2016年1月31日日曜日

「ma méditerrannée」僕の地中海







この間の週末の写真を送ります。どこだか分かるかしら。
MontiのCsardas、
Ecclesのソナタ、
Bachの二つのヴァイオリンのための協奏曲、
Corelliのラフォリア、
そんな音楽に埋もれる週末を過ごしました。



音楽家の名前や曲名が英語圏での発音とフランス語では全く違っていて面食らうことが多い。Csardasも、チャルダッシュ、クサルダス。全く響きが違ってしまう。かの有名なBachでさえ、バッハとバック。バックでは大学入学試験のバカロレアの略ではないか。Ecclesもエクルスなのかエクレスなのか。

しかし、一旦弾きはじめたら、ニュアンスの違いこそあれ、指揮者やリーダーの導きのもと、ぴたっと合わせることができるのだから、音楽の魅力は奥深い。
特に今回はCsardasの魅力に酔いしれてしまっていた。なんとも哀愁に満ちた旋律と息つく間もない程の早いテンポで駆け回る部分の組み合わせが素晴らしい。







すると、返事がある。

美しい写真だね。Saint-Nizier教会かな、クロワルスのトラブール?
この空の青に、僕の地中海を思い出したよ。美しくて、それでいて、厳しい。


「ma méditerrannée」


地中海に所有形容詞をつけるなんて。
海が恋しいからとパリを離れて行った彼。それでも、彼の知っている海ではなかったのだろう。ふと、智恵子抄に思いを馳せる。
光太郎にはいつもの青い空であっても、それを見ながら智恵子は本当の空が見たいと病床でつぶやく。

私にとっての地中海はPerpignan。長女バッタが10歳の頃か。彼ら三匹を乗せて車で南下した夏。途中道に迷い大鹿に遭遇したことも良い思い出。借りた夏の家は海の目の前で、毎朝、太陽が昇る前に砂浜に降りて、海が細やかに色とりどりに反射し、さんざめき、空の色合いが変わっていく様を飽きることなくずうっと見守ったことを覚えている。

「彼の地中海」
潮騒、磯の香り、灼熱、塩辛さ、スコール、、、ブーゲンビリアの紫、赤、ピンク。
背中に寄り添ったら、感じることが出来るのだろうか。


そっと目を閉じる。

正解はSaint-Jean大司教教会、そしてGarillanの坂道。
波の音に消されてしまう。そんなことは大したことじゃなくって、もっと大切なことは、この波の音。。。








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2016年1月30日土曜日

ブラジルの真珠






しっかりと継ぎ目通りに折り、
きっちりと一杯分を量って入れる。
既に袋を開けた時の芳しい香が一層膨らみを増す。

湯気沸き立つ薬缶から、一筋含ませるように注ぐ。
そうして、待つこと一分。
ふくよかな香りが立ち上がってくる。

ゆっくりと、今度は並々と注ぎ入れる。
二三回繰り返すと、丁度良い量に。

口に含めば、奥の深い濃いローストした香り。そして爽やかな切れ味。

至福の時。







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2016年1月12日火曜日

山椒の粒



どちらが好き?
カップ入りとカップから出したもの。

カップ入りは「フランボワーズの甘いくちづけ」。
カップから出したものは「ブラックベリーの優しい口づけ」。

人気商品なので、ご予約をお勧めします。

そう書き送って、先日の写真を添付する。

プライベートのアカウントは暫く見ていなかったよ、なんて平気で返事をし、いつ返事があるかと楽しみにしていたこちらの気持ちを一瞬にして消し飛ばしてしまう相手。一週間音沙汰がないのはいつものこと。

と、即答が返ってくる。


「カップ入りがいいな。」

甘い口づけ


おっ。そういう返事の仕方があったか!
それなら、もうちょっと選択肢を作ればよかった。ジンジャーコンフィのスライス、とろけるチョコレート、トンカ豆一振り、ちょっぴりのライムの皮、一つまみのカイエンヌペッパー、などなど。フランボワーズのババロアの飾りとして、色彩も美しく、悪くはないのではなかろうか。

ほんのりぴりりとした口づけ、どこまでも甘い口づけ、蠱惑的な口づけ、爽やかな口づけ、目が覚める口づけ、といったところか。


できたら、山椒の粒も飾りたい。

新鮮な柑橘系でレモングラスを思わせる魅惑的な香りと、決して辛くなく、それでいて爽やかでハッとする、軽く眩暈をも伴う口づけ。

いかがでしょう。





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2016年1月10日日曜日

優しい口づけと甘い口づけ



随分と久しぶりに友人からSMSが入る。
先に送っている年賀状への返信を兼ねた近況報告。そして、震災の時日本に赴いて勇気を与えてくれたバイオリニストのお宅にお邪魔するので、都合はどうか、と尋ねてくる。

