2014年4月26日土曜日

癒し、そして出会いをもたらす音楽







「いいかい。親は何を言っているんだろうって思う時があるだろうけど、大人になってから、よくよく考えると、実は大抵は親の言う通りだったな、と思うもんなんだよ。」

ドングリの様な円らな眼を一層大きくして、ダヴィッドが末娘バッタに語る。

「その『大体』っていうのが曲者なのさ。『大体その通りだった』、つまりは『ちょっとは違っていた』、ってことは『やっぱり違っていた』ってことで、とどのつまりは『全く違っていた』ってことになるのさ。」

ダヴィッドが真剣であればある程、ちょっかいを出してからかう声が掛かる。40代であろうか。がっしりとした体躯と彫りの深い精悍な顔立ちながら物腰が柔らかく、フットワークが軽い彼を、恐らく孫のように信頼し、可愛がっているのであろう。と、その声が今度は末娘バッタに向かう。

「いいかい。そもそも誰それの意見だからって、それを真に受けちゃいけないんだよ。誰かが白だ、黒だ、と言ったからって、それは白でも黒でもないんだ。自分の目で見て心で判断するんだよ。そして、そもそも白、黒、なんてはっきりとした色合いなんてない。分かるかな。全ては虹色なんだよ。いいかい。これから多くの人や多くのものに出会う。沢山の虹色の出会いをするといい。君は『ブルックリン』のトレーナーを着ているけど、『ブルックリン』だからこうだ、ってものはないんだよ。」

しゃがれて低いが、良く通る声。話し出すと滑らかな小川のように言葉が紡ぎ出されていく。

「あの写真、知っているかな。」

所狭しと書物が重ねられ、恐らく本人のみしか分からない秩序で楽譜が散らばり、スーツケースが転がり、壁には手紙、写真、切り抜き、覚書などが貼られている。最初からドライフラワーとして花瓶に飾られているのか、或いは、自然とそうなったのか判明のつかない向日葵。何世紀も前からここにあったと思わせる品々の中に、違和感なく鎮座する巨大なコンピュータスクリーン。恐らく著名な画家から贈られたのであろう彼の自画像が無造作に床に置かれている。そうかと思えば、眼鏡の面長な男性の自画像が壁には掛かっている。人を迎えるための空間ではなく、持ち主が生きてきた空間。だからなのだろうか。とっても落ち着く。木製の素朴な椅子に腰を掛け、すっかり不思議な空間を味わっていた私に、今度は声が掛かる。

壁にはポスターが一枚。いや、拡大コピーか。確かグランプリを獲得したとの記事をどこかで目にしている。細長い木の下で、ヴァイオリニストが物思いに耽って音を紡いでいる写真。

「あの時、私は誰かが写真を撮ったなんてことは知らなかったよ。1980年から毎年行っている日本。どんなことがあっても、毎年行っていたのだから、もう、これは『愛』と言っていいかもしれない。その日本が大変なことになった。人類の歴史始まって以来の大災害と言ってもいいだろう。自然災害と人的災害の二つを被ってしまった。誰もが日本に行くことを取りやめた。でも私は逆だった。むしろ、大変なことになっているのだから、応援に行きたい、行かなければ、と、すぐに駆けつけた。この写真が撮られた場所には、日本でお世話してくれる人と二人で行ったのさ。どこに行けば良いか分からない中で、とにかく、ここに行こうと連れて行ってくれた。以前は7万本もの松の植林地であったとは後で知ったよ。そこには、一本の木があっただけ。私は、そこでヴァイオリンを弾いたよ。いつもヴァイオリンは持っているし、いつも弾いているからね。それだけのこと。その後、この写真のことを知ったよ。誰かが写真を撮っていたなんてことは全く知らなかったんだよ。」

音楽によって打ちひしがれていた心が癒された話になり、音楽が持つ力、魅力に皆が共感し、開け放たれた窓から、初夏のようなやわらかな風が吹き込む。「音楽によって、今日の私たちの出会いもあるのさ。」魂が抱かれた思いになる。

