2012年1月30日月曜日

幸せをもたらす一粒



「ママ、これなあに?」

長女バッタに見つかってしまう。

「あ、どうしたの?ねえ。」

えっと、、、。しどろもどろになっている内にも、
テキパキと包みを開けてしまう。

バッタ達は、私の習性を熟知している。
頂き物を後生大事にするタイプ。
そして、頂き物が素敵であればある程、
他の方とも分かち合いたい、と思ってしまい、
それが高じて、
遂には、他の方に譲ってしまうことが多いということ。

だから、最近は頂き物と分かると、
さっさと封や、包み、箱を開けてしまうバッタ達。
さもないと、気がついたら、我が家から忽然となくなっていることが多いから。

「わあ。高級チョコレート!ほら、みんな、チョコだよ。」

長女バッタの声に、嬉しそうに、息子バッタも末娘バッタも集まってくる。

「あ、駄目、駄目、駄目よ。」

漸く声が出る。

「ほら、今度、お呼ばれしているでしょ。その時に、皆で食べようかと思って。こんなオシャレなチョコ、普通に食べちゃったら、もったいないでしょ。」

その言葉に、仕方なく、それでも、中味を確認できた満足さで、長女バッタが、丁寧に蓋をし、箱にリボンを掛け直す。

そんなことがあって、一週間が経とうか。

末娘バッタが、私がバイオリン関係でお手伝いをしている書類を、
アルファベット順に並べ替えてくれる。
そこで、お礼に、お小遣い、と思ったら、
末娘バッタはチョコレートが欲しいと言ってきたので、
スーパーでネスレのデザート用板チョコを買ってくる。

その一部始終を聞いていた長女バッタが、
その夜、夕食のシチューを作っている時に、
ほら、ママからのお礼よ、と末娘バッタに何かをあげている声が背後でする。

「ね、ママ、いいんだよね。」
と、長女バッタ。

勿論よ、と言いつつ振り替えると、例のチョコレートの箱を取り出して、
皆で眺めている。

そうだよね。
皆で一粒つつ、食べようか。

美味しいコーヒーでも淹れて、なんて思っていたら、いつになっても食べられないし、
特別な時に、なんて思っていたら、これまたいつまでたっても食べられまい。

解禁令が出るやいなや、
さっと列の3個が消えてなくなる。
そして、遅ればせながら、私も一つとってみる。

控え目な甘さがしっとりと
豊かな香りをともなって、口の中に広がる。

嬉しそうなきらきらの6つの瞳に囲まれて、
この一瞬が特別な時となる。

ありがとう。
贈り主の顔をそっと思い浮かべ呟く。



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2012年1月29日日曜日

分かり合える同志となるべく...

 

水と油といおうか、
違う世界の人間といおうか、
とにかく、驚くぐらい感覚が合わない相手とはいるもの。

たまたま、
ある集まりの責任者として一緒に活動をすることになった仲間の一人が、
どうも、この手の相手であった。

仕事は出来る、
が、
人に物を頼むことが出来ない。
いや、頼み方を知らない、といおうか。

文章は書ける、
が、
丁寧語が使えない。

特に、相手の非を指摘するときには、
最新の注意を払うべきなのに、
あっさりと、そして、がんがんと、書いてくる。

そして、彼女にとって、悪いことに、
彼女は他の人々よりも若い。

フランスでは、年齢はそう関係ない、と言えども、
されど、である。
やはり、目上の者に対する話し方、書き方があるだろう。

私が古い世代なのか。

ここのところ、週末は彼女からの、執拗なまでのメール攻撃に辟易する。
今週も、金曜からその兆候あり。
それでも、丁寧に対応し、
彼女に対する返事は、深呼吸を何度もし、何度も書き換えて送っていた。

