2012年10月29日月曜日

今宵は翻訳家を気取って




昔、そう、まだ若くて傲慢で、世界が自分の力でどうとでも動くなどと思っていた頃、
通訳や翻訳の仕事に関して、勘違いしていた。

誰かの意見を伝えるのではなく、
自分の意見を伝えたり、主張する、
そんな立場になりたい、などと思っていた。

それでも、
高校の時にノートの切れ端に書かれた文章の、真の意味が知りたくて、
手元の辞書では物足りずに、
機会があれば、色々な図書館に行っては調べ、
一つの言葉がもたらす多くの可能性を味わい、
けれど、決して探している意味合いにぶつからないことに悶々とし、
それでも、かすかな期待を持ちながら、
大学に入ると、立派な図書館に胸をときめかせて、
そこに置いてある重い百科事典のようなものを持ち出しては、
徹底的に調べたことがある。

その語句たるや、『might』。
例の彼が別れの前日にノートの切れ端に記してくれた数行の一部。(関連記事:初恋の相手との再会
I might love you.
何故、彼は、そこで、『might』を使ったのか。
いや、実は答えは単純であった。
でも、と、当時の真面目な高校生の私は自問する。
ひょっとしたら深い意味があるのかもしれない。

その当時の、アドレードの若者達での会話で頻繁に使われていた助動詞の一つであったのかもしれない。
いや、恐らく、ストレートな言い方ではなく、
やんわりと、若者の恥じらいと、
相手から否定されることを恐れての自己防御の気持ちも働いての助動詞かもしれない。
しかも、過去形にして、かなり遠まわしにして、牽制している。

なんて、今なら分析できる。

でも、当時、それこそ、筆跡からも何らかの特別な意味を読み取ろうなんて思っており、
とにかく、手がかりが欲しかった。

それから連絡不通となる相手だからこそ。

そう思うと、その当時から、翻訳という仕事の重み、大変さは十分認識していたかもしれない。

そんなことは最早どうでも良い。
さて、これをどう訳そうか。

もう二日前にもらったメールの最後のパラグラフの訳に、ひっかかっていた。

学生風に訳してみると、

僕達の、このチームが今後どうなるか、僕には分からないよ。ただ、やれる範囲で精一杯のことをしてきている、そう言えると思う。君は、その中でとても重要な役割を演じているよ。皆が君にお礼を言わなきゃならないと思う。
僕は僕で、君にお礼を言わなきゃ。君が僕に注いでくれる特別な感情に対して。僕にとって貴重なものであり、君に対しても同じように感じている。
このことによって、僕達はより強くなれるし、より美しくなれる。

微妙なことは、最後の『僕達』が、一体、チーム全体を指しているのか、或いは、僕と君、二人を指しているのか、ということ。それによって、その前の文章の『特別な感情』という訳も変わってくる。因みに、原文では『affection』が使われている。

もっと穿った見方をすれば、今の状態ならお互いに強くなれるし、それこそ美しい関係と言える。このことに感謝し、大切にしよう、と、言っているのか。
これ以上、近づいてくれるな、との牽制か。

考え過ぎかもしれないが、
これ以上の手を出すつもりもなし、
相手から別の手が出てくることを待つつもりもないし、
出てくるわけもないので、
それこそ、今のこの状態を暫し楽しんでみたいといったところ。

夜は始まったばかり。
翻訳家を気取って、行変えの意味、使われている語句の意味を味わい、行間を読み取り、
多くの可能性を探ってみようか。

大人になる、とは、余裕を持つ、ということなのかもしれない。

。。。
さて、今宵の訳は、こんな感じでどうだろう。


我々のチームが今後どうなるかまでは、分からない。だけど、取り敢えずは、出来る範囲で精一杯のことをしてきていると自負して良いと思う。君は、その中でも非常に重要な役割を担ってくれている。そのことに、チーム全体が感謝すべきだと感じている。ありがとう。それとは別に、私に対する君の思いをとても嬉しく感じている。私の君への思いも同じものだと思ってもらっていい。お互いを慕いあうことで強くなれる。そのこと自体、美しいことだと思う。




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