来月、新たに日本でのコンサートが予定されている。盛岡、そして宮古島。91歳。何かを待つのではない。自分が信ずるところに自分の足で向かう行動派。求められれば快く応じ、音楽を通して自分の思いを発信している。

「誰だか、分かるかな。」帰り際に末娘バッタに声が掛かる。

シンプルな、それでも一目で大切にしていると思われる、額に入った小さなモノクロ写真。

「あっ。ポテト、、、。えっと。」
「オイストラフ。。。」
「そう、彼だよ。ダヴィッドだ。仲良しだったよ。いいやつだった。」

そうして、ダヴィッドオイストラフとの、とっておきの思い出話をしてくれる。ラスパーユ大通りの彼のホテルに迎えに行った時、車を見て、ぜひ運転させてくれ、と言われ、見よう見まねで運転をするのかと思いつつも、快諾したところ、運転席に嬉しそうに乗り込み、あのふっくらとした頬をプルプルとさせ、ブルンブルンと唇でエンジン音を立て、運転の真似っこをしたとか。時々、サイレンまで鳴らして。

まだまだご一緒し、色々なお話を伺いたかったが、翌日も日帰りで国外にコンサートに出掛けるとか。夢見心地でアパートを出ると、外は小雨。興奮した頬には心地よい。と、記念にと末娘バッタとの写真を撮った携帯をアパートに忘れてきてしまったことに気が付く。慌てて戻るが、当然のことながらコードを知らず中には入れない。紹介してくれた方に電話をしようにも、電話番号を登録している携帯がない。ひょっとしたら、おとぎ話のように、明日訪れてもアパートの扉もなかった、なんてことになるのではないかと、焦ってしまう。

天は我に味方せり。アパートの住人が通りかかる。どうやらアパートを借りている旅行者のカップル。困っている我々を信頼してくれたのか、一緒に中に入れてくれる。慌てて階段を駆け上る。『強く叩いてください』ドアの張り紙を見つける。拳を固く作り、コンコンとノックする。「遅くにごめんなさい。私です。」

すぐに、しっかりとした足音が近づく。ダヴィッドの精悍な顔が迎えてくれる。「よく来た。携帯を忘れたね。待っていたよ。」

「遠慮せずに、中にお入りなさい。」しやがれた声が遠くでする。

すみません、と中に入ると、先程の空間は一変し、大きなコンピュータスクリーンが中央に据え置かれ、室内には音楽が流れている。ヴァイオリンを手にし、黒の革張りでゆったりとした大きな椅子から、円満の笑みをたたえた顔がこちらを見ている。明日のプログラムの最終点検か。我が家の庭から持って行ったリラの香りがかすかに届く。







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2014年4月24日木曜日

会いたくて





会いたくて
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2014年4月18日金曜日

夜明け前の花泥棒







『リラだけは枝で花を咲かせないと駄目』、とはご近所の80歳になるマダムの言。引っ越してきた年に、『リラは咲いた枝を伐らないと良く年花がつかない』と教えてくれたのもマダム。

実は昨年、どうも気力が湧かず、見事に咲いた枝をそのままにしてしまっていた。道端で華麗に咲き誇るリラの樹木を見上げ、全く手入れなどされていないのに、毎年美しく咲いているではないか、とちらりと思ったことも原因の一つ。

そして、この春。駆け足で初夏の陽光が満ち溢れる中、リラはむくむくと新芽を出し葉を広げ、黄緑色の蕾の塊が突き上げるように枝の先から伸びてきていた。が、確かに昨年の枯れた花が残っている枝には新たな花芽はない。マダムの仰る通り。

と、マダムの庭に目をやるが、リラの花が見当たらない。毎日のように庭の手入れをしているマダム。常に大仕事に取り掛かっていて、枝を容赦なく伐採する気風の良さと元気さには感服している。でも、時々やり過ぎてしまう。以前もジュダの樹を伐り過ぎて枯らしてしまっていた。今回も、思い切りよくリラを伐ってしまったのか。