彼の紹介で、一度訪問の機会を得ている(癒し、そして出会いをもたらす音楽)。その後、何度かお誘いを受けたが、一度は先方が体調を崩し、もう一度は私の都合でお会いできていなかった。

喜んで。

前回は和菓子とのことで、苺大福を作ったが、その時にフルーツタルトやチョコレートケーキを好んでいたことを思い出し、分かりにくいものではなく、なじみある優しいイメージのデザートをお持ちしようと思い立つ。

フランボワーズのババロア以外にはない、と思ってしまう。あのこがあんなに喜んでくれらのだもの。

ただ、どうやら人数は小数。大きなケーキ型よりも一人用の型にしようとカップを探す。
息子バッタが日曜は友人を集めて勉強会をすると言うので、丁度良い。

フランボワーズは種が大きいので濾さねばならないが、その手間をかけるだけの美味しさがある。

そうして、二重層とし、冷蔵庫に幾つものカップを並べていると、息子バッタから会場が我が家ではなく友人宅になったと伝えられる。そして、パリの友人からも、バイオリニストの体調が思わしくないから今回はキャンセル、との知らせが入る。

息子には友人の分とその家族の分も持って行って欲しいと告げるが、思った通り、断られる。


末娘バッタはパパの家。なんだか、こんなに沢山デザートを作ってしまったが、どうしよう。
そうだ。前の通りのマダムに差し入れをしよう。


飾り付けも、カップのままのものと、カップから出してお皿に盛ったもの、など夫々工夫してみる。




フランボワーズの甘い口づけ







ブラックベリーの優しい口づけ



午後のお茶にいらっしゃいませんか。
お待ちしています。




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2016年1月8日金曜日

必要のない物




バッタ達と私宛に台湾の双子の片割れからメッセージが届く。

ポイント
今度の日曜日は新月。
今年の目標を書き出す。
必要のない物は処分して身軽るになる。

ふむ。
一年の計は元旦にあり。
日本人らしい発想。日本の母も元旦に同じメッセージを書き送ってくれていた。

加えて彼女の好きな言葉。
「必要のない物は処分して身軽るになる」
確かに、何かを掴んでいれば、別の物を掴むことはできないものね。

しかし、なかなかそうできないのが人間。
何が必要で何が不要か、判断って実は簡単なようで難しい。
当時、えいやーと捨てた物に対して、今になって、ああ、あの時って、思わないこともない。。。

そう書き送ると彼女も同じことを考えていたらしく、すぐに返事が来る。

そう。忘れもしない小学四年の秋。
急に大人になろうと思ったのか、彼女が今まで大切にしていた物を捨てようとしている姿を見て、同じ行動をとってしまった浅はかな自分。
いや、彼女は私が率先してとった行動と言うだろうか。

あれから、何度後悔したか。

あの時、手放したから、美しい記憶として残っているのだろうか。
そう書き送ると「間違いなく後悔」と返事が来る。

いや、待て。
あの時、手放したからこそ、もう一度彼らを再現させたいと心の底から強い欲求が溢れ、創作意欲を掻き立てられているのではないか。
そう。あの時があるから、今の彼女がある。

あのまま持ち続けていたら、彼らを別の形で再現させようなんて思わず、彼らで満足していたに違いない。

小学四年の彼女の勇気ある行為に乾杯。

さあ、40年経て、あんな勇気が出てくるか。

もうちょっと持っていたいなぁ。。。この想い。。。

まだまだ物欲から逃れられそうにない。









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2016年1月6日水曜日

恋におちて








一通り仕事の話を終えてお店を出る時に、ふと目が留まる。落ち着いた藍色に思わず見とれてしまう。

「ああ、このコーヒーカップ、対ではないので皆さん余りお求めにならないのですよ。」

逆ではないか。対でないからいいのじゃないか。

「対になるように注文しないと。。。」そんなお店の人の声が聞こえるが、それには答えずに思わず手にしてしまう。この海の波の文様がまた素晴らしいじゃないか。



ねえ、年を取ったら、朝ご飯に何を食べたがると思う?

「そんなことを急に言われても。」

なんだって男って想像力に乏しいんだろう。例え話がちっともできない息子バッタをちらりと思う。ほら、80歳になったら朝に何を食べたいな、と思うと思う?

「80歳?考えられないよ。」

分かった、分かった。じゃあ70歳でいいわ。

「70歳?」

いいわよ。じゃあ60歳!

