2011年10月31日月曜日

チューリップのお姫様



ヴァイオリン仲間のところで、ヴィヴァルディの四季を一緒に練習する。彼女は第一ヴィオリン、私はヴィオラパート。

彼女は4歳の娘がいて、その子がバッタ達の先生に習っている。ある時、バッタ達がバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲を弾いているのを聴いて、懐かしいと盛り上がり、次のコンサートの時には自分のヴァイオリンを持って一緒に参加、気がついたら、オーケストラに参加する大人の一人となる。

ポーランド人の旦那と設計事務所を構えているとのこと。ヴェルサイユにある邸宅は十分な採光を得られるように計算尽くしてあり、非常にユニーク。汚い、汚い、と言いながらも、近所のフルーツタルトを持って伺えば、きちんと整頓されていて、清潔で広い空間が寛げる。

4歳の女の子は愛らしく、嬉しそうに大きなタルトの箱を開けるが、「あたし、黒いのは好きじゃないの。嫌いなの。」と大騒ぎ。

「あら、嫌いなの?じゃあ、その黒い実は食べなくていいのよ。私が食べてあげる。」と、覗くと、ああ、ミルティーユ(ブルーベリー)!

山でキャンプした朝、野生のブルーベリーを朝食代わりとしたが、あの美味しさといったら!

その子は、黒い大きな粒が苦手なのか。とっても悲しそうな表情で、嫌い、嫌い、と騒いでいる。

ふうん。うちのバッタには、そんなことは言わせないな、とちょっと思う。頂いたタルトに文句を言うことなんて、絶対にさせない。

そうして、その子は、事務所で働いているパパに持っていくと主張し、お皿に載ったタルトを持った途端、おっとっと!タルトは床に落下。いや、落下の前に私の手で上手くキャッチできたのだが、タイミング良くお皿に戻らずに、落下運動は抑えられなかった。

あらあら。

今度は気をつけてね。ママは優しく言って、もう一切れ新しくパパに切ってお皿に載せる。

いいな、この感じ、と素直に思う。私にはとても真似ができない。

なんだか、とってもいい感じ。

4歳のお姫様は、小さなヴァイオリンを持って、数曲、私たちと一緒に弾く。そのうち、パパのギターが入る。ギターがこんなに優しく快い音でサポートしてくれるなんて、今まで知らなかった。

気がついたら、もう6時。そろそろお暇しなきゃ。そうしたら、お姫様がしくしく悲しそうに泣き始める。どうしたのかしら。

どうやら、私が夕食を一緒に食べずに、もう帰ってしまうので悲しいとか。

ええっ?

ここのお姫様、やっぱり、私の知っているバッタ達と反応が違うなぁ。そうか。未だ一人だからかな。次回はバッタ達も連れてくるね、と約束をする。

チューリップの花がふわっと開いたような笑顔になる。


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2011年10月30日日曜日

十年一昔



「むかし、って言うけど、どれぐらいのことを昔っていうか知っている?」

え?昔?ずうっと、ずっと前のことでしょ?

「そう。でも、それを年にすれば、何年で昔になると思う?」

国道49号。磐梯山が見える場所だったと思う。夕日に照らされながら子供達3人が、運転手の母親の話に聞き入っている。

何百年とか、何十年とか、何億年とか、色々な声が上がる。

「十年一昔って言うのよ。だから、10年たったら昔なの。」

へえっ。驚いて、その言葉は心の泉に浸透する。まだ、私が一昔生きていない頃だったと思う。母の運転で、よく子供達3人を乗せた車は国道49号を走った。所得税なる話を聞いたのも、あの道。

国に半分もっていかれちゃっても、最初の額が大きければ、手に残る額も大きいから、ママは頑張って仕事をしなくっちゃ。

そんな、子供にも凄く分かりやすい話だったと思う。今思えば、子供に解説するというよりは、自分に言い聞かせていたのであろう。

突然、このまま東京に行っちゃおうか、となる時もあった。

夕日の中。子供達はこれから始まる冒険にウキウキした。東京の出身の母が何故磐梯山を望む国道49号を走る地に身を置いたかは、別の機会に話すとしても、田舎の方言がまだ身についておらず、双子に年子の、まるで三つ子を育てる母が、時々ふるさと恋しく、東京に行きたくなることがあっても、不思議ではあるまい。

その3人の子供達は、きっと、一人、一人が、自分がママに一番愛されている、とちょっときょうだい達に申し訳ない気持ちを抱きながらも、照れつつも、思っていたことと確信している。