例年に比べ数は少ないとはいえ、南に面した薄紫のリラが可憐に咲き誇り始め、次に濃紫のリラが甘やかな芳香を撒き散らし始めた。そして純白のリラが一足遅れて白い塊を緑の葉の茂みから見え隠れさせ始める。

いつもならリラの好きな友人たちに届けるのに、学校のバカンスで皆出払っている様子。一人の友人がぜひ欲しいと言ってきてくれていたので、そろそろ出荷の時期とばかりに連絡する。
「今日あたり、リラいかがですか。」
夕方6時に、「嬉しいです。散歩がてらに寄らせてください。何時ごろがいいですか。」と返事が来る。
「いつでもOKです。それでは伐ってお待ちしています。」
薄紫をたっぷりと純白のリラを選ぶ。白はもう少し待った方が良いのかもしれないが、薄紫は今が花盛り。

夕方の散歩とは洒落たことを。
そう思いながら佇んでいると、薄ら寒くなってくる。車で届けようかしら、と一瞬思うも、ひょっとすると夕方の散歩が夫婦の日課なのかもしれない、などと思ってしまう。

そうこうしているうちに、9時。夏時間となり日暮れが遅いとは言っても、室内は照明なしでは薄暗くなっている。流石にお互い、何か勘違いしてしまったのかな、と思う。伐採してしまったリラが薄暮れの中でぼんやりと光っている。ひょっとしたら散歩の途中で出会うかもしれない。車で一っ走り届けに行こう。

後部座席に積まれたリラは甘い香りを静かに撒き散らす。

友人宅は既に雨戸も締まっており、ひっそり閑としている。呼び鈴を鳴らすことを躊躇ってしまう。流石に9時を過ぎている。玄関にそっと置いておいて、後でメール連絡をしよう。

「今晩は。先程玄関にリラをお届けしました。」

友人から連絡がないことから、ひょっとしたら本当に勘違いをしていて、彼女は今日はもう外に出ないのかもしれない、と思い始める。この冷え込みなら、翌朝までリラはしっとりと咲き誇っているだろう。明日の朝、玄関を開けてびっくりするかな、と楽しくなる。が、同時に、萎んでしまったら可哀想なことになってしまうな、とも思う。せっかくリラを受け取った友人も、がっかりしてしまうだろう。

翌朝、「夜はメールを見なかったのでごめんなさい。昨日来てくれたのね。でも、なんだか花泥棒されたみたい。。。」とのメッセージが届く。

えっ?花泥棒?あの抱えきれない程の大きなリラの花束を?
そうか。誰かがちゃんと拾ってくれたんだ。萎んでしまう前に。
「OK。かえって新鮮なリラをお届けできるわ。良かったら、これから伺いますね。」

知らない誰かを我が家のリラの甘い香りで幸せに包むことができたのであれば、こんなに嬉しいことはない。夜遅く家路を急ぐムッシューかもしれない。恋人との出会いに駆けつける若者かもしれない。犬を散歩に連れ出したマダムかもしれない。明けやらぬ薄暗がりを工事現場に向かうムッシューかもしれない。どこかで甘美な芳香を撒き散らしているリラ。

心に甘やかな香りが舞う。






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2014年4月17日木曜日

流れゆく時



空はあくまでも青く、
チューリップは朱、黄のビロードの花弁を艶やかに光らせている。
鈴蘭が可憐な純白の蕾を正に鈴なりに並べ、
薔薇の蕾はふくよかさを増している。
リラの甘い香りが風に舞う。
遠くで鳥たちが鳴き競う声。
暖かな日差しを浴びながら、
蝶となり、蜂となり、
次第に猛烈な眠気に襲われる。
久々の安堵感からか。
しばし立ち止まり、流れゆく時を味わおう。






