日々の出来事を時に楽しく、時に真剣に、大いに心ゆくまで語ることで、自分の時間を生きていることを実感していきたい、そんな風に思っています。そんなクッカバラの囀りを、時々皆さんのお耳にもお届けし、思いを共感、共有できたら、などと夢見たいなことを願っています。さて快い囀りと響くでしょうか、喧騒と響くでしょうか。。。
2013年8月30日金曜日
パピーとカーウェイ(雨合羽)
そういえばさぁ、パピーってママのこと大好きなんだよ。
突然、息子バッタが言い出す。
パピーとはフランス語でおじいちゃん。日本のパピーは既にバッタ達がこの世に誕生する前に他界しているので、パピーと言えば、彼らのフランスのパピーのこと。
日本の話をよくしてくれるし、
ママからもらったカーウェイをいつも嬉しそうに着ているよ。
そして、ママにちゃんと使っているよ、ありがとうって伝えてね、って言うんだ。
あらあら。
これだから子供は当てにならない。そのメッセージ、これまで聞いたこと、なかったもの。
それからさぁ、ママと蟹を釣りに行った話もしてくれるよ。
ママがバケツいっぱい、たくさん蟹を捕ったんだよね。
にんまりと笑顔になる。
パピーはブルターニュにある小さな島の出身。普通なら、島の人間は島の人同士で結婚し、仕事も島で、あるいは、対岸の町近辺となるところ、胸に大望を抱いてパピーはパリに出る。仕事をしながら学業を続け、通関士となり、職場恋愛の末、今のマミーと結婚。マミーはボルドーの出身で、しかもバスク系やイタリア系の血が入っており、とにかくも、島の人間ではないことから、パピーの家族はその結婚に大騒ぎをしたとか。
パリ近郊からナントに転居し、そこで長いこと勤め、二人の子供を育て上げ、最後の職場としてマミーの故郷であるボルドーに居を構え、数年前に目出度く引退。
パピーの小さな島には、毎年夏に子供たちを連れて遊びに行っていたが、こつこつと貯金し、丘の上の海が見渡せる場所に家を購入。今では、そこに年の半分以上は住んでいる。
その小さな島は冬こそ数千人の人口が、夏になると観光客で膨れ上がる。教会の塔の上には風見鶏ではなく、風見鮪が威勢よく風を切って大海原を見渡していることが特徴。そこの教会で結婚式を挙げた時には、日本人は初めてだとかで、村中の人々が祝福に道に出てくれて、お祭り気分が楽しかったことを思い出す。離婚して、最も残念なことは、この島に遊びに行く機会がなくなったことかな、なんて真面目に思うときさえある。
あれは、きっと未だバッタ達が誕生していなかった時。
潮干狩りには最適の日、とかで、早速、蟹釣りに。
蟹は蟹でも、ただの沢蟹なんかではなく、しっかりと身の入った、手のひら以上の大きさの、ドーマン(眠り蟹)と呼ばれる蟹。
パピーは得意気に秘密の穴場を教えてくれ、岩場の隙間に、それこそ眠っているようにひっそりとしている蟹を見つけ出し、興奮しながら一匹、一匹と捕獲。
気が付くとバケツにいっぱいの見事な蟹が収獲されていた。
さて、そろそろ帰りましょうか、とパピーに声を掛けると、
まだ、と頑張っている。
ふと、パピーのバケツを見ると、蟹は半分も捕れていない。
ああ、きっと私に教えてくれたので、自分の分は少なくなってしまったのね、と思ったが、パピーは真剣。
場所を変え、海水にも随分濡れ、それでも頑張っている。
海水がそろそろ足に冷たく感じてきても、全部食べ切れない程たくさん捕れたと思われても、パピーは頑固に帰り支度をしようとはしなかった。
あの日が甦る。
パピーはみんなのことが大切だから、みんなにママの話をしてくれるんだよね。
バッタ達は、ちょっと眩しそうにしている。
雨合羽姿のパピーが目に浮かぶ。
メルシー、パピー。
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2013年8月11日日曜日
2013年8月7日水曜日
2013年8月5日月曜日
ローテンブルクの石畳
一つ一つがごつごつとした不揃いな石が
隙間なく並んでいる整然とした石畳。
馬の蹄や馬車の車輪で削られ、
雨や霙に洗われ、
雪に凍り付き、
太陽に照り付けられ、
恋人たちの一瞬の、いや、永遠の約束や、
泥棒たちの企み、
小鳥たちのお喋りをすっかりと聞き取り、
昼間のちっちゃな足の温もりや
真夜中のヒールのダンスを受けとめ、
翌日には朝露にしっとりと濡れ
新たな日を迎える。
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2013年8月2日金曜日
ブルターニュの涙
話し合いにもならない平行線。
一歩の譲歩もできない硬直状態。
迎えに行ってしまえば、
状況の改善にも、解決にもならず、
問題回避にしか繋がるまい。
そう思い、
踏み止まる。
そうした中で、
父親が示した解決法とは、
息子バッタを同じ通りでバカンスを過ごす彼の両親の家に預けること。
「こうすれば、お互いに会わずに済むし、これで彼も嬉しいだろう。」
そう書き送ってきた父親のSMSの最後のメッセージが痛々しい。
歩み寄りをしない二人。
悲しみだけが募る。
彼の両親は、問題解決なんて思いもせずに、
ありのままを受け入れるだけに違いない。
かつて、そうであったように。
親子といえども、
そこまで介入することをせず、
腫物を扱うように接する彼ら。
ブルターニュの荒々しい風よ
海の飛沫を高らかに飛び散らす風よ
彼らの心にあるわだかまりを洗い流し
手と手を取り合わせしめよ。
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