2016年4月10日日曜日

雨の中のマダム








バイオリン仲間のサプライズ誕生会。ちらし寿司を持って行こうと干し椎茸を水で戻し、人参を千切りし、準備をしていたところ、新しいビジネスをするから話を聞いて欲しいと訪れた昔の同僚が思わず長居し、出発予定の一時間前を既に切った中、椎茸を煮込み、人参を湯がき、慌てて錦糸卵を作り始めていた。息子バッタを借り出し酢飯を作り、椎茸、人参、胡麻を和え、サーモン、エビで飾ると言った豪華版。イクラを散らしたかったが、スーパーには残念ながらトビウオの子しかなかった。錦糸卵をふわりとかけると、海苔を散らしたくなるが、思いとどまった。グリーンピースも、インゲンも手元にはなく、シブレットを細かく刻む。

宿題の真っ最中の末娘バッタを急き立て、留守番をするという非社交的なティーン真っ盛りの息子バッタに溜息をつきつつ、外に出ると冷たい銀の粒がばらばらと落ちてきていた。通りの向こうから皆で行列を作ってバイオリンを弾きながら家の門に入るといった演出はどうも変更せざるを得ないだろう、そう思いながら小走りに停めてあった愛車に乗り込もうとすると、真向いのマダムの家のドアが開け放たれ、玄関のチャイムの前で傘もささずに髪を振り乱し、奮闘しているマダムの姿が目に入る。カタログを片手に、もう一方の手には延長コードを握りしめ、一心不乱に戦っている。

一人住まいのマダムの家では、停電になったり、突然電話が使えなくなったり、アラームが作動しなかったり、PCが動かなくなったりと何かがしょっちゅう起こる。一体、今度は何事だろうか。誕生会に出掛ける予定の時間はとっくに過ぎていた。それでも、雨の中のマダムを放っておくわけにはいくまい。走りよると、驚いたようにこちらを見つめ返す。24時間体制の警備ビデオが作動しないと絶望的に話し始める。それでも、誰かに問題を伝えることができた安心さからか、とにかく明日朝に手伝うので、今は家にいったん戻って欲しい旨伝えると、素直に頷いてくれる。緊急ならば、息子バッタがいるので、彼に見てもらえると言うと、明日の朝でいいとのこと。後ろ髪を引かれる思いをしつつも、車に乗り込みアクセルを踏む。

果たして、朝8時には既にマダムの家の窓は全て開け放たれていた。まさか一睡もしなかったのではあるまいか。昨日の雨が嘘のように青空が広がっている。すぐに窓から顔をのぞかせ、今朝も何度もマニュアル通り試したが上手くいかない、と興奮した様子で話を始める。

とりあえずは、様子を見ないと。先ずはマダムが何をしようとして、何が問題なのかをしっかりと把握することに努める。そして一つ一つ丁寧にやってみましょうよ、と声を掛ける。ビデオの設定はできても、それを保存するための機能を作動させていなかったことが原因と分かる。次には、インターフォンの問題。これは受話器のマークを押していなかったことが原因と分かる。

本当にちょっとしたこと。それが見つからずに、何度も何度も同じことを繰り返し、上手くいかないと嘆いていたマダム。

「朝からごめんなさいね。本当だったら、息子が来てくれればいいんだけれど。あっち、こっちと仕事でいつもいないから。」

息子さんは、きっと別の場所で、そこで困っている人を助けているに違いありません。私も、母の傍にいないので、母が困っている時に何もすることができません。それでも、きっと他の誰かが母の力になってくれているはず。だから、私がマダムの手助けをすることは自然なこと。そうやって社会は成り立っているのだと思いませんか。

そう言うと、目を潤ませ、大きく抱きつかれる。

マダムの家で、電気関係の故障が絶えない最大の理由は、いつもと同じルーティーンではない、イレギュラーなことが起こった際の対応にあるのだろう。何かあったら、いつでも声を掛けてくださいね、と言ってはいるが、朝は暁前に出て、夜は夕食後に戻ってくる私に、声を掛けるタイミングもなく、他の近所の人々も、頼れる方ばかりだが、そう頼ってばかりはいられまいと思うのだろう。

それでも、息子家族や娘との同居は選択肢として決して挙がってこない様子。
今年は徹底的に屋根瓦を綺麗にする予定なのよ、と逞しそうに笑っている。一人で屋根に上るつもりらしい。82歳になったから、屋根に上っていはいけない、ということはあるまい。それでも、もしも足を踏み外した際、とっさの対応が70歳の頃とは違うだろうし、60歳の頃とも違うだろう。マダムがいつまでも元気で若々しい秘訣なのだが、家族なら一言も二言もあろう。自分の人生、自分が決める、とのスタイルを確固として持っているマダムは、きっとこれからも一人で自分の家を切り盛りしていくことだろう。ただ、困った時には、一人で奮闘せずに、ちょっと声を掛けて欲しい。いや、これからは、こちらからできるだけ声を掛けようか。

空はますます青く晴れ上がっている。







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