「う~ん。誰と一緒かによるよ。」

視線が眩しい。
それって何かメッセージある?どきりとしながらも、全く意に介さない様子で、遭難して疲れ果てた後、先ずは口にしたいものはとの質問に変えてみる。海外に住んでいる人が年月を経て最終的には母国の食事を恋しがるとのテーマが念頭にあった。

「珈琲かな。」



そんな会話が甦る。

朝起きて、仕事に行く前に、オフィスで、と何度も珈琲を飲むであろう姿を想像し、海好きには波の文様はぴったりではないかと思ってしまう。真ん丸ではない受け皿も気に入っていた。シンメトリックではない美しさ。手にもった時の重量感も心地よい。珈琲の奥深いローストした味が香り立ってくるじゃないか。

喜びに満ちた笑顔が想像され心が騒ぐ。


いや、待て待て。

このところちっとも会えていない別の顔が頭を過ぎる。似合うだろうとプレゼントしたスカーフ、海外から注文したセーター、そういった贈り物を身に着けた姿を一度も見ていない。いつしか無難なプレゼントしか贈らなくなってしまったが、このコーヒーカップはどうだろう。随分前にオフィスに立ち寄った際、使っていたティーカップが思い出された。オフィスできっと気に入って使ってもらえるのではないだろうか。上品な藍色は好みに違いない。アメリカンよりもエスプレッソを好むタイプには丁度よいサイズ。真っ白なホイップクリームをのせたウィンナコーヒーにもぴったり。

嬉しそうに微笑む様子にこちらまで嬉しくなる。


だが、珈琲と言えば、もう一人。
幼い頃から美味しい珈琲の淹れ方について薀蓄を語ってくれた人物。カップを温めることは常識だったが、どの程度の量をカップに入れるのかといったことに煩かった。喜んでもらおうと懸命に工夫した昔が思い出される。あんなに煩くしなくても、と思ったものだが、確かにあんまり量が入っていると美味しそうには感じられない。また少な過ぎても駄目。今では末娘バッタに煩く注文している自分に呆れているが、この美学は十分納得のいくものと思っている。ただ、ちょっとサイズが小さ過ぎまいか。


珈琲専門家がもう一人いるが、ゆったりと珈琲カップを愛でつつ味わうなんて時間的余裕が未だなさそうである。



そんな思いに耽っていると、値段を見て迷っていると思ったのか、「良かったら、取って置きますよ。」と声が掛かって我に返る。

まさか贈る相手を吟味していたとも言えず、ぜひお願いしますと、にっこりと返事をする。そうして、本当に手に入ったらどうしようか、どう渡そうか、とどきまぎしてしまう。

暫くは心ときめく時を楽しもうか。







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2016年1月5日火曜日

白鷺飛来






まどろみの中でメッセージ着信を確認する。
目覚めてから、何事かと覗いてみると実家の母から。
「庭の松の木に白鷺が飛来。クリックして大きくして見てください。」とある。

白鷺とは、まあ、なんと縁起の良いこと。

騙された思いでクリックすれば、確かに大きな鳥が澄まして松の枝に止まっている。我が家の近くで熊や蛇は見たことがあったが、白鷺とは驚き。

母が撮ったものなのか、誰かが撮ったものをもらったのか。とにかく、すごいシャッターチャンス。まさか白鷺の飛来が報じられていたわけでもあるまい。

一気に嬉しくなってしまう。勝手に、幸福を運ぶ鳥として一気にランクアップ。

まだ松の内。おほけなく、世の中の人々に幸多からんと願わずにはいられない。









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2016年1月3日日曜日

茶色の皮手袋




左手がないと気が付いた時、いつもの様な切迫感も逼迫感も悲壮感もなかった。

失くした時がコンサートの帰りであることは分かっていた。

冬にしては暖かな日々が続いており、手袋を外すことが多かっただけに、こんなことなら、最初から手袋をしていなければ良かったのにと思うも、車の中を見ても、鞄を見ても見つからない。そして、ふと思い立ち、前回失くした手が右手であることに気が付き、こんなこともあるのかな、とちょっと大きさの違う左手の手袋をしてみる。左右のサイズも形も違う手袋であっても、手を寒さから守ってくれることには違いない。そう、ほっとしたことも事実。


一週間ばかり家を空け戻った日に、末娘バッタをバイオリンのレッスンに連れて行く。帰り道、末娘バッタが先生の家に携帯を忘れてしまったと大騒ぎするが、我が家に戻ってしばらくすると、トランクに見つかったと報告がある。暗い中、大慌てするからよ、良かったわね、と笑ったものだが、その夜、改めてトランクを開ける機会があった際、そこに失くしたと思っていた茶色の皮手袋の左手が見つかる。