ところが、
彼女は、若さがそうさせるのか、譲歩を知らない。
糾弾は延々と続く。

理論的な説明をしても、跳ね返ってくる。
さらりとかわしても、食いついてくる。

なんなのだろう。

いい加減、目を覚ませ、と怒りのメールをぶつけたくなる。

が、深呼吸。

そんなことして、どうなる。
ブーメラン現象として私に跳ね返ってくるであろう。

そうして、彼女の執拗さを熱意とし、彼女の自己中心的思考回路を真摯さと捉え、
もう一度、丁寧に、ゆっくりと、彼女を褒めつつ、こちらの非を詫びつつ、
なるべく、諭すスタイルではなく、歩み寄る形での一体感を作り上げ、
彼女の立場にたっての理解を示し、結果的には総合的判断で、今回は別の意見を採用したが、決して、彼女の意見をないがしろにしたわけではない、と謝りつつも説明。

青息吐息。

漸く、バトルに疲れたのか、
そこまで深遠なる思慮に驚き感謝、との言葉が返ってくる。
そして、この様なしつこいまでのメールの交換によって、多くのことが学べ、色々な人との出会いによって、魂が洗われていくことをありがたいと思うとまで書いてくる。

同じ目的の下に集う仲間であるのに、
うまくいかないこともある。
とりあえず、今回は難を逃れたか。
ただ、正直、ものすごいエネルギーを奪われる。

難しいことは、お互いに大人であり、そうそう指摘できないことか。

ここは、年齢に関わらず、謙虚になり、自分の意見こそが真っ当である、なぞと思わぬ方がいいであろう。

と、書きながら、
結局のところ、意見の違いこそあれ、彼女と私は似たような感覚の持ち主なのかと思い至る。
分かり合える同志になれるかもしれない、との思いが
漸く、落ち着いた心に拡がっていく。


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2012年1月28日土曜日

タイヤを替える


ずっと気になっていた。

未だ暗い早朝、
すっかり暗闇が訪れたた夕方、
月や星さえもない闇夜、
道路を明るく照らしてくれるヘッドライトが弱い。

最近は、省エネ計画とやらで、
一部の高速で照明を点けていない。

ベルサイユの森を通るコースが正に暗闇。

ちょっとしたカーブなど、
緊張が背筋を走る。

それなら、スピードを落とせば良いのだろうが、
そんな時は、決まって、早く我が家のベッドに倒れこみたい時。

ある時、
ヘッドライトの右側のランプが点いていないことに気がつく。

エンジンオイルや、ワイパーの洗剤なら、
自分で入れることができるし、
バッテリーの交換も、重いが、何とかできないことはない。

ただ、ランプの交換、しかも、車のヘッドライトときたら、ちょっと構えてしまう。

そして、
今年の冬は未だ雪がないが、
初雪が道路を白くする前に、タイヤの交換をしないと、ヤバイな、と思い始めていた。

だが、いつ、そんな時間を捻り出せるのだろう。
朝は7時前に出社。
土曜は遠くの森までバイオリンやら、買い物と、車を朝から晩まで使っている。

そして、日曜は、フランスでは全てが機能しない休息の日。

でも、タイミングはいつだって、思わぬ時にやってくる。

そうして、今朝、8時に、車整備会社の車庫に車を滑らせる。

タイヤ二本と、ヘッドランプ一つの交換だけをお願いしていた筈だが、
タイヤは4本、エンジンオイルとブレーキオイルの交換を勧める電話が入り、
お昼に取りに行った時には、200ユーロをちょっと超える金額に。

それでも、
新品のタイヤの感覚はなんとも言えない。

夕方、バイオリンから帰ってくるとき、小雨が降り始めると、
さっと、ランプを点けてみる。

なんだか、堂々と車道を走っている気分になる。

ブレーキの切れが、いつもより良い気がする。

美容院に行った帰り、
誰かに会いたくなったり、
デートをしたくなったりする感覚に似ているので、
一人、ハンドルを握りながら笑ってしまう。

バッタ達は、そんな浮かれたママを見て、おかしそうに笑う。

今夜、バッタ達がいれば、どこかにドライブでも行っただろうか。
一週間分の買い物を終え、買い物袋を一人で抱えて家に入る。
いつもなら、バッタ達が手伝ってくれるが、今日は、まだ何袋かトランクに残っている。
車に戻ろうとすると、門のところに、何か袋がぶらさがっている。

なんだろう。

長芋!