母の言葉は、3人に向けたものなのだが、一人一人に向けたものでもあった。

『十年一昔』。

その話を聞いて、もうそろそろ4昔になろうとしている。

気がつけば、私もバッタ達3匹をクリオに乗せ、Mauleの森を抜け出し、まあるい月をみながら、皆に話している。そして、それは自分に言い聞かせてもいて、一人一人に告げてもいる。

もうすぐ一昔を生きることになる末娘バッタ。
彼女の誕生日に、この十年一昔の話をしよう。彼女に話しながらも、バッタ達皆の心に語りかけ、そして、それは、紛れもなく自分にも語りかけることになろう。


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逡巡





携帯が震える。

こんな時間に誰だろう。
バッタ達からは、もう随分前にお休みメッセージをもらっている。

訝しげにメッセージを見ると「Hellou」。
番号は英国。

今年の春先に携帯を壊してしまって、SIMカードにメモリーを保存しておかなかったばかりに、ほぼ全てのデータを紛失してしまう。

だから、それ以前の知り合いで、頻繁に連絡をしない間柄であると、データに入っていない。

番号の連なりを見つめながら、ひょっとしたら、と思い当たる名前が浮かんだ。

彼に違いない。
元気かな、と返事を返したい気分になりながら、戸惑う。

数年ぶりの連絡。
彼が私と連絡を取りたがっている、ということは、恋人がいないのであろう。

本当はとっても気になる。元気でいるのか、仕事を首になって、その後どうしているのか。

それでも、
と思い留まる。
変な思いやりは、却って相手の為にはならないこともある。

オックスフォード大学の音楽学部に入学し、その後、学部変更をし古典語を学ぶ。同窓生達が官僚や政治家になっているのを余所にシティで仕事を開始。途中で1年ほど園芸学を学ぶために休職。

そんなちょっと変わった経歴の持ち主。アルゲリッチが大好きで、ピアノをこよなく愛す。

欧州各地を旅行していて、知識も豊富で話も面白い。話し相手としては、非常に刺激的ではある。

が、ある時、私の運転する車のスピーカーから流れ出したチェロの音色に対し、騒音だから止めてくれ、と如何にも辛そうに顔を顰めて、宣った。

あの時の凍りつくような思いをどう表現すれば良いのか。

バッタ達のパパとの問題で、辛かった時、確かに色々相談に乗ってくれた。あの時は、何もかもに自信を失い、ちょっとのことで泣いてばかりいた。

ある時、彼は言い放った。一番魅力がなくて、みっともないことは、自分が如何に辛いかと嘆いて同情を引こうとすることだ、と。だから、嘆くことはやめろ、と。人間は底のところで、本当は強くて、滅多なことではくたばらない、と。

凄く悔しかった。なんでこんなことを言われるんだろう、と思った。

でも、そのお陰で、今の強い私がある。

そうして、本当に彼が言ったように、人間は底のところで強く、簡単にはくたばらない、と実感している。

だから、彼のことは感謝している。

ただ、魔法の粉が私には効かなかったらしい。
どんなに言葉を尽くしても、いや、言葉を尽くせば尽くすほど、彼は私が彼に惚れていることに気づいていないと思い込んでしまっている。

一番、人間として、したくないこと。無視すること。それをするしか他になかった。

心を鬼にして、返事をしない。

彼は、その意味では、やはり非常に教養ある、分別ある人間なのであろう。

連絡は一日おきとなり、二週に一回となり、そうして、静かになった。

時々、突然、思いついたかのように、メッセージが届くこともあった。明日パリに行くのでランチをしよう、と誘うメッセージのこともあった。それも、ここ暫くはなくなっていた。

ひょっとしたら、パリに週末遊びに来ているのかもしれない。

どうぞ、お元気で。
携帯を前に目礼する。


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2011年10月28日金曜日

ねこちゃんに



冷たくなってきた外の空気と一緒に玄関の鍵を開けて中に入る。

バッタ達はお昼に出ているから、雨戸が閉まっていない窓からは暗闇が迫っている。

慌ててサロンの雨戸を閉めようと踏み込むと、バイオリンがご丁寧にソファに飾ってある。いや、単に片付けておらず、ちょっと前まで皆で演奏していたかの様子。

テーブルにはノートや本が散乱している。息子バッタの数学のノートが開いたままで放置されている。

キッチンには、水色のリボンで結ばれたオレンジ色の筒が「私を見つけて」と主張していた。

もうすぐお誕生日を迎える従兄弟に送ろうと数日前からバッタ達がカードを書いたり、プレゼントを手作りしていることを知っている。でも、末娘バッタが、どうしても終わらないので、皆で送れずに困っていた。ははん。漸く書き上げたのかな。

筒の中をちらりと覗くと、「まま」の文字が飛んでいる。

え?