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怒ってくれてありがとう



怒っているもいないも!
一体何を考えているんだよ。怒り心頭に発してたよ。いや、信じられなかった。
えっ?だからって無視しなくてもいいだろうって?あんまりにも怒っていたから、どんなひどい言葉をぶつけるか自分を制御できないと思ったから、怒りが沈静化するまで待っていたんだよ。
もっと緊張感を持たなきゃいけないだろう。自分の立場が分かっているのか。プロとしての自覚がないよ。脇が甘いというか。友達付き合いのなあなあさを持ち込むべきじゃなかっただろう。見てみろよ。友達がああいったことをするか。友達じゃあないだろう。

身の縮まる思いで聞いていた。ひどく落ち込んでおり、自分の失態に呆れ果ててもいた。事の発端は、ある友人からのメール。彼は仲間から送られてきたメールを私に転送し、困ったよな、とボヤいてきたのである。それに対し、最近孤立して落ち込んでいる彼を励まそうと、彼の仲間のメールの内容に対し、ぞんないな口調で、彼らはモノの本質が分かっていないのよね、と書き送ってやった。そうしたところ、何を思ったか、最初の友人が私のコメントに返信する形で、関係者すべてにコピーをし、仲間に対する反対意見を書き送ったのである。

つまり、私の考えなしの、悪口や陰口ともとれるようなコメントを関係者全員が知るところとなる。しかも、私はそういった内容を知るべき立場にはおらず、友人が斯様なメールを転送してきたこと自体が既にアウト。それに対して返答した時点で、内容いかんに関わらず私もアウト。黒。漆黒。

「彼は真剣になって長文のメールを書いてきたんだ。それに対して、君はあんなひどい仕打ちをしたんだ。」

いや、だから。私のコメントはあくまで、友人をなぐさめ、彼の話し相手となるためで、決して、彼の仲間に対してのメールではないよ。そんなつもりはなかったよ。

「だから、そこが間違っているんだよ。どんな時でも、先ずは文章を書いた相手のことを考えなきゃ。どんな思いをして書いたのか。決して蔑ろにしちゃあいけないよ。」

うん。分かっている。すごくひどいことをしたと思っている。でもね。聞いてよ。彼の仲間に私が何度真剣にメールを書いたか。でも、まともな返事なんか来たことなかったよ。

「いいかい。仕事で色んな人と付き合う。色々な人がいるよ。手際の悪さにイライラすることもある。でもね。そういう時は、いつだって考えなきゃいけない。皆、自分たちのベストでやっているんだって。」

分かっている。分かっているよ。私も、いつもそう思ってきたし、今もそう思っている。
メールにも気を付けていた。ひどいことを書いちゃいけないって思っている。その時の感情で書いたことが残ってしまうし、一人歩きしてしまうこともある。
分かっていたのに。
焦ってしまったの。彼の提案がこれまでのプロジェクトを覆すんじゃないかって。
馬鹿だった。後悔してもしきれないよ。

「君は、君自身であればいいんだよ。焦る必要なんかないよ。」

本当は落ち込んでいる時に慰めの言葉が欲しかった。気にするなって。そういうことも、あるよ、って。これから気を付ければいいよ、って。まさか怒っていて、電話にも出てくれないとは思ってもいなかった。

信頼を失ってしまい、失望させてしまったことは、沈黙の期間の長さで感じ取れ、一層辛く感じた。

「ほら。でも、今こうして電話をしている。頑張れよ。」

驕りはなかったか。謙虚さが人間として重要だとうそぶいていながら、自分はどうだったのか。

これから、丁寧に、丁寧に生きて行こう。
Le changement, c’est vous.
真剣になって怒ってくれてありがとう。







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2014年4月14日月曜日

笑顔が戻る






こんな時ってある。

ちょっとした拍子に手に大切に抱えていたボールを落としてしまい、ボールは坂道を転がって行き止まりそうにない。走って追えば、砂利道で転んでしまい膝を擦りむき血がにじみ出す。履いていたお気に入りのジーンズは穴が開いてしまう。手のひらは擦り傷でヒリヒリ。そして何よりもボールは見当たらない。喪失感、虚脱感。

