2014年11月30日日曜日

気付けずにいる魅力




友人からメールが届く。
「滞在もこの先まだまだ続きそうだし、やっぱり好きにならなきゃダメね」


そうか。彼女は未だ魅入っていないのか。
旦那の仕事関係で家族そろっての移住。そして、旦那は一人アフリカの地に単身赴任。彼女は一人、異国の地で子供達と生活をしているのだから、大変なこともあろう。奮闘の毎日に違いない。


そうか。彼女は未だ知らないのか。

夜のパリにそびえたつ、べっこう飴のようなエッフェル塔。パリにいるなら、どこからも見えるし、どこにいても確かめたくなるし、いつだって我々を見つめてくれている存在。

夜中のパリのドライブ。時に真っ白なショートケーキのように思える凱旋門の堂々とした威厳ある建物。アンヴァリッドの煌めき。サクレクールの白亜の貴さ。

夕方パリの街を当てもなく歩きまわり、アパートの窓から別世界を垣間見る楽しさ。ふと立ち寄ったカフェの香り。

そして、何よりも、空港に降り立つ時、オレンジ色の輝きが出迎えてくれていることに心震え、優しい気持ちでいっぱいになる瞬間。


そうか。彼女は未だ気づいていないのか。
枯れ葉の落ちる姿を魅入る余裕がない日々なのだろう。

こんなに魅力で満ち溢れているのに。
こんなにも愛で満ち溢れているのに。




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2014年11月23日日曜日

今年のボージョレヌーヴォー




初物好きの日本人には大いに魅力となる、今年のワインのお初であるボージョレヌーヴォー。11月の第三週木曜に解禁。その日のフランスの新聞には何故に日本であれ程人気があるのか分からないと書かれてあった。四季折々に沿って、季節感豊かな日本ならではの粋なこと。

未だ青く、爽やかなジュースの様な味わい。そのものの価値なんて、人それぞれ。フランスでは2ユーロから始まって、せいぜい7ユーロの商品が、日本では50ユーロ辺りでもバカ売れするらしい。

日本人としてのDNAが疼くのか、実は、この初物に弱い。バッタ達が三匹とも11月生まれであることも手伝って、11月の印象は濃厚。赤ちゃんと密着生活からちょっと解放されて買い物に出た先でカートに積まれ賑々しくボージョレヌーヴォー解禁!なんて垂れ幕でもかかっていようものなら、有頂天で一本明るい楽しい絵柄のラベルのものを購入してしまうこと、三回。こうなると、毎年、恒例のように一本は味見をしていた。

そして今年もちょっと遅れて土曜にいそいそと手にしていた。

夜は、ちょっとした意見の食い違いでパパのところには行かずに残った末娘バッタと一緒。手羽の塩焼きを肴に、真っ赤でフルーティーなボージョレを頂く。日本人が初物を好きな話から始まり、、、色んな話をしたはずなのだが、実はあまり覚えていない。気が付いた時には、彼女が「ママ、もう一本飲んじゃったの?」と聞いていた。それから、多分、ちゃんと洗い物をして、お風呂に入って、、、。末娘バッタとどうやら一緒にベッドでヴィデオを観て、そのうちに寝てしまったらしい。

早朝からサッカーの練習があるので、会場に連れて行って欲しいというので起こされるが、さすがに爽やかな目覚めとはならない。お腹は未だカポカポしている気がする。せっかくの粋なお初物も、度が過ぎると興醒めか。いとわろし。

いえいえ、今年のボージョレヌーヴォーは、なかなかのお味。気が付いたら一本空けちゃうぐらいに!