慌てて水色のリボンを解く。

水色の万年筆で、ていねいな文字が連なっている。

「まま、しゅくだいをおねがいします。」

おいおい、ママの宿題じゃあないよ。でも、例の感想文の添削のことだな、と思う。

「とまとちゃん、ぞうちゃんとねずみちゃんとねてくれますか。ありがとうございます。」

末娘バッタがいつも一緒に寝ている子達。いや、厳密には、彼女と同じベッドに寝ている子達。他の子と違って、末娘バッタは所謂『ドゥドゥ』を欲しがらない子だった。ベッドの脇に寝かせているだけ。だから、彼女のお友達は皆比較的保存状態は小奇麗。

「ままといっしょにのこりたいです。」
「まま元気で。」

そして、女の子が泣いている絵が描いてある。ままがいないと、とてもかなしい、と解説付きで。

次の文章に釘付けになる。

「なんで、子どもは、やりたい事ができないのでしょう。」

「さようなら」

そう手紙は締めくくられている。さようなら、なんて、なんて悲しい言葉を使うんだろう。

そして、『ねこ』とサインオフ。

そうか。彼女は自分が『バッタ』とママに呼ばれていることを知らない。「ねこちゃん」なんて、時々呼びかけるので、自分のことを『ねこ』としたのか。

ねこちゃん、
悲しい思いにさせちゃってごめんね。バカンス、とっても楽しんできてね。ママはねこちゃんが楽しい時を過ごしますように、ねこちゃんがハッピーでありますように、って願っています。ママも、楽しい時間を過ごしますよ~。
ボンバカンス!ビズ ビズ ビズ!!!
ママより


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カフェラテとショコラショにフラプチーノの金曜日



「マダム、構いませんよ。金曜だからお疲れなんでしょう。」

え?開いた口が塞がらないとはこのこと。

「お疲れなのは、あなたじゃないの?」

不機嫌な私を捕まえて、なんたることを言うのか。心優しき若者よ、なんて感心するわけがない。あっけにとられたのは、相手の青年。。。


大体、あんた達がいけないのよ。さっさと決めずに、えっとーなんてやっているから。ママはいつだってカフェラテに決まっているわよ。しかもトール。

「うん。私もショコラショ。」
すかさず末娘バッタが呼応する。

決まりの悪そうな顔をしているのは長女バッタ。きっと以前友達とスタバに入ったことがあるのだろう。知識を息子バッタに披露しようと、『フラプチーノ』について講釈し始めたのが運のつき。息子バッタはバニラフラプチーノと決めたが、自分が悩み始め、ママの手前、カフェインありは遠慮しようと、漸くフレーズ(イチゴ)にするも、サイズで悩み、、、。

オーダーをとる青年は、最初のカフェラテとショコラショから、フラプチーノのフレーズを得るまでに、随分の間が開いたことで、手順がおかしくなったのであろう。

しかも、レジを打つ青年がまた別にいるといった、ややこしさ。そして、更に、ドリンクを作る青年が別に控えている。

結局お金を払って、ドリンクを待っていたら、カフェラテの分のお金が払ってないと言われてしまう。レシートを確認しなかった私がいけない、と、取り敢えずはレジの青年のところにまで戻って、改めてカフェラテの料金を払う。

そうして、三つのカップが揃ったところで、バッタ達に先にテーブルを確保し、飲んでて頂戴、と告げる。ママはカフェラテを待つから、と。

ところが、ドリンクを作る青年が、カフェラテはもうさっき渡した、と告げる。

あれ?じゃあ、さっき末娘バッタに渡したカップはショコラショ(熱いココア)ではないのか?ショコラはどこに消えたのかしら?

ショコラショの分の料金が払っていない、と、新たに言われる。

え?
今度はちゃんとレシートを確認してみる。確かに!