大きく膨らんでいた風船が急に萎んでしまったかのよう。
上っていた梯子を突然外されてしまったかのよう。

散歩をしても何も目に入らない。歩き続けても、いつものように頭の中で物事がストン、ストンと整理されない。
何を食べても、何を飲んでも感動しない。
心ここにあらず。

そんな時は、手当たり次第に本を読むか、音楽を聴くか、映画を観るに限る。
流れに抗わずに、流れに身を任せる。我武者羅に現状打破を狙っても、波にのまれてしまう。


そのうちに、ふと悟る。
どんなに頑張ったって、自分は自分でしかない。静寂の中で自分の立ち位置が見えてくる。
一足早く訪れた初夏の様な陽気で、濃厚な紫色の花房が馥郁たる香りを撒き散らしている。


気が付くと、見失ったと思ったボールを取り戻している。ボールをリラの香りの中で高く空に放る。
パシンッ。
真っ青な空に弧を描いて戻ってきたボールを両腕で受け止める。

笑顔が戻る。




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2014年4月10日木曜日

末っ子の遠慮



「お母さん、いらしてください!」
土曜の午後。ヴァイオリンのレッスンをしているバッタ達を余所に、ママ達同士でおしゃべりに余念がない。これまでは子供たちのレッスンには必ず同席し、音楽を楽しんだものだったが、どうやら、そういった母親の思いが煩わしいと思う年頃とかがあるようで、別に頼まれたわけでもないが、二回に一度は日向ぼっこを決め込んでいた。同年代のママ達とティーンを持つ親の悩みや、日常の他愛もないことを話すことは、実に良い気晴らしになる。気の置けない仲間とのおしゃべりこそ百薬の長であろう。

そこに、呼び出しを受けてしまう。

鳶色の瞳を大きく見開いて、ポーランド出身のアナマリアは、信じられないといった様子で報告する。末娘バッタに弓の持ち方を指導している際、どうも様子がおかしいので正してみると、指が痛いとか。アナマリアが末娘バッタの弓を手にしてみると、確かにフロッグの形状が固く、指の原を痛め、しっかりと持てないという。母親として、知っていたか、と聞かれてしまう。

末娘バッタの顔を呆れ顔で見てしまった。全くそんなことは聞かされていなかった。しかも、その弓は、息子バッタから譲られた4分の3のヴァイオリンと一緒についてきたもの。つまり、もう2年近く使っていることになる。黙っていたのか。

「これが当たり前かと思っていた。」

いや、だって。肩当てが合わない、顎当ての場所を端から中央に変えると言っては、何度アトリエに通ったか。いや、待て。いつだって、それは姿勢の悪かった息子バッタの為であったか。

ふと彼女のジーンズに目をやる。膝に穴が開いている。長女バッタのお下がり。この間、膝を突いて破れてしまったと言っていた。そう言えば、このところ急に背が伸びたのか、これまでのズボンは小さくなったと言っていた。長女バッタのジーンズではぶかぶか過ぎるとか、生意気なことを言っていたが、確かに足の長さは私と一緒。一方でウエストや脚の細さが一緒の筈がない。未だにインパラやガゼルの肢体。そうか。一本だけ履けるジーンズを何度も洗って生地が薄れていたに違いない。

遠慮、か。

四泊五日の学習旅行に行って主のいない部屋に入る。ベッドメーキングは綺麗にされており、洋服ダンスも整然と片付いている。旅行の用意も一人で全部揃えていた。現金が手元にないと言えば、自分のお財布からお小遣いを出していた。朝早く空港で集合と言うので、こちらとしては冗談で、近所に友達はいないのかしら、と言えば、一人で友達と一緒に早朝出ていくように取り計らっていた。

末っ子って、もっと甘えん坊なのかと思っていた。

遠慮、か。

息子バッタを連れて買い物に行く。末娘バッタのジーンズを3本、彼女の好みのシンプルでスリムなものを買う。Tシャツも一つ選ぶ。ついでに、矢張り大きくなった息子バッタのトレーナー、Tシャツを購入。

