2012年9月27日木曜日

セ モワ


この夏から携帯の調子が思わしくない。
SMSの受信を知らせてくれない。
気がつくとメッセージが入っていることが多い。というよりも、確認しないとメッセージの有無が分からない。
受信の度に震える設定にしておいたので、これまでは震動が心まで伝わる時もあり、
あのゾクゾク感がなんとも言えなかった。
瞬時、というタイミングも悪くない。
灼熱の太陽の下で、
賑やかなオフィスの中で、
砂浜に寝転がりながら、
と、相手のシチュエーションを想像しながら、
字数にして僅かなメッセージを堪能する。

短いことで、こちらがいらいらしている時には、勘違いをし、
或いは、却って深読みし、
とんちんかんな返答をすることもなくはないが、
突然の電話よりも、慎み深い気がして、
相手の時間を拘束することも少ないと思われ、
SMSを送ることは少なくない。

逆に言えば、
私自身が突然の電話を避けることが多く、
SMSでの連絡を有難く思っているともいえようか。

いつの頃からか、自宅に掛かってくる電話は取らなくなった。
何とも傲慢な考えではあるが、
自分の用事は能動的に私からの電話やメール、SMSで済ませているので、
他からの連絡は受け取らなくても、と、
一人ソファーに深く座り込んで本を読んでいる時など、特に、
電話を鳴らしっぱなしにしてしまう。
どうしても連絡をつけたい人は、メールをくれるだろうし、
家族、友人は勿論、学校関係の知り合い、会社関係のつながりの人も、携帯番号を持っているはず。

では、携帯なら、電話を取るか、となるが、
実は、これも、ほぼ取らない。

なんと厭世的なと思われようが、
電話で話をする気分になれないのだから仕方がない。

ただ、これは週末に限ってのこと。
しかも、数年前は違っていたか。
突然突きつけられた一人の時間、それは決して自由の時間ではない、孤独の時間を過ごすことになって、いつの間にか習慣化してしまったのであろう。

それでも、後から着信履歴を確認し、
相手が判明し、必要あれば電話を掛けることにしている。
基本的には人と話すことは好きであり、
単に、人と話す心の準備ができていない時もあるというだけのこと。

そんなことで、
この間も、携帯のメッセージをまとめて聞くことにになった。

曜日と時間を聞けば、ほぼ誰からかのメッセージか判断できる。
折り返した相手のメッセージがほとんど。
と、夜遅い時間が告げられる。
バッタの父親に違いない。
果たして、彼の声が聞こえてくる。

セ パトリック アラパレイユ。

えっ。

彼の低いぼそぼその声が続くが、
私の思考は一旦停止してしまっていた。

もう20年も前のこと。
東京の我が家から、彼がパリに住む友人に電話を掛ける。
「セ モワ。」

当時、未だフランス語ができない私でも、その意味するところは分かった。
所謂、声を聞けば分かる相手への呼びかけ。
「僕だけど。」

その時の電話の用件は、フランスの大学院のパンフレットを入手し送付して欲しいとの依頼であり、正に私の為であることは分かっていたが、
二人の、その余りの親しい関係に対し、
大いに嫉妬を感じたもの。

電話の相手が昔の恋人であったこと以上に
彼らの会話のほとんどが分からなかったことが、
嫉妬の感情を高めたと思う。

あれから、20年という年月が流れ、
彼とは、子供の父親と母親という関係だけになったが、
それでも、週末のこと、教育のこと、休暇のこと、と
ことある毎に電話がある度に、
「セ モワ」 から会話が始まっていた。

違和感を感じるが、
それでも、相手が誰だか分かるし、そんなものかと放っておいた。

と、
今回のメッセージ。

突然の距離感。
そして、遂に他人になったことが、強烈に伝わってくる。
解放された、との思いが、しんみりと心を満たす。



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2012年9月26日水曜日

雨の日にはサングラスを




どんよりとした雲が立ち込めていた空から
遂に冷たい粒が降りしきる。

9月も最後の週に入ってしまい、そろそろ夏時間も終わろうとしていることに気がつく。
秋分の日が過ぎてから、朝、家を出る時に車のヘッドライトが必要になっていた。

夕闇が迫っているのか、銀の粒はどんなに降り注いでも、空は一向に明るくならない。
ワイパーのスポンジが古くなってきたのか、フロントグラスを軋みながら雨粒を弾き出している。
こんな日は、道路は混み勝ち。
それでも、トンネルに入ってから、車の流れの勢いは変わらず、
ちょっとしたスピードまで出しながら、トンネルの向こうに光が見え始める。