そうして、3度目の正直よろしく、レジの青年のところで、ショコラショの分の代金を払おうとした時に、その青年が私を労わってか、先ほどの勘違いの発言をしたのである。

まあ、まあ。そう、苛立つ内容でもないか。

「ママ、味見する?」

長女バッタが誘う。せっかく熱いカフェラテなんだから、冷たいシェーキはいらないわよ。と、それこそ冷たく言い放つ。

金曜のランチ前。今日からバッタ達はパパと来週の水曜まで、ボルドーのパパの両親のところでバカンス。契約とはいえ、やるせない。当初、パリのカフェにバッタ達を置くといったアレンジを提案してきたので言下に却下。次には彼のパートナーにバッタ達を手渡すといった、全くナンセンスな提案があったので、呆れてしまう。そして、彼の勤務先で手渡すといった私の提案に落ち着く。

テーブルの下から末娘バッタの手が伸びる。

自分達で揃えた洋服とバカンス中に読む本や宿題が入った小さなブルーのスーツケースを末娘バッタが引いている。ちっとも手伝ってやらなかったことで、胸がチクリとする。

じゃあ、元気でね。いってらっしゃい。
バッタ達がルノーのエスパスに吸いこまれる。

心が暗黒の世界に吸いこまれ空洞化する。空洞のはずなのに、重みを伴っているかの様な奇妙な感覚を抱いてセーヌを走り、オフィスに戻る。


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2011年10月27日木曜日

新月のなせる夢


新月だからか、街路灯がいつもよりまぶしく感じる。
それとも、寝不足なのだろうか。

万聖節のバカンス中なのに、朝7時前の通勤路は、いつものように混み合っていて、赤いテールランプを浴びながら、ぼんやりとラジオのニュースに耳を傾ける。

どうやら明け方、欧州サミットはそれなりの合意に達した模様。ギリシャ債のヘアカットは50%に。事前予想通りか。

その後、「アラビア語」、「フランス語」、「言語の乱れ」といった語句が耳の奥に残る。それらキーワードを掻き集め、いつものように想像力を逞しくし、なるほどね、と膝を打つ。どこぞやの言語学者が、最近の若者達の会話にはアラビア語の単語が入り混じっているとし、フランス語の乱れを嘆いているのであろう。

バッタ達の会話にちらりと思いを馳せる。アラブチックな発音が最近の流行なのだろうか?あまり、ピンとこない。

しかし、自国にないものを取り入れ、自国のものに融合させてしまうことこそ、フランスという国の懐の広さと深さであって、それこそがフランス文化の豊かさではあるまいか。

と、新たなキーワードが耳に飛び込む。「チュニジア」。

おっと!

コメンテーターの話に意識を集中して聞いてみると、どうやら、チュニジアにて、フランス語の流入により、正統アラビア語が穢されていると主張するナショナリズムを煽る一政党の話。

しかし、チュニジアにしろ、ムスリムが支配し始めたのは7世紀のことであろう。それまでは、ローマ帝国の支配下であったではないか。

いやいや、勝手に思い込んで熱くなる前に、先ずは、よく話を聞かねばなるまい。

と、オフィスの駐車場の入り口に着いてしまう。。。

新月のなせる夢か


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大先輩の近況


「君に朝食を作って食べさせてあげたいよ。」

それが意味することなんて、当時ちっとも考えずに、お料理好きで博識な大先輩の朝食って、どんなだろう、と本気で思ったもの。

会社の大先輩から、こんなこと言われちゃったよ、と面白半分で兄に伝えたら、その兄のビックリした反応に、こちらの方がびっくりしたことを今でも覚えている。

大先輩も大先輩。当時私が勤める商社のプラント専門100%子会社に出向されていて、そこの副社長。未だ新米であった私のカンボジア出張にご一緒頂き、その時の代表団の長として導いていただいた。

あのカンボジア出張は、良きにしろ、悪しきにしろ、多くの出来事が凝縮され、今にして思えば、ひょっとしたら私の人生の分岐点になったのではあるまいか、と思うほどの体験であった。

未だ日本政府と国交が正式に結ばれていない時代。いや、カンボジアという国自体が国連の暫定統治下にあった時の頃。

ガイドをしてくれた現地の人は、連れて行ってくれた博物館で、そこに母と妹の頭蓋骨があると指差し、私はどう答えて良いか分からず、余りの悲惨な現実に打ちのめされていた。会う人、会う人が、ポルポト政権の犠牲者であった。それは過去ではなく、現実。