末娘バッタの友達のママからSMS。「空港の夜の迎え、良かったら家の子と一緒に連れて帰るわよ。」

申し出に感謝するも、丁重に断る。
「ママ、迎えに来てね。」と小さく囁いた末娘バッタの声が未だ耳元に残っている。

それで、どの便で帰るんだっけ。

どうも三人目となると親は緊張感が薄れてしまうらしい。手渡された筈の旅行計画の紙が見当たらない。それでもね、愛情だけはこんこんと湧き出ているのよ。末娘バッタの思わぬ遠慮の様子が、意外に自分の子供時代に似ている気がして頬を緩める。ヴァイオリンも遂にフルサイズを見なくては。今度の週末は、一緒にアトリエに行こう。





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2014年4月8日火曜日

逞しい生命力





驚くなかれ。
二月中旬にサンパウロで手に入れた種。
臺灣の幼い姪っ子が「腰のまがったお婆さん」と呼んでいて、大好物の、くの字に曲がっているナッツ。

あのナッツが、実はぽったりとした果実の先端にくっついていることを知り仰天。早速その実を味わい、先端についていた種を大切に持ち帰って、鉢に植えたのが三月に入ってすぐ。

マンゴやパイナップルと一緒に、一番日照時間が長い末娘バッタの部屋の窓に、小さな植木鉢を置く。何の変化もない日が続くが、時々水を与え、あの固い殻がふっくらと膨らみ、芽を出し始める様子を思い描く。

そうして今日、学校の学習旅行で主のいない部屋に入り、ふと目をやると、どうやら土が盛り上がっている。よくよく見ると、白い芽が土を破って出んばかり。

なんと!

冷蔵保存はしていないし、種は生きていると願ってはいたが、入手してから二週間は経ってしまっており、かつ、あの固い殻に傷でもつけて芽が出やすいようにしてあげれば良かったか、と思っていただけに、この快挙に沸き立つ。

末娘バッタが帰ってきたら、真っ先に教えてあげよう。
カシューナッツの逞しい生命力に、こちらまで奮い立つ思い。






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2014年4月7日月曜日

コートを羽織ってのバーベキュー



夜の7時頃に。デザートを持ってきてもらえると嬉しいな。

もう二十年以上になる付き合いの友人家族からの夕食の招待。必然的な偶然によって近所に住むことになり、子供達も同じような年齢であることからも、何かがあると会い、何かがなくても会っている。初夏の様な陽気が続いているが、きっと庭でバーベキューに違いない。息子バッタがクラスの夕食会とやらで夜はいない。本人はスーパーでピザを買って持っていくとしていたが、ケークサレを作って持たせようと思っていた。

グリュイエールを粗く切り、パルメザンを削り、インゲンを薄切りに。アーモンドを刻んでおく。チョリソにしようかベーコンにしようか迷うも、辛いし、ニンニクの匂いが苦手な子もいるかもしれない、とベーコンに。卵、牛乳、小麦粉、を混ぜて生地を作り、予め切り刻んていた食材を入れ、そこにオリーブオイルを。とっぷりとした生地をオーブンで香り良く、こんがりと焼き上げる。

ケークサレは、こうして午前中に準備万端となったが、デザートはどうしようか。

考える暇もなく、ヴァイオリンを持ってモールの森に。夕方、帰ってきてから、マジパンを入れた、しっとり大人の生姜入りチョコレートケーキにしようと思い立つ。生姜のコンフィは上手いこと冷蔵庫に保管されている。