トロロが苦手な友人が、トロロが大好きなバッタ達を面白がって、
長芋をマルシェで見つける度に買ってきてくれる。

彼女からのプレゼントに違いない。

買い物袋を両手に抱えながら、
慌てて携帯を取り出して、電話。

ありがとう!
これから、車で一っ走り、彼女にお礼を言いに行こうか?
足取りも軽やかに、幾つもの買い物袋を手に提げながら家に向かう。


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2012年1月26日木曜日

いつもの帰り道で



どんよりと鉛の様な頭で何とか夕方の会議を終えて外に出ると、
冴え冴えとした群青色の空が未だ明るさを残し、
旧正月を迎えて恐らく初めて見えたと思われる月が
細いながらも鋭い光を放っていた。

4時間の睡眠が堪えているのか、
悶々とした思いが募ってしまっているのか、
或いは、
本当に今年は暖冬なのか、
寒気を感じるでもなく、
体は変な火照りさえ持っている様に思われた。

ラジオではダボス会議の様子が延々と伝えられていたし、
道路は相変わらず、混み合っていて、
赤いテールランプが夕闇に続いていた。

それでも一定の流れがあり、
その波に乗ってアクセルを踏むことは、
何も考えられなくなった頭には、
好都合であった。

と、その流れに乱れが生じる。
ちょっと先で、二台の車が縦列になって止まっている様子が見える。

青い点滅。

覆面パトカーか。

その脇を通るとき、前の車から警官が仏頂面で降りるところだった。

無理な追い込みをしたか、
或いは、
無茶な車線変更をしたのだろう。

しかし、
何もこんなところで停めなくても良いだろうのに。
ラッシュアワーでもあり、
渋滞は輪をかけて悪化し、
却って事故に繋がりかねない、

そう思いながら、同時に頭の中では別の光景がくっきりと浮かんでいた。

あれは、冷たい雨の降りしきる夕方。
信号の手前で、対向車線に二台の車が重なる様に停まっている。
ハザードランプを点けてはいるものの、
既に夕闇がまわりを包み、雨まで降っており、見通しは良くない。

運悪く玉突き事故か。
この寒さの中、雨に濡れて、お互いに困っているだろうな、と思う。

と、その車の脇に人影。
雨の中、傘も差していない。

え?

目を凝らすと、
人影は、しっかりと抱き合う男女。

雨の降る真冬の闇夜が差し迫る中での抱擁。

別れ難いのか。
これから、別の目的地にそれぞれ車で行くのか。

信号が青になり、
彼らの姿はバックミラーに小さくなって、やがて消える。


 

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2012年1月24日火曜日

今年の抱負

「ママ、
コンピューターの画面って、
変えられるんだよ。」

「うん、
知っているわよ。
そもそも、スタートの時の画面は、ママの写真だもの。」

「え?
ええっ?
これ、ママが撮ったの?」

「あら、知らなかったの?」

「だってぇ。プロだよ、ママ。
これ、売れるよ。」

「あらそう?でも、この画面の映像を交換したらって、言いたかったんじゃないの?」

「違う、違う。
でも、知らなかった。ママ、これどこで撮ったの?」

「何言っているのよ。ママの部屋に飾ってある写真、見たことなかった?」
(寝室には数十枚が額に入ってはいるものの、無造作に置いてある)