医療機器のコンサルの方とご一緒したが、彼は終日、現地の医療機関を見て回り、余りの悲惨さに、その日の夕食が喉を通らないほどだった。

フランスの資金で建設されたカンボジアーナという立派なホテルが、プノンペンでの宿泊地。当時、未だ建設進行中。これからの新国家建設に向けての海外からの利用者の需要を見込んでのこと。旅行者の前に、インフラ面で復興の為充実させねばならないことは多くあった。

大きなレストランホールで夕食をとり終えると、そこはすぐにダンスホールに様変わり。怪しげにライトが点滅し、いつの間にか現れた現地の少女や女性たちが外国人客の周りをしなやかに踊りだす。

確か材木関連で、日本のビジネスマンがいらしていたか。その50代と思しき方が、武勇伝のように、どのようにお金を握らせれば、少女が幼い胸を触らせてくれるか、と語っていたのを耳にし、正直うんざりしていた。

現実。

私の出張のお仲間達も、どうやら夜はそれぞれにお愉しみがあるらしい。私も伊達に商社に勤めてはいない。良いではないか。どうぞ、存分にお楽しみあれ。私は先に失礼します。

そんな態度を一貫として取らせていただいていた。当時、未だ20代の前半。

ラオスでもそうであったが、カンボジアも旧仏植民地。優秀な政府の高官達、これからの国家を牛耳る人々は皆フランス留学組。フランス語が達者。英語は世界の言語、なんて思っていたが、そんな考えが一転する経験であった。そうして、復興に向けて、国連、世銀の人間達が活躍している姿を目の当たりにする。そんな彼らは、英語は勿論、仏語も堪能。下手をすると現地の言葉も操る。

世界を舞台にビジネス界で生きるには、英語のほかに、仏語を習得する必要がある、と、あの時、心の奥に刻んでしまったのだと思う。そして、世銀に対する熱烈な憧れも、あの時、しっかりと植えつけられた。

大先輩を長とする、我ら代表団も、取り敢えずは現地の要請、要望を調査し、世銀・国連の復興計画の概要を把握しようと努力し、何らかの手応えを得て、一週間余りの出張日程を無事終了。

バンコクで最後の晩餐、となる。

私は最初から遠慮していた。男性陣が如何にバンコクで羽を伸ばし愉しむか、知らないわけではなかった。

ところが、私も仲間、と、その大先輩が主張する。仲間同士で晩餐をしないでどうする、と。

海鮮料理に舌鼓を打ち、では、私はこれにて失礼、とすれば、やっぱり引き留められる。大先輩が俺の歌を聞け、との仰せ。

そこまで仰るのであれば、と、バンコクのカラオケにご一緒する。他の男性達は、じゃあ、と割り切って威勢良く彼らの馴染みのカラオケ屋に。

20代の女性には衝撃的、いや、きっと今だって同じ感慨を持つに違いない。

きらびやかなガラス張りのルーム。そこに番号札をつけた女性達がずらっと並んでいる。女性の格好がどんなものであったか、正直、今では忘れてしまっている。

衝撃的であったことは、女性が番号札をつけていること。そして、男性が番号で女性を選ぶこと。

その光景を目の当たりにし、まるで奴隷市場にいるかの錯覚に陥り、吐気がする。女性として、いたたまれない。

怒りに震えていたのだと思う。帰ります、と主張する私。慌てる大先輩。他の男性陣は、好みの女性を既に選び、ご満悦で自分の世界に入ってしまっている。

兎に角、俺の歌を聴いてくれ。一曲、歌わせてくれ。そしたら、帰ろう。

大先輩は、女性を選んでいなかった。お店の人には、私がお相手と思われているらしいことも、憤慨の理由の一つでもあった。

呆然と立ちながら、拍手もせずにイライラしている私に、お店のお姉さん達は、ちょっとアンタ、旦那に拍手ぐらいするものよ、と目配せしてくる。

大先輩の歌が終わるや、曲の終わりまで聞かずに、脱兎の如く駆け出す。

と、彼も一緒に走ってくる。おい、そっちじゃない、こっちだぞ、と。

気がつくと手を引かれていた。怒り心頭。

それでも、ホテルのエレベーターホールでお互い上品に、おやすみなさいの挨拶をして、別れる。

その方がアルジェの支店長として赴任されるときに、私の所属する室の皆で、会社の食堂にて壮行会を催した。海外赴任される方の壮行会、一時帰国された方の歓迎会をすることは、私が所属する部、室の慣わしでもあった。

お酒に強い方でもあったし、多分、雰囲気的にもビールを皆随分飲んだのではなかろうか。取り敢えずはお開きとの流れになり、二次会はカラオケだろうと思いながらも、がやがやしている、その隙にちょっとトイレに。慌てて戻ってくると、なんと、そこに、その方お一人で待っていらした。

「無粋な奴らには帰ってもらったよ。」

え?大好きなカラオケには?