前回はアーモンドプードルからマジパンを作り始めるが、手元にあったカラフルなマジパンを使ってしまうことにする。アーモンド含有率40%以上とあるから、そう悪くもあるまい。砂糖と一緒に撹拌。そこに卵を一つ一つ時間を掛けて混ぜていく。とろりとしたら、牛乳で伸ばし、小麦粉をココアと一緒に、だまができないように入れ混ぜる。生姜のコンフィは適当な大きさに刻み、小麦粉にさらりと絡める。ちょっと量が足りないかな、と思うが、まあ、ままよ。板チョコを半分、粗く刻む。生地に混ぜ、溶かしバターを回し入れる。おっと、バターが足りない。基本的にバターを常備しておく習慣がなく、しまったと思うが、サラダ油で補充。あとは180度に熱したオーブンで焼くだけ。

玄関で息子バッタが会場に送って行って欲しくて、お願いコールをしている。オーブンに入れてから10分後に、ナイフですっと切れ込みを入れる必要があるのだが、そこは長女バッタにお願いし、車のキーを手にする。

オーブンから幸せな香りと一緒にケーキを引き出し、慌てて友人宅に向かう。相変わらず綺麗に庭が整っており、大きな明るい笑顔で皆が迎えてくれる。トレーナーやコートを羽織りながらも、庭で美味しいお肉をたっぷりといただいた後、皆でチーズは遠慮して、デザートにしよう、となる。先日の地方選に投票したと言って私を驚かせた友人夫婦の娘さんがキッチンに立つ。バッタ達もお皿のお手伝い。そうして、皆で現れた時には、先程のチョコレートケーキにロウソクが立っており、火が点っている。

「まあっ!」
友人が隣で声を上げ、顔を押さえている。
こちらも、びっくり。

どうやら、誕生日は翌日らしいが、娘さんが機転を利かせ、一日早く私たちと一緒にバースデーケーキを楽しもうと演出してくれた模様。大声で、中国語、フランス語、英語が混じりながらのハッピバースデーの歌を皆で合唱。

ハッピバースデー。
家族に囲まれて幸せそうな友人。その場に居合わせ、一緒にお祝いできて最高の気分。
ご招待ありがとう。この一年、幸せで一杯の年となりますように!





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2014年4月2日水曜日

コペルニクス的転回



だって!ここは、それを意図して書いてはいないんだから。
そうじゃないよ。その大切さは分かるよ。でも、ここで入れたら観点が違っちゃう。
ええっ?そんな自明なことをわざわざ明記する必要ってあるの?

上達の近道は「素直さ」。学びの基本姿勢でもる。
分かってはいても、褒めてもらいたくて見せた作品を批判され、改善点とやらを列挙されると、自己弁護や言い訳の言葉が、しかも、相手の主張を受け付けない格好で飛び出してしまう。

最後には泣きそうになってしまう。これまで相談したくても、ちっとも時間をとってくれなかったじゃない、と恨みつらみの言葉となり、良いところを一つも言ってくれていない、自信喪失、と、我が至らなさを相手の過失であると押し付けんばかり。

そんなことはないよ。とっても良くできているよ。一語だって削っていないじゃないか。文章の変更もしていない。駄目だったら、傍線を引いて削っているよ。

ふっと冷静になる。
ごめん。いや、分かる。分かるよ。そうだよね、その通り。せっかく大切なポイントを示唆してくれたのに、突っぱねてしまってごめんなさい。
漸く素直な言葉が出てくる。

「分かっているよ。それに、そうじゃなくっちゃ、君らしくない。」
えっ?どういうこと?素直じゃなくって、短気で、常に強固に自己主張するってこと?
ごめん。せっかくアドバイスしてくれているのに、嫌になっちゃうよね。
「見方次第だよ。」

ん?いつだって本気で、何事も真面目に捉え、真剣だからこそ食らいついてくる性格として好ましいと思うか、自我が強くて他人の意見を受け入れようともしない嫌な性格だと切り捨てるか、全ては見方次第だってこと?

にゃーおん。ごろごろ、にゃーおん。
「しっかりと述べられているよ。こういったものを待っていたんだ。」

みゃーおん。にゃおにゃお、みゃーおん。
早速、新たな視点を取り入れ、書き直そう。
物事が立体的に見え始めてくる。






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