「ねえ、私も、ママみたいに、素敵な写真を撮りたいな。
これって、適当にパシャパシャ撮ったの?それとも、じっくり?」

話にならない。
でも、悪い気はしない。
ふふん。

やっぱり、今年は、デジタル一眼カメラを買うか。
今時、ネガを現像してくれる写真屋は少なくなっているし、
取扱が簡単になるだろうし。。。

にんまりしながら、思う。


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2012年1月23日月曜日

学習効果を願いつつ~センサー式自動水洗


インフルエンザの猛威が欧州を襲った年、
学校では小型洗浄ジェルの携帯が必須になったし、
オフィスでは入り口に洗浄ジェルが設置された。

そうして、
恐らく清潔・衛星が合言葉となって、
トイレの手洗い場もセンサー式自動水洗になる。

ところが、
これには大いなる罠が。

通常、オフィスのトイレはワンフロアに数ヶ所あり、
複数の個室と手洗い場がある。
そして、必ず個室の一つは、車椅子での利用も可能となっており、
若干スペースも大きく、
小さいながらも手洗い用のシンクが備え付いている。

外出する前に寄る時は、
バッグを持って入るので、
個室の中のハンガーを利用するので問題はない。

ところが、
ちょっとした会議の前であったり、
階下のカフェテリアに行きがてらに寄ったりした場合、
大抵、ケータイやら社員カードを持っている。

そして、
人間として、
空いている個室に入ってしまう。

だから、時々、車椅子も利用可能な大きな空間を利用することになる。

通常、別のことを考えているので、
無意識に、
ぽん、っと
シンクにケータイ、社員カードを置いてしまう。

っと、
パシャー
勢い良く水が流れ、
慌ててケータイやら社員カードを取り出す手も
びっしょりと濡れてしまう。

何故か、
学習効果がない。

ついつい、ヘマをやらかしてしまう。

この事実を記すことで、
少しでも脳に記憶され、
学習効果が出てくれればと願わずにはいられない。


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2012年1月22日日曜日

復活~体の奥底から熱きエネルギー



車のグラスに張り付いた霜を
シャーベットのように薄く削りながら、
ゆっくりと凍っていった大気の前夜のおしゃべりを
白い気を吐きつつ聞くことが、
今年は数えられる程。

冬になれないでいるのか、
春が早く訪れたいのか。

いつ冷たい雫が降ってくるかと思わせる今日の空。

クロッカスが黄色い蕾を膨らませ、
水仙がつんと先の尖った葉を覗かせ始めている。
冬枯れの木の枝は、
早くも芽を吹かんばかり。

両手に抱えた熱いカップからは
アールグレイの香り。

はかない太陽の輝きが庭を一瞬明るくし、
目敏いピーがいつの間にかやってきて、
我が物顔で堂々と土草をついばむ。

両手に感じているアールグレイの温かさが、
体中を満たし始め、
魂までをも貫かんばかりとなった刹那、

体の奥底から熱きエネルギーが溢れ出始める。


 

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2012年1月20日金曜日

ふんわりと、遣り過ごす

今週も随分忙しいみたいね。

参っちゃうよね。
そうだな。木曜、木曜なら会えるかな。
お昼でも、どう?

OK。
木曜ね。

そんな会話を週始めにしていたが、
木曜当日、
朝のコーヒーが未だカップから湯気をたてている時に
携帯が震える。

「できれば、ランチは明日の方が望ましいと思うのだけど。」

忙しい割りには、
馬鹿に丁寧な回りくどい書き方をしてきている。
きっと、明日も難しいに違いない、との思いが過ぎる。

こんな時は、
冷たい返事や、嫌味な事を書き送らずに、
深呼吸をちょっとして、
ふんわりとやり過ごすことにしている。

そうして、案の定、金曜の今日。
お昼の時間が近づいても携帯は震えない。

ちょっと滑稽な感じで、
腹ペコ狼さんのお昼、今日はどうされますか、
と書き送ってやる。

すぐに返事が来る。
「今日はパリに出てきているけど、大丈夫?」

やっぱり。
今日も難しいとは書きにくいのか。
どう料理しようか。
一瞬悩む。

ちょっと困らせてやれ。

「こちらはOK。」

それでも、
「できれば、ランチは別の日の方が望ましいと思っている、のかな。」
昨日の文章を加工して送る。

「ごめん。」

しょうがないよ。

多分、
以前なら、次に続く何かサインみたいなものが欲しかった。
今日が駄目なら、いつならいいのか。
夕方のお茶か。来週なら、月曜?火曜?