「皇居の花見でもしようじゃないか。」

面くらいつつも、断る理由もすぐに出てこず、夜の花見をご一緒する。これから単身でアルジェリアの地に行かれる方への、それはそれで立派な馬の餞ではないか、と思ってしまった。

多分、今の私と同じぐらいの年齢か。もうちょっと上であったか。

あの時、どんな話をしたのか、してもらったのか、余り覚えていない。驚くほど金曜の夜の皇居は花見客で賑わっていたことが思い出されるのみ。

あいつらには負けたくない。

そんなことを話されていたようにも思われる。今思えば、40代半ばでのアルジェリア赴任。これからの会社人生に対する思い、これまでの越し方に思いを馳せ、社会人になりたての私を相手に、熱き思いを語りたくなったのではあるまいか。

そういえば、時々、奇妙なことを言っては私を仰天させていた。

「君は惚れた人間はいるか?」

え?惚れている人ですか?ドギマギしている間に、私の答えも聞かずに、

「まさか、あいつじゃないだろうね。」

とくる。

「君のところの室長だよ。あいつだったら、俺は叶わない。」

そうして、男として、如何に、その室長に惚れているか、そうして、人間としてどうしても叶わないと思っている、と熱く語りだす。

奇想天外とはこのこと。

くどいようだが私は当時20代の前半。40代の上司に惚れるなんて感情が起ころうはずがない。

追いかけたわけではないが、タイミング的には追いかけた格好となる私のフランス留学。当時の寮の部屋の電話に、突然アルジェから電話が入り驚いたものだ。

それから、大先輩はフランス会社の社長となられるのだが、悲しいかな、そうお会いする機会もなく、もう最後にお会いして何年も経ってしまっている。

今日、2年ぶりにランチをした方が、フランス会社のお勤めなので、ひょっとしたらご存知かと近況を伺ってみる。

「あら、お知り合いだったの?」 「今年の7月にね、お亡くなりになったのよ。」

え?

え?

え?

まさか、あちらに行ってしまったのですか?一言、仰ってくださればよかったのに。行くぞ、と。

未だ、60代じゃないですか。急ぎ過ぎです。
大先輩が惚れていた、当時の私の室長は、実は10年も前に先にあちらに行かれてしまっている。。。 
ああ、きっと、今頃、お二人で一献傾けていらっしゃるのでしょうね。

大先輩のニックネームはウエチュー。当時の商社は、海外事務所にテレックスを使って交信していたが、アフリカや中東に仕事で駆け回っている大先輩に、彼の上司が、テレックスを打つ。

Uechu “Où es-tu ?”
ウエチュー ウ エ チュ(お前どこにいる)?


心よりご冥福をお祈り申し上げます

2011年10月26日水曜日

玄米の魅力


なんとなく腹に力が入らない。

最近、玄米を食べていないからかな、と思う。

今朝、バカンス中の長女バッタに夕食のメニューを聞かれて、玄米、と答えておく。取り敢えずは3合を洗って、水に漬けておいてね、と。

こんな日に限ってバイオリンの練習が特別に夕方に入る。
が、バカンスだからか悠長にしている先生が30分も遅れて教室に入ってくる。

厳密には1時間半の遅れ。1時間遅くして欲しいとの私のお願いSMSに返事がないので、無理なのだろうと判断し、言われた時間に来てみれば、到着間際に先生から、一時間遅くの時間でOKとの返事。

今朝のSMS交信であったのに!