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2014年11月17日月曜日

あと4年



ママは僕が学校で何をしているか全く関心がないんだよね。僕なら、2ndeの子供の学校の説明会には、たとえ10回目でも行くよ。

思いもかけない息子バッタの言葉に、一言もない。
来年4月に中国語クラスで二週間中国に行く学習旅行の説明会が来週水曜にあると聞かされ、すかさず、行けないわ、と答えた後だった。二年前に長女バッタが参加しているし、詳細は書類で知らされる筈だった。長女バッタが、自分がママの代わりに行ってあげると言っても、息子バッタの剣幕は収まらなかった。

高校の入学式にも来ていない、クラスの説明会にも来ていない、何にも来ていないじゃないか。

いや、だから、入学式は諸々の事情があって行かなかったけど、説明会は毎年恒例。各教科担当教員のオンパレードは楽しいけれど、正直、どうしても行かなければならないとは思っていなかった。勿論、これまで毎年参加していたからこその判断。それよりも、来月ある、各教科担当教員とのマンツーマンの面談は、何があっても行こうと思っていた。勿論、父親が行くなら、彼に譲るけれど。

でも、これまでほぼ親が呼ばれる学校行事には参加してきたのに、どうしたのだろう。確かに今年は、学校に足さえ踏み入れていないことは確か。新しい仕事に慣れるためも大きな理由だが、あんまり足を向けたくないことも事実だった。しかも、バッタ達はもう大きいではないか。そうそう親が顔を出すと、煙たがるだろう。

そう思っていただけに、彼の言葉は胸に応えた。

先日、友人が、最近息子と旦那の親子関係が難しいと言っていたことを受け、息子バッタは、父親の帰りが遅いからだよ、と指摘していた。ママのようにね、と付け加えることも忘れずに。

そうか。バッタ達は成長したと思い、こちらは思いっ切りガンガンに飛ばして仕事をしてきたが、やはりその影響はあるか。自己満足の世界をしてしまったのか。頭をガツンとやられた思い。

長女バッタがポツンと言う。
ママ、あと4年でみんな卒業しちゃうから、あと4年間だけだよ。

夕方6時に学校に行くには、会社を5時前には出ないとなるまい。
それでは、そうしようか。いや、そうせねばなるまい。

息子バッタが作ったというクスクスを口に運びながら、心に決める。




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2014年11月16日日曜日

夜道



終電には未だ早いと思われる時間。大勢の人々がそれぞれのストーリーを背負って地下の駅から駆け上がってくる。運行している路線バスはなく、唯一の頼りのタクシーも見当たらない。駅前にびっちりと停車していた車の列は、申し合わせたかのように次々に人を乗せ、一瞬のうちに消え去ってしまっている。

静寂に取り残される。

夕食をとるタイミングを逸してしまっており、空腹を痛い程感じる。さて、歩くしかないか。申し訳ないぐらい、ブーツのヒールの音が響き渡る。

冷たい空気が頬に迫るが、そのうちに身体中のエネルギーが体内を駆け巡り、心は爽快感で満たされ始める。何だか、高尚なことをしているような気持にさえなってくる。

この瞬間を独り占めした優越感に酔いしれ、我が家の門をくぐる。




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2014年11月9日日曜日

砂糖とミルクと卵




砂糖とミルクと卵、この三つが優しく融和してオーブンから香ばしい湯気が立ちあげている。バッタ達の嬉しそうな顔を思い浮かべる。

今年は未だ、ゆっくりと誕生日を祝ってあげられていない。息子バッタは目玉焼きが欲しいと言ったので、当日はご飯に目玉焼き。忙しいママに気を遣ってのことだと思うと、心痛い。それでも、丁寧に薄っすらと膜が張ったぷっくらとした目玉焼きに本人はご満悦。

長女バッタの誕生日の日には、電話で末娘バッタにオーブンでポークをローストしてもらったが、我が家に遅くたどり着くと、皆待っていて、つい声を荒げてしまう。夜9時以降の夕食何てありえない。先に食べていてくれないと。長女バッタが涙目で訴える。ママのこと待っていたんだよ。楽しみにしていたのに。