分かっていたら提案するだろう。

だから、
そんなことを迫っても、
期待する返事は返ってこない。

そうなると、余計、焦る。
満たされない思いで切なくなる。

いつからだろう。
そんな余計な心遣いをしないで済む様になったのは。

ふんわりと遣り過ごす。。。

どう足掻いても
変えられない流れがある

だから
ふんわりと遣り過ごす
ふんわりと、、、


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ボンジュー、ムッシュー

10年近くも前のことか
南仏の小さな地方都市の空港でパリ行きの飛行機を待っていた。

温暖な気候がそうさせるのか、
ラオスのビエンチャンを思わせる作りで、
国内線のみを扱う気安さで、
電車に乗るような気軽さと手軽さ。

日曜の午後の便で、
空港にはのんびりとした雰囲気が漂っていた。

搭乗手続きもあっけなく、
航空券を見せると、
滑走路が見渡せる戸外に出る。

そこには、
セスナかと思わせる小型機がタラップを下ろして待っている。

そこにたどり着くまでの
ちょっとした道のりに
ワゴンが無造作に置いてあり、
新聞や雑誌が並んでいる。

至ってカジュアルな装いで、
先を歩く紳士が新聞を幾つか腕に抱える。

と、続く息子バッタ、
同じ様に新聞を腕に抱える。

ルモンドに始まり、フィガロ、レゼコ、エキイップ、といったところか。

前を歩いていた紳士が、
おもむろに振り向き、
自分とそっくりに、新聞を腕に抱えている息子バッタに、
「ボンジュー、ムッシュー。」
そう明るく陽気な声で挨拶をする。

息子バッタ、当時3、4歳。
彼も、同じように、にっこりと挨拶をする。
「ボンジュー、ムッシュー。」

くだんの紳士は、
その後ろを歩く、
やはり同じように新聞を腕に抱える父親と、
長女バッタと末娘バッタとを引き連れる私に、
軽くウィンクをして、
子供とは親の後姿を見て育つとは、正にその通りですな、
と言った様なことを話す。

そうして爽やかにタラップを上り、
機体の中に消えてしまう。

その彼が、
フランソワ バイル(François Bayrou)。
政治家であり、フランス民主連合(UDF)議長(党首)、民主運動(MoDem)党首。2007年フランス大統領選挙の有力候補のひとりであり、今年もここにきて人気急上昇中。

そうして、かたや息子バッタ。
サッカー好きのスポーツ少年。
バイオリンを自分の腕の延長のように感じており、
好き嫌いなしの健康優良児。
その可能性たるや、今のところ、、、未知数、か。


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2012年1月18日水曜日

満面に広がる笑顔

緑色の瞳がきらりと光る

こうやって面と向かってまともに彼と話をするのは何年ぶりだろう。
ひょっとしたら、もう6年以上になるのかもしれない。

フランクフルトでのカンファレンス会場で、
ばったり出くわしたドイツの同僚。

ばったりといっても、実はドイツのオフィスが主催するカンファレンスだし、
たとえ600人はいる会場でも、
彼と会わない方がおかしいかもしれない。

今でこそ、リストラの名の下にコスト削減やレイオフが大々的に発表されるが、
ちょっと前までは、世界に散らばるオフィスのスタッフを集めて、
モナコやリスボン、ストックホルムで社内のセミナーが年に一度企画されていた。