と、後方から迫る車が目に入る。
キラリとしたヘッドライトに、白い車体。
ひょっとしたら、との思いが過ぎる。
ナンバープレートを確認しようにも、やや遠過ぎる。
いや、番号を見たところで、実は、確認のしようがない。

エンブレムが見え、
思い描いていた車である可能性が濃厚であることが判明する。

トンネルを抜けると、他から入ってくる車線との合流地点にさしかかり、
勢いスピードダウン。

サングラスに、白いシャツ。

どんぴしゃり。

バックミラーに台湾の妹から贈られた犬のお守りをかざす。
サングラスの口元から白い歯がこぼれる。

どんぴしゃり。

車が流れ出すと、
激しく雨が降りしきり、
銀色の世界が広がる中、
見失わないように、バックミラーで確認しつつ、
流れに沿って走る。

まぶしい銀の雨の世界は、光の反射で見えにくい。
サングラスをかけてみると、
落ち着いた色彩が戻ってくる。

雨にはサングラスが一番。

暫くすると、国道に出て、信号の赤で並ぶ。
ゆっくりと窓を開け、サングラス同士で挨拶。

見上げると、銀の世界が開け、青空に虹。



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2012年9月21日金曜日

クイックランチ



地下の暗がりの駐車場に慌てて車を停めて、
地上に上がるちょっとした坂を小走りに上って追いつき、
さっと、手を滑り込ませる。

そんなことが嬉しいの、
と、
呆れたような、驚いたような、
はにかんだような、
ふわりとした笑顔が返ってくる。

その間も、聞いてもらいたくて、
専門的アドバイスが欲しい一件を
ちょっと興奮気味に話し続ける。

お目当てのレストランが改装中。
ライオンのような笑顔で迎えてくれるエジプト人の叔父さんが、
ペンキ塗りに勤しんでいる。

迷わず、隣の小ぶりな食堂に入ると、
これまた非常にオリエンタルな雰囲気。

黒いアイシャドウで切れ長の眼を強調させた若い女性が、
今日のお勧めめを紹介してくれる。
それにしようとしたら、未だ残っているか確認してくるという。
それならば、お勧めなんて言わなければ良いのに、
と可笑しくなる。

漸く、5つのポイントを説明し終え、
今度は、一つ一つ、私なりの考えを伝え、意見を聞く。

どうも、1点だけ、良く分からない。
理解力不足で申し訳ないけど、と、何度も別の例を挙げ、
理解に努める。
そして、今度は解決策を模索する。

ああでもない、こうでもない、
こうだったら、と言っていたら、
嬉しそうな、にこにこの笑顔とぶつかる。

あまりにも、夢中だったので、ちっとも視線に気がついておらず、
一瞬、戸惑い、
今度は恥ずかしくなってしまう。

忙しい中、出てきてくれて、
話を聞いてくれ、
何度も分かるまで説明してくれ、
じっと理解するまで待ってくれ、
そして、今度は一緒に解決法を考えてくれている。

元気が湧いてくる。
よし、この線で悪くあるまい。

コーヒーも飲まずに、
急いで食堂を後にする。

ありがとう。
クイックランチに、クイックビズ。

次回はぜひゆっくりと。

今にも泣きそうな空から、はらはらと銀の粒が転がり落ちてくる中
オフィス街に車を向ける。



 
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2012年9月16日日曜日

秋の空に台湾の姪や甥を思う




9月に入りのどかな秋晴れが続いているのに、きな臭い話がこのところ多過ぎる。

エジプトやリビアでは米大使館、米領事館が襲撃され、リビア大使を含めた4人が銃殺されるという衝撃的事件が相次いで起こっている。
バングラデシュやアフガニスタンでは星条旗が焼かれ、反米デモが繰り広げられている。
いや、どうやら、それだけで収まらず、ここ二日ばかりで、世界各地にムスリムによる反米デモの動きは飛び火している。
アメリカ合衆国で制作された映画「Innocence of Muslims」が、ムスリムを侮辱するものであるとして、これに抗議する動きが発端という。
確かに映画の内容は、ムスリムであったら怒りを覚えるものかもしれない。
だからといって、大使射殺となると、どうも狙いは別にあるのか、と思ってしまう。
切っ掛けを待っていた動き。