そして、今日は末娘バッタの誕生日。ママと一緒じゃない誕生日なんて嫌、と半泣きだったが、パパだって皆と一緒に誕生日をお祝いしたいのよ、と送り出したのが昨日。今夜は彼女の大好きなちらし寿司にしようかと思っていたが、昨夜遅くまで電話やメールをしてしまったので、どうも身体が重い。寿司飯だけで勘弁してもらおうか。とても魚屋さんに行くエネルギーは湧いてこないし、日曜は午前中で閉まってしまう。

そこで、デザートをと思い立つ。でも、何にしよう。ゼリーには寒すぎるし、小麦粉を使わないとなると、かなり制限されそう。

このところ、息子バッタがアレルギーなのか湿疹が絶えない。小麦粉やシリアルを止めてみようか。しかし、そうなるとパン、ビスケット、コーンフレークがダメとなり、正にそれを主食としている彼にとっては、何を食べてよいのか分からな状態。本当は牛乳がダメなのかもしれない。ナッツが原因かもしれない。卵なのかもしれない。わからないけど、彼が一番食べるものを止めてみるのも、悪くないかも知れない。そんな思いで提案してみると、あっさりと受け入れてくれる。

それならと、卵、ミルク、砂糖でプリンを焼くことにしよう。
もうすぐパリから帰ってくるバッタ達。そして、思い切って暖房もつけよう。
暖かな家で待っていよう。


外は暗闇が静かに迫っている。



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2014年11月8日土曜日

茶色の手袋




雨が降った後の濡れた小道を小走りに進みながら、冷気の中の緑の香ばしさに思わず微笑む。慣れっこになった暗闇の朝。ポケットに手をいれるが、いつもある筈の手袋が見つからない。しかも悪いことに、片方だけがない。

両方ないなら、どこかに置いてきたのだろうと思える。片方あるということは、いつものようにポケットに忍ばせていた筈なのに、一つだけない、ということになる。そして、恐らく、一つだけ入れ忘れたのではなく、一つだけ何かの弾みでポケットから落ちてしまった、ということになる。

前日の夜を思い出す。バスの後部座席に座り、携帯を見ていた。携帯でメッセージを書くときは、必ず右手の手袋を外す。そうか、あの時は手袋を使っていなかったのか。やけにバスが暑かったことを思い出す。ひょっとしたら、バスの中で手袋を脱いだのだろうか。

バス停からの帰りはどうだろう。夜遅く、バスの中とは違い、寒かったに違いない。手袋をしていた筈。でも、走って帰ったから、手袋はしなかったかもしれない。

記憶はなんて曖昧なのだろう。

昨日走った小道を逆にたどっていることになるが、どこにも手袋は落ちていない。

バスの通路に落ちた片手の手袋が目に浮かぶ。きっと、ポケットから携帯を取る時に、一緒に手袋も外に出て、落ちてしまったのだろう。前日にメトロのプラットフォームに落ちていた毛糸の黒い片手の手袋が思い出される。ひどく気の毒に思ったが、あれは何かの予兆だったのか。

自分の手にぴったりとはまる茶色の手袋は、もう体の一部のように感じていたし、なくすことなんてありえないし、受け入れることなんて、とてもできない。


仕事をしている間は、手袋をしないので、思考を過ぎることもなかったが、夜、外に出て、冷たい風に吹かれ、手袋のことを思い出す。メトロのプラットフォームで我が家に電話を入れる。長女バッタが出てくれるが、とても聞こえにくく、辛うじて、ママの手袋は見なかった、との返事をもらう。


そんなに失いたくないなら、いつでも手につけていればいいのだろうが、そうもいくまい。

失いたくないもの。
それは腕に抱えていても、いつかはすっと消えてしまうものなのだろうか。


我が家に走り帰り、外套を掛けておくハンガーの下をのぞく。
バッタ達のたくさんの外套の下はスポーツの鞄やサックが積まれていて、その中に、ひっそりと片方の手袋を見つける。

思わず大声をあげ、バッタ達に報告。
何の変哲もない茶色の手袋。それに対する思いは誰も知るまい。




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