ある年、チームビルディングとやらで、数人がチームになってジープに乗り、難解なる質問を解きながらのオリエンテーリングをすることに。
ちょっとした計算ならお手の物なので、かなり重宝されたことを覚えている。

その時、ジープで隣に座ったドイツの同僚が、先ほどの彼。

美人の妻が他に恋人を作ったので泣く泣く離婚。
ティーンの子供二人は元妻が引き取ったので、ちょっとした独身貴族の生活を楽しんでいる、といったふうな話をしてくれた。

当時、バッタ達の父親が出て行ってしまい、誰にも話もせず、暗く呆然としていたので、
あっけらかんに自分の私生活を話し、笑っている彼が不思議に思えた。

埃の中をガンガン進むジープの動きが手伝ったのだろうか。

つい、誘われる格好で、会社では誰にも話したことのないプライベートな話を彼にしていた。

その晩、仮装パーティーの席で両手を取られ、
君こそ僕が探していた、知的で優秀な女性だ、と打ち明けられ、
この巡り会いに神に感謝するとまで言われ、
正直、どうやって、手を引っ込めようかと困ってしまった。

まさか本気じゃあるまい、と
やんわりと受け流し、
同僚であることからくる一定の節度を持って、
その場はやり過ごす。

悪い人ではなさそうであったし、
知性も溢れていたが、
どうしてだろう、彼に手を握られても、電流が体内を駆け巡ることはなかった。

そうして、
何度かの社内メールの交換で、
彼も私に一切その気がないことを悟ったのであろう。

パリとフランクフルトとの距離も程よく、
余りうるさくは言ってこなかった。

それでも、翌年のセミナーで、
ディナたけなわのさなか、すっと寄ってきて、やっぱり手を握られる。

電流が流れない。

そんなこんなで、
月日がいつしか流れ、年に一度のセミナーも催されなくなり、
メールのやりとりもなくなってしまった。

時々、カンファレンスで相手を確認すると、
挨拶を交わす程度の、同僚としての粋を出ない関係となる。
いや、もともと、何の関係も発展もなかったのであるが。

その彼が、
今回、改めて新年の挨拶をして、会場の隅であったからか、ちょっとはにかみながら、子供達は元気?と聞いてくる。

ありがとう。お陰さまで子供達は順調に成長しているわ。そちらは?もう、お子さん達、随分大きくなったのでは?

21歳と、19歳になったよ。それから、、、。」

ちょっと間を置いて、

3歳の息子がいるんだ。」

あら!おめでとう。それは知らなかったわ。

「うん、再婚したんだよ。」

まあ、おめでとう。上のお子さん達はパパの新しい人生を喜んでくれている?

「まあね。もう、大きいから。それから、未だ誰にも話していないんだけど、」

そう言いながら、緑の瞳が一層輝く。

「妻のお腹に、新しい生命が宿っているんだ。」

わあ、それはビッグニュース。これからますます元気で、仕事に励まなくっちゃね。頑張ってね。

「君は?新しいパートナーとの出会いはあった?」

この手の質問にはウィンクで応じることにしている。

不思議な安堵感と、出会いの不思議さと、こそばゆさを感じながら、笑顔が満面に広がる。



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心を癒すのは時間、体を癒すのは睡眠

心を癒すのは時間

   悲しくも、切なくも、有難いことに、人間とは忘却する生き物

そして、

体を癒すのは睡眠

  健全なる精神は健全なる身体に宿る のであるから

ゆっくりと時間をかけて、
ゆったりと睡眠をとり、

気力が充実する時を待とう。


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2012年1月17日火曜日

全身全霊を尽くし、心身ともに燃焼してしまった日


やばいぞ、と思ってはいた。

5時半に起きて、
コンサート様の真っ白なシャツ4人分にアイロンを当て、
バッタ達を起こし、
昨晩作った保護者向け名札と、お昼のレストラン券を忘れずに用意し、
バイオリン3つ、ヴィオラ1つ、そして譜面台5本を準備する。
何かに備えて、と、18色のペン、鋏、ボールペン、ゴミ袋を紙袋に詰める。