芸術家は時として浮世離れしているので、さもありなん、と思うも、こちとら俗人であり、仕事途中で抜け出す気まずさを味わい、かつ、急がねばと高速料金を支払っての、時間通り到着の並々ならぬ(?!)努力をしていたものだから、なんともいやはや。

それでも、一時間はびっちりとバッタ達とヴィヴァルディの四季を合わせることができる。

遅れたことを詫びるでもなく、バイオリンとともに大輪の笑顔で教室に入り、たちまちに燦然とする太陽の輝きで我々を包み込んでしまうのだから、大したものだ。

二歳と4ヶ月の坊や達が車で寝ているので、誰か運転席に乗っていてくれないか、とのリクエスト。息子バッタが適役かと思うものの、何かあったら、と私が赴く。長女バッタは4歳の娘さんのお相手。末娘バッタがレッスンを開始する。

そうして、あれよあれよと時間が過ぎ、我が家に戻ると8時を回っている。

バッタ達の腹減ったコールに、慌てて挽肉を炒め、ラーメンを作る傍ら、圧力鍋で玄米を炊く。

豪華版ラーメンに、更に卵まで入れ、超豪華に仕立て上げ、うまそうに啜り始めるバッタ達。

いつもなら玄米の香りの豊かさがキッチンを満たすところ、非常に大衆的なラーメンの香りが満ちており、空きっ腹に得も言わぬ効果を発揮。ついつい、と玄米のおかずと思っていた塩ジャケや焼きタラコを肴に、ビスコットをつまみ出す。

こんなことなら私の分もラーメンを作ればよかったのだが、ご丁寧にバッタ達は、ママの栄養と美容と元気の源を考えて、ラーメンを3つしか用意してくれなかった。期待に応えねばと、ママは玄米が炊けるまで待たねばならなかった。それなのに!たったの15分が待てず、漸く圧力鍋がシュンと音を出して炊飯完了の合図をしても、もう、お腹は満たされてしまっていた。

とほほ。。。

玄米は明日頂くとしようか。


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2011年10月24日月曜日

銀色の粒


ぱらぱら ぱらぱら 月桂樹の葉を叩く音
ばらばら ばらばら 石畳を叩く音

このところ太陽の輝きが続き、
夕刻、家に戻って、玄関のオリーブの木に
水差しいっぱいの水を注いだばかり。

どうりで遠くの空がたっぷりと重そうな青だったわけ

忘れかけていた頃に
ぱらぱらぱらぱら ぱらぱらぱらぱら 勢いよく天窓を叩く音

そのうちに
しゅんしゅん しゅんしゅん とヘーゼルナッツの葉を叩く音に

葉脈を伸ばして雨粒をはじき飛ばし闇緑色の葉がきらめき、
濡れそぼった杉ぼっくりがクリスマスツリーよろしく彩りをもたらす

月もなく、暗黒の世界なのに、銀色の粒がまばゆいであろう
そんな気にさえなってくる

ぱらぱらぱらぱら ぱらぱらぱらぱら
しゅんしゅん しゅんしゅん


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2011年10月23日日曜日

夕闇の一っ走り


夜の7時半ともなれば、もう夕闇迫り、ライトなしでは走行は危険。冬時間への移行ももうすぐ。

そんな暗闇に自転車で外に出る息子バッタ。

馬鹿息子。

いや、自転車で出かけることが馬鹿なのではなく、そんな状態に自分を追い込むことが馬鹿なのである。

夕方になって、みんなで車に乗って家に向かっている時に、息子バッタが、末娘バッタのお友達の大切なペンを失くしてしまっていたことが発覚。いや、正確に言えば、バッタ達は今朝から分かっていた話で、母親の知るところとなったタイミングが夕刻であったということ。

息子バッタは丁寧に探しもせずに、お友達を帰してしまっていた。ちゃんと謝りもせずに。

なんたること。

そのペンも、ただのペンではなく、DS用タッチペン。

末娘バッタも怒られ、長女バッタもとばっちりをくう。いや、そうではあるまい。彼女達だって同じ穴の狢。友人から借りたものを失くして、そのままにしてしまうセンス。一体これは何なのか。

事の重大さに漸く気が付き、我が家に着いた途端、バッタ達は大騒ぎで、それこそバッタの様に飛び回って探し始める。

そうして、私が洗濯物を干している間にも、そのペンは発見される。どうやら、ベッドのマットレスの隙間に落ちていたらしい。

今日中にお返ししなさい。

厳命に従い、息子バッタが自転車で外に出る。末娘バッタが玄関のライトをつけ、長女バッタが気遣って玄関から離れずに見送っている。

歩けば40分程度の距離。もう、11歳。これぐらいはできるだろう。男の子なのだし。

暫くすると、ケータイが震える。先方のお母様から。非常に恐縮しきっている。

とんでもない!本当に躾がちゃんとされておらず、本当に恥ずかしいです。大切なものをお借りしていながら、失くしちゃって、それをそのままにしていたなんて、申し訳ないです!