翻って、
中国全土に広がっているとされる反日デモ。
長らく個人の所有であり、政府として賃貸料を支払っていた尖閣諸島のうち3島に対し、ここにきて、911日に日本政府が地権者より購入。
一方で、これまで領有権を主張してきた、中国政府、そして台湾政府の存在があり、
各地で反日デモや暴動に発展してしまっている。

台湾は中国との関係もあり、
かなりの親日であり、
台湾人と結婚して当地に住む妹も、日本人として大いに歓迎されていると話しに聞いている。
実際、何度も遊びに行ったが、毎回楽しい思い出ばかり。
(実は、日本人に英語で道を聞かれたり、ホテルで中国大陸の人だと思われたり、郵便局でフィリピン人と間違えられたりと、台湾で日本人と思われて話しかけられた例はない。)

ところが、
ふと気になって、妹は小学4年と6年になる子供達に何か困ったことはないかと聞いてみたらしい。
すると、期せずして、子供達はある、といったという。
小学6年生の姪は、社会の先生が黒板に世界地図を貼って、日本は魚が欲しいから、無理やり土地を取ったひどい人々です、と説明したという。
何も言えず、静かに耐えることしかできなかったであろう、姪の小さな痛んだ胸中を思いやって、こちらまで涙ぐんでしまう。
小学4先生の甥は、クラスの少年から、日本は自分の土地だって言っていながら、お金を払って買った馬鹿、と罵られたらしい。大人の話を聞いての受け売りだろうか。ナルホド、大衆のセンスでは、そうなるのか。と感心する一方で、自分のママが日本人であるだけで、馬鹿にされて、でも、言い返せずにいた甥を思って、悔しくて辛かっただろうな、と思う。

その話を、バッタ達にしてみる。
そもそも日本の領土問題を知っているのか?
台湾のいとこたちは、辛い思いをしているんだよ。

驚いて、悲しみ、一体何が起こっているのか詳しく知りたがるであろうと思っていた。
が、意に反して、バッタ達の反応は冷たい。
学校では、差別発言は日常茶飯事、という。
いちいち、そんなこと気にしていたら一日が終わらない、と。

日本人は、黄色といわれ、食堂でバナナが出れば、おい、どっちが黄色か、と揶揄され、黄色いTシャツでも着ようものなら、大いに馬鹿にされるらしい。
一方、ドイツ人は、歴史の時間、皆にコテンパに言われるらしい。大量虐殺、ジェノサイド。
ポーランド人は、貧乏で道楽者。
イタリア人は嘘つきでペテン者。

ちょっと、ちょっと!

「あ、でも、みんな気にしていないよ。」

あっけらかんとしている。
それぞれが、自分の個性として自覚しているというのか。

そして、付け加える。
「でも、日本から来たばかりで、そんなこと言われたら、嫌かもね。」

この一言には唸ってしまう。
母国を離れることで、自分の国籍、人種、民族、文化、宗教などを、自分の個性として自覚しやすいのではないか、と。

いや、領土問題が残っているではないか。
そちらに話を向けようとした時には、
バッタ達は既に、もうどこかに跳んでいってしまっていた。

頼りになるのか、困ったことなのか。。。

それより、中国での暴動はますます大きくなっているらしい。
どうか、うまく沈静しますように。そして、間違っても台湾に飛び火しませんように。

秋の空は、あくまで澄んで青く拡がっている。






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2012年9月11日火曜日

多くの人々に応援され、生かされている、この人生!




今年は最初から乗り気がしなかった。
いや、実は、毎年、直前まで気乗りしない。躊躇してしまう。
せめて週末だけでも運動をしているなら違うのだろうが、
ランニングに短パン姿で、日曜の朝、パリに繰り出して走ることを思うと、
どうも気持ちが萎えてしまう。

特に、今年は、社内でちょっとしたゴタゴタがあったことから、
社名を背負って走ることに、正直喜びを感じることはなく、
チームスピリッツなんて、ちゃんちゃらおかしくて、臍で茶が沸かせられるほど。

「だけど、名乗りを挙げたんですよね。」 
とは、隣の席の学生研修生。

そりゃあそうだけど。

金曜の夜、8時半。
陸上の練習を終えた長女バッタを迎えに行って、
その溌剌とした姿にまぶしさを感じながら、膝を打つ。
そうだ、長女バッタに代わって走ってもらおう。