外は未だ煌々と月が照っていて、
久しぶりに霜のシャーベットが車全体を覆っている。

土曜の早朝のパリは未だ夜を引き摺っているようで、
エッフェル塔に光がないことが、やや異様でもある。

ユネスコ本部からは一部だけ暖かな光が漏れていて、
広場の有料駐車場に車を止めて、荷物を出すと、
バッタ達とぞろぞろと会場に入る。

警備のおじさんは到って親切。

ただ暫くすると、実際の入り口は反対側の通りの向こうで、
そちらは8時にならないと開かないと教えられる。

入場者に名札を渡す係り、つまり、受付係りであると告げると、
ウインクをしながら、セキュリティーチェックを通してくれて、
ユネスコの建物の中を通って、反対側に渡る。

そこまでは、
実にゆとりのある時間。

それからが、息つく暇のない時間に。
門が開く時間を待って、大勢の子供達や親御さん、そして先生が極寒の中を待っていて、
開門と同時に、名札を求めて受付に押し寄せる。

本来ならバッタ達は、すぐにもリハーサルの場所へ移動するのだが、
猫の手も借りたい状況。
気がつくと、第一線で活躍してくれている。

北、中央、南、とフランスを分け、
バイオリンは青、チェロはオレンジ、ヴィオラ、コントラバス、ピアノは緑。

その区分を名札作りを手伝ってくれたバッタ達は良く飲み込んでいる。

ところが、
当日のお手伝いの受付の方々には、どうやらチンプンカンプン。

そうして、てんやわんやの一日が開ける。

朝一でオーケストラ北のリハ。
しばらくして、リヨンやら中央からの部隊が到着。
その後、マルセイユやカンヌといった南仏組。

「中央」と名乗る人の名札を探してもない、
とパニくり、
おかしいと大騒ぎしたところ、
「パリ」の人間と判明。
パリは中央ではなく、オーケストラ北なので、北なのですよ!と説明。

ヴィオラがチェロと同じオレンジと思った受付の方は、
南仏からの20人のヴィオラ部隊の名札を全部作る羽目に。

まさか!
ちゃんと私が作成したよぉ!みんなの分、あるんだよ、と叫びたくなる一瞬。

会場に入りたくてうずうずするのは、子供よりも親。
名札の箱に、沢山の手がイカや蛸のように、出入りする。
結果、北も中央も南もごっちゃごちゃ。

まあ、まあ。

おっと。
リハーサルの時間ぎりぎりに、ヴィオラを持って会場に。
ここ一週間寝ていない。
ここ一週間練習していない。

大丈夫かな。

実は、前日悩んだ。
コンサートの企画担当、当日受付、昼食券担当が、オーケストラで演奏ができるのか、と。

それでも、リハーサルの熱気に鳥肌が立つ。
ヴィヴァルディの四季の春の挿入部分で泣きそうになる。

と、今度は昼食券の担当者として現場に戻る。
申込書だけで小切手が入っていない人など、
予想していた通り、確実に小切手が入っていたと主張。

子供達の引率担当の保護者からのリクエスト、
リハーサルをしている子供達とランチのためにピックアップしに来た親たちからのリクエスト、
午後のコンサートの入場券をリヨンに忘れてきてしまったと泣く家族、
入場券はないけど、ウェイティングリストに載せてくれと訴える人々。
様々な声を捌いているうちに、
午後2時半。
レストランが閉まる時間。

ビスケットチョコの差し入れがありがたい。

外はどうやら氷点下の寒さらしい。
コンサート会場への入場は15時なのだが、
もう入れて欲しいと、入り口にはすごい人だかり。
ところが、問題はコンサート会場。
なにせ、今日初めての顔合わせで、
今日初めての会場でのリハ。
練習よりも、場所決めに時間がかかっているらしく、会場には最後のリハ部隊が陣取っている。