そうして、完熟トマトの顔をして息子バッタが到着。

汗びっしょり。エビアンのボトルを勢い良く飲み干す。気分は爽快であろう。

さあ、ちょっと遅くなったけど、夕ご飯にしよう。お疲れさん。

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2011年10月22日土曜日

『トリプルコンチェルト』とチラシ寿司の夕べ


「ママ、ちょっと今日、おかしいんじゃない?」

長女バッタがピシリと告げる。

「さっきの曲も変だったよ。」

末娘バッタと息子バッタのお友達を呼んでの夕食の席。サーモンとイクラ、錦卵、インゲン、海老をかっこよく盛り付けたチラシ寿司をそれぞれが頬張っている時。

「やっぱりクラシックだよ。」
「あ、ボクもクラシックが好き。」

息子バッタに、彼の友達が呼応する。

あら、そう?

今日は朝からバイオリンの練習があって、ヴィヴァルディの四季で頭はパンパン。一週間の買出しやら、何やらで疲れ気味でもあった。軽ミュージックと思って、いつもは手を伸ばさないフランスのシャンソンを流していた。

クラシックね。じゃあ、ママの好きなCDにするね。

「きっとユーディだ。」「ユーディのバッハだよ。」

パールマンによるパガニーニ。カプリスが流れる。

「えっぇえ?パガニーニ?」「いやだぁ。」

いつもは大好きな癖して。全く、それこそカプリスだ。

じゃあ、みんなの好きにして頂戴。

すかさず長女バッタが息子バッタに役割を振る。彼の選択は悪くないという。

友達を振り返り、「ベートーヴェンで良い?」と聞く。

何を格好つけているのか。

そうして、ベートーヴェンの『トリプルコンチェルト』が流れてくる。チェロは学生時代かと思わせる若い頃のヨーヨーマ。ヴァイオリンはやはり女学生の様なムター。ピアニストは、実はちょっと私は知らない青年。そして指揮はカラヤン。

そうか。
息子バッタの選んだ曲。
バイオリンとチェロ、ピアノの掛け合いを聴きながら、イクラを乗せた椎茸と胡麻の寿司飯を口に運ぶ。チラシ寿司にはぴったりの曲かもしれない。久しぶりにお友達を迎えての、いつもより一層明るく賑やかな食卓。笑い声がコンチェルトの掛け合いに溶け込む。

さあさあ、たっぷり召し上がれ!


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初霜


フロントグラスに薄く張った膜をシュルシュルと削りながら
冬がもうそこに来ていることを思い知る

バッタ達にせがまれて暖房を入れて良かったと
ほっと胸を撫で下ろしながら
昨晩、息子バッタと末娘バッタがチームになって、
各部屋にペンチとバケツを持って
温水式暖房システムのパネルのエア抜きをしていたことを思い出す

今年は息子バッタが一緒に地下室に下りて、
暖房のスイッチの入れ方を見ていた。
「なんだ、スイッチを入れるだけなのか。」

そう、簡単でしょう?
そんな簡単なことでも、知らないと、出来ないことが多い。

それでも、
いつの間にか、バッタ達はどんどんママが一人でしてきたことを自分達で出来るようになってきている。

毎週末の洗濯も、靴下の整理も、スーパーでの買い物も。

そりゃあ朝だって、自分達で起きて朝食をとって、ちゃんと学校に行っているのだもの。

いつだったか、末娘バッタが、クラスの友達がコートを脱いだら、その下にパジャマを着ていたんだよ、と笑って教えてくれた。バッタ達と大笑いしながら、あそこの家は小さな子供が多いし、朝、ママは大変なんだよね、なんて言い合っていた。

ふと、我がバッタ達に振ってみる。

で、あなた達は、そんな経験、ない?

すると、なんと!長女バッタが、実は未だ小学生の頃、パジャマでやっぱり学校に行ってしまっていたことが発覚。

ちょっと、ちょっと、本当?
長女バッタは澄まして続ける。

「大丈夫だよ。パジャマっぽくない、パジャマだったから。」

お見事。天晴れ。繊細に見えて実に神経が図太い。

去年はその前の年のオーバーで我慢したから、今年は新調して欲しいって言っていたっけ。
週末にでも、一緒に見てみるか。

漸く温まってきた車内の空気でフロントグラスは白く曇ってから、
さあっと開けるように視界が良くなる。
早朝の道には未だ誰もいない。

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