土曜の夜、私よりも背も高くなり、ボリュームも勝ってきた彼女を膝に乗せ、
それこそ、猫なで声を出して頼んでみた。

「えっ ?明日の朝なの?で、私がママの代わりに走るって ?何考えているのよ。できないよ、そんなの。心の準備もあるし、私、宿題だってあるんだから。」
嘘ばっか。さっき、宿題は金曜の夜に終わったから、日曜はゆっくり遊ぶって言っていたじゃない。しかも、貴女にとって、6kmの距離なんて、へいちゃらよ。朝飯前じゃない。
ママを助けてよ。

「そんなに嫌なら、ママが行かなければいいじゃない。」
そんなわけにはいかないのよ。会社でエントリーしているんだもの。

なんで、ママの尻拭いを私がするの?とばかりに、冷たい視線を突きつけてくる。

「わかった。ママが行く。だから、もう、寝る。」

ぶっきら棒に告げ、布団にもぐりこんでしまう。
娘に頼んだ自分が馬鹿だった。そもそも、毎回、あんなに楽しんでいるではないか。
タイムを競う必要はない。朝から晩まで、休む間もない過密スケジュールをこなしているのだから、疲れていて当然。せめて、今年はアルコールの摂取はしていない。
昨年、友人宅に呼ばれて、遅くまで飲み食いした翌日の走りが辛かったことを思い出す。
明日は、とにかく楽しもう。それでいいじゃない。

臍を固める。

翌日、息子バッタの部屋から筋肉マッサージ用のクリームを失敬し、丹念にすり込む。
今年の夏、母が教えてくれたパワージェルなるエネルギー補給食を確保。

ピンクのランニングなんて、一体うちの会社は何を考えているのか。

ゼッケンをつけようと思って、のけぞる。
なんと!慣れ親しんでいる我が名ではなく、別人の名前が明記されている。

やはり、これは、やめるべきとの神からのお達しなのでは。

そう思うが、仲間の顔が浮かぶ。
ゼッケンが入っていた封筒をもう一度確かめると、手書きで名前の変更がなされている。
色々あったことは聞いている。担当者の苦労もいかばかりか。

まあ、いいではないか。
参加することに意義あり。

眠い目を擦るバッタ達にビズをして、いざ、出陣。

雲一つない晴天に恵まれたパリ市主催の女性向けプチマラソン、パリジェンヌ。
今年で16回目となるが、エッフェル塔の下からスタートし、大通りをイエナ広場に向かって上り、ダイアナ妃の事故現場アルマ広場でセーヌ河沿いにユータン。ビアアケムで橋を渡り、反対側のセーヌ河沿いを改めてエッフェル塔に向かう。何度か迂回し、最終的にシャンドマースの反対側でゴール。6キロのコース。

早朝の空気にきらめくパリでは、3万人近い女性たちの笑顔が輝いて待っていた。

誰もがはちきれんばかりに嬉々としている。
スタートを待つ間に、彼女達に揉まれ、気分が高揚し、気がつくとNikeのインストラクターに倣ってパリジェンヌたちと準備体操に飛び跳ねていた。
いつになくリラックスしている自分にちょっと驚く。

そして、待ちに待ったスタート。
沿道からの声援はもとより、ジャンベ部隊、金管楽器部隊、フラダンス部隊、皆が応援してくれる。

途中の配給所で水のコップをさらうように奪いとりつつ、「メルシー」と叫べば、「メルシーなんて、あんた嬉しいこと言うじゃないか。偉いよ。頑張ってよ。」と応援の声。

毎年、ゼッケンの名前を見て、全く知らない人たちから声が掛かる。
去年など、仏語なのに、既に亡くなった日本の祖母にそっくりの声音。
今年は、ブランコで消したにもかかわらず、走りながらブランコが剥げ落ち、
ファニーという名前が浮き出てしまう。
そこで、ファニー、頑張れよ。どうしたファニー、と声を掛けられる。
ファニーでも、なんでも、とにかく、嬉しい。
通りでも、どこでもブラボーの声、声、声。
パリ中が応援してくれている、いや、賛辞を送ってくれている。

人間は所詮一人、などと思うこと多い此の頃だったが、かくも多くの人々に応援され、生かされているのか!

