは私の方なのに、いつも連絡があっても返事もろくすっぽしないのは私なのに、長女バッタとの小旅行の計画がなくなったので強引に遊びに行くことにしたのは私なのに、身勝手なのは私なのに、そう言い放ってしまう。

するとGod!と大騒ぎ。

漸く、その要人が当初二日のみだったのが、私と同じ日程で一週間滞在することに変更したことが分かる。しかも、その間、大統領との会議や会食もあるらしい。

俺はなんて悲惨な人生を歩んでいるんだ。自分の予定さえも立てられない。好きなこともできない。

彼が嘆き始める。

ちょっと待って。そんなこと言わないでよ。
今度はこちらが慌てる番。

分かった。一週間ずらしてみる。でも、それで本当に大丈夫?

明日、予定を見て、返事をする。各地のホテルも調べるよ。

彼が私を気遣って言ってくれていることが分かる。大丈夫よ。無理しないで。


そうして、翌日。
チケットのキャンセルはできそうなのか。返金されるのか、と聞いてくる。もう答えは聞かなくても分かってしまった。

とにかくスケジュールはフル。息をつく暇もないらしい。この二ヶ月親にも会っていないし、自宅にも帰っていない、と言う。

国内最大の基地の代表になったら、国際空港の近くだし、ぜひ遊びにおいでよ、と言ったのは誰よ。

その予定だったんだ。でも7000人と4つの飛行部隊を指揮下に抱えているんだよ。その国際空港も指揮下にある。決断する事が余りに多く、忙殺されているんだ。

でも、この機会を逃したら、君はもう来ないんじゃないか?

大丈夫。また計画する。クリスマスに一週間休めると思う。

それがいい!ぜひそうしてくれ。その時にはちゃんと時間を取るよ!


ほっとしている様子が手に取るように分かる。会議に向かう車の中からのメッセージ。活躍しているんだな、と思う。応援している。チケットはどの程度返金されるのか分からないけど、まあ、仕方がない。こんな濃密な会話が出来たのだから。


マンゴを買おう。できるだけ新鮮で大きな赤いマンゴがいい。そして、その種を植えよう。いつかのように枯らしてしまわないように、植木鉢は大きなものにしよう。

大急ぎで八百屋に向かう。太陽の日差しが眩しい。夏真っ盛り。








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