ひんやりとして、手にはめるとぴしっとした装着感が嬉しい。
両手を握りしめ、優しく口づける。







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2016年1月2日土曜日

神のおわす国、臺灣






左肩の調子が今一つ。
せっかくだから鍼治療をしてもらおうか。台湾に住む双子の妹から、以前ピアノの伴奏の練習で腱鞘炎になりかけたところを治してもらったという話を聞いていた。その先生とやらに、お世話になりたいとメールを出したところ、すぐにアレンジするとの返事。ちょっとばかり楽しみにしていた。


と、空港に着くや、あの先生は人気があってあんまりに多くの人を治療するのでご自分が疲れてしまって今は患者を取っていなという。それで、ご縁があるならぜひと仰る先生がいるのだけど、と言われてしまう。異存がある筈もない。


が、その先生とやらにアポを取ってくれた姪っ子から、八百屋に行ってこれと思う丸い果物を、やはりこれと思う数だけ持ってきて欲しいらしいよ、と言われ、ちょっと違和感を覚える。肩のマッサージに果物って関係があるのだろうか。


それでも、素直に大きなポムロを購入。そうして、くだんの場所に連れて行ってもらい、ああ、そうか、と納得。そこは個人宅ながら、お寺の様で、玄関で長いお線香をもらい受け、お祈りをする。


紙に生年月日と氏名を漢字で記入し、今思う漢字を一つ書いて欲しいと言われ、思わず「命」と記す。

そこに、普段着の女性が現れる。この歳は身体の不調があって当たり前と言われる。全世界的に同じなのだろう。刺激の多い食事はご法度。珈琲ももっての他、と言われる。それから、色々な話をしているうちに、もう何年も前に離婚をしたこと、星が瞬く時間から出社し、夜の帳が降りてから帰宅すると分かるや、真剣に台湾に引っ越せないのか、と言われてしまう。


台湾だって生活は大変であろう。そう言うや、「臺灣には神がいらっしゃる」と答えが返ってくる。なんだか、ひどく嬉しくなる。目の前の女性は全く裕福さからは縁遠いと思われる格好をしており、私が価値を置く人生の充実さなど全く気にしていないように思われる。そんな相手から、こちらの世界にいらっしゃいと真剣に言われるのだから世の中分からない。心の底から臺灣における生こそが最高と思っていることに、敬意の念さえ覚えてしまう。


ところが、今度は私の名前の漢字を取り上げ、この名前は旦那といつも意見が合わずに喧嘩ばかりして別れる運命にある、と言われてしまう。女友達には恵まれるが、男運は全くないと言う。なんだってそんなこじつけがあるもんか、とこちらは思っているが、そうも言えず、まあ、一回目はそうでも、次の出会いは大丈夫でしょう、などと冗談を言えば、真剣に名前を変えねばならない、と言われてしまう。もう何十年もこの名前と付き合っているのだし、愛着以上に、やはり自分自身なのだから、そういう言い方もないだろうと思うが黙っている。そりゃあ、旦那と別れたと知っているのだから、そんなことが言えるのだと思う。大体、真剣に考えて名前を付けてくれた親への冒涜じゃあるまいか、とさえ思ってしまう。


それでも、ちっとも嫌味でもなく、真剣そのもので言われるのだから、困ってしまう。それで、肩に関しては、医者に行きなさいと言われてしまう。勿論、漢方医である。なんだか可笑しくなる。そうですか、と言えば、今度はかなり強引に近所の漢方医に連れていかれる。本当は、もういいのだが、そうも言えなくなってしまっている。それ程に相手は真剣に心配をしてくれている。なんの薬なのか分からないが、調合してもらい、取り敢えず数日分をもらい受ける。温かな心遣いのみ大事に頂戴し、お礼を言って別れる。


神のおわす国、臺灣。気が遠くなる思いをしながらも、貴重な時間を割いて連れてきてくれた双子の妹を思う。彼女にとっては、既にそれが日常となっていることに新たな発見を感じる。気のせいか肩の痛みがなくなっている。


ふと見上げれば、横たわる青空。







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謹賀新年 2016







謹賀新年

昨年は大変お世話になりました。
新年が希望と夢に満ち溢れ、平安な年となりますように。


比叡山の中腹からの琵琶湖一景。
ふと隣に紀貫之を感じ、彼と一緒に琵琶湖を愛でているような心持に。


世の中は かくこそありけれ 吹く風の 目に見ぬ人も 恋しかりけり



やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり



皆々様に幸多からんことを!








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