最後の1km
お得意のラストスパート。
後は、死んでも構わない。今走らずして、いつ走る、とばかりに、馬鹿力発揮。

ゴール近くに、カメラマンが構えている。
沿道の観衆に、応援してよ、のジェスチャー。
そしてカメラマンに、笑顔。
自分でも驚く余裕。
カメラマン達から「ブラボー!」

ゴールインしてからも、暫くは足が止まらず、火照った頬は火を噴かんばかり。

水を先ず受け取り、渇ききった喉に流す。
そして、
5つ目となるパリ市庁からのメダルと
一輪の薔薇を手にする。

よし。

爽快さと満足感が心を満たす。

ふっふっふ。
まだまだ長女バッタになぞ渡せまい。
現役。

意気揚々と仲間が待つ会社のスタンドに足を向ける。

空はますます青く、
まだまだ続く出走者を応援するジャンベの音が遠くに響き渡る。




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2012年9月6日木曜日

タジンの魔法とママの魔法




細長く尖った蓋が美味しさを保証してくれるかのようなタジン鍋。
青が基調の華やかな模様が施されており、
鍋というよりは深皿のようなものを直火に晒して大丈夫かとの心配が先に立つ。
数年前に友人がモロッコ土産といって買ってきてくれたが、
その巨大さと、華やかさから、
置物のような気がして、
それならば、どこかに飾れば良いものを、
クローゼットのある部屋の片隅に押し込み、
好きなだけ埃が被るに任せたままにしてしまっていた。

今年、バッタ達がパパとバカンスで行ったモロッコのお土産といって、
幾つかの香辛料とともに、クッキングブックを買ってきてくれており、
夏に台湾から遊びに来た妹から、ぜひクスクスを食してみたいとのリクエストを受け、
改めて、クッキングブックを読み直していた。

カラフルな写真が満載で、
沢山のレシピを眺めながら、色々と想像することは、この上なく楽しく、
香辛料だけでなく、レモンやパセリがふんだんに使われていることに、
新たな発見をしたり、
どれに挑戦しようかと思いをめぐらしたりと、
夜寝る前の貴重な時間を飽きることなくクッキングブックの熟読にあてていた。

そして、写真の幾つかに、我が家の片隅に置き去りにされている、
タジン鍋そっくりな姿を確認する。

そうか、やっぱり、あれは置物ではなく、正真正銘のタジン鍋。
いつか、あの鍋でタジンを作ろう。
そんな思いが強くなった。

そして、今年は太陽の恵みである黄金の粒、ミラベルが豊作で、
日本から遊びに来ていた母が滞在中に、妹の子供達と大騒ぎで収穫し、
30以上の瓶詰めにしてくれていたが、
ちょうどタジンに入れるにぴったりではないか、と思うに至る。

こうして、
様々な思いが入り混じり、考えが発酵し、
ついに、或る日、タジン鍋を取り出す。

やっぱり、どう見ても、綺麗な深皿。
でも、細長く尖った蓋が、何かを主張している。

よし。
心が決まる。

じゃが芋、玉葱、コージェット、ポワブロン、茄子、
手元にある野菜を超特急で切り分ける。
2リットルの瓶にとっぷりと漬かっている黄金ミラベルを沢山取り出す。
プルーンも用意しておく。

そうして、深皿、もとい、鍋を火に掛ける。
こわごわと息子バッタが覗いて呟く。
「割れないのかなぁ。」

割れたら、割れたで、それまでよ。

オリーブオイル、
野菜を盛り付け、
骨付きの鶏の足を重ねる。

おっと、香辛料。
サフラン、クミン、ターメリック、塩コショウ。

そして、意外に重い細長く尖った蓋を落とす。

火を弱め、
見守りつつ、呪文を唱えたくなる。

長女バッタにベリーダンスでもさせようか。

おっと、そろそろ、彼女を迎えに行かねばならない。

心配そうな息子バッタ。
大丈夫。何もしなくていいわよ。

大きな瞳を一層大きく見開いて末娘バッタが驚嘆の声を上げる。
すごいね、ママ。
ママって、色んなお料理をして、すごいね。すごいね。

ふふん。末娘バッタには、未だ、ママの魔法がかかっている。
色鮮やかで細長く尖った蓋をしたタジン鍋を見つめる息子バッタにも、未だ魔法が効いているか。

にんまり。
さて、長女バッタは、なんと言うだろうか。
慌てて、車のキーをとり、外に駆け出す。

薄暗くなった空に、
くっきりと伸びた枝の先に赤い薔薇の蕾。




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