鼻を真っ赤にして待っている人々に、
パリの時間はちょっと時差がありまして、
などと、つまらない冗談を言いながら、
謝り、謝り、会場の開場15時、と言明。

そうして、
待ちに待った開場の時間。
入り口で寒い中お待ち頂きありがとうございました、と、
一人一人に声をかけ、念のためにと入場券を拝見。

バッタの父親もその一人。

ずきん、とする。

このコンサートが終わったら、彼がバッタ達をパリの家に連れて帰ることになっている。
クリスマス休みから未だ一度も会っていないし、そう取り決めていたことながら、
胸に堪える。

大イベントのコンサートの達成感、充実感を分かち合えずに、
バッタ達と別れるのか。

そんな思いも、一瞬で、目の前の極寒の中待ち続けてくださった方々を笑顔でお迎えする。

そして、走る。
ヴィオラを手に、舞台に。

オーケストラが終わり、
今度は会場のドアマンに変身。

そうして、400人のバイオリニスト達の演奏を間近にみる。

バッハの二つのバイオリンの為の協奏曲の掛け合いを、長女バッタと息子バッタは勿論、末娘バッタまでもが一緒になって演奏している様子を見つつ、ついつい、涙腺が緩んでしまう。

一日、受付で一緒だったカナダ人のママが、どんなにか誇らしい気持ちでしょうね、と囁く。
ユーモレスクもワルツも、立ちながら、気がつくと拳まで握って見入ってしまう。

正直、最後のテーマでは、神経が完全に麻痺しかかっていて、400人の演奏に魂が揺さぶられる、と言うよりも、これが終わって、どうやって、自分ひとりで、明かりのない家に帰ることができるんだろうか、との漠然とした悲しさを感じ始めていた。

だから、オーケストラ全員でのドライユアティアーズは、
ほぼ意識がなく、
悲しいことに、弓を張ることさえ忘れてしまって、
悲惨な演奏に。

意気消沈。

そんなところに、
パパが登場して、バッタ達をさらってしまう状況になったら、もう、崩れてしまうと思っていた。やばい、と。

朝持参した5本の譜面台の行方を捜しに舞台裏に行くとき、
つい、長女バッタに泣き言を言ってしまう。
ママを一人にしないで、と。

びっくりした長女バッタは、すぐにパパと交渉しに飛ぶ。

譜面台は見つからず、悄然として戻ると、バッタ達は消えていて、バイオリンだけが残っている。

崩れてしまう。
怒りよりも悲しみが先に出てしまう。

こんなに大変な思いをしたことの結果が、
これなのか。
これから待っている後片付けと、その後遅くに、バッタ達のバイオリンを一人で抱えて、どうやって車に運ぶのか?昼食だってとっていないし、夕食の時間はもうとっくに過ぎている。
と、長女バッタが泣きそうな顔で、寄って来る。

ママ、私、どうしたらいいのか分からないよ。

そうか。ごめん。
長女バッタは残ってくれた。ママはもうちょっと頑張ろう。

ママが泣き崩れたら、子供は共倒れ。
よっしゃ。もうちょっとだけ。

長女バッタが舞台裏で譜面台を5本揃えて見つけてくる。
さすがだ。

元気が出てくる。
レストランの食事券と小切手の会計を〆、責任者に説明、手渡し、全て完了。

心身ともに燃焼し尽してしまう。
僅かに残ったエネルギーで車を動かし帰宅。

長女バッタと慌ててベッドにもぐりこむ。
隣に寝にくるかな、と半分期待したが、
彼女は自分のベッドで安らかに寝息を立て始める。

もう、あまり考えることさえもできなくなる。
瞼が重くなる。
。。。


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