2011年9月21日水曜日

君色のキャンバス



 ガレージに修理を頼んでおいたクリオを取りに行ったので、いつもよりも早い退社となり、7時には我が家の前に着いてた。9月から始まった学校で恐らく各学年別の保護者向け説明会があるのだろうか。玄関から学校が見えることで、子供達の通学には最高の環境だったが、我が家の前の道路は、時に子供を送迎する保護者の車で埋まることが多かった。そして、その日も例外ではなく、いつもは路上駐車をするところ、門を開け、庭に車を入れることになった。いつかは電動式にしたいと思いつつ今になっていた。その間、子供達のベビーシッターが一度、バックで門に当たり、門は微妙に段違いとなり、鍵こそ掛かるが、パーフェクトな状態とは程遠かった。それでも、昨年は家の門だからと、新たにペンキ塗りをしたものだった。いや、バッタ達が父親のもとで連休を過ごしている間、建設的にならねばと、近所の日曜大工の店に行って、手っ取り早くペンキを購入したのだった。その延長とも言えようか。我が家の物置には何台もの芝刈り機、チェーンソーまでもが揃っている。
 
 さて、つい話がそれてしまう。その日は末娘が今年初めてのダンスの日。これからは帰りに一人でバスに乗ることになるが、その日だけは長女が迎えに行ってくれていた。ダンス教室に二人を迎えに行こうか、との思いが夕方の道を車で走りながら、ほんの一瞬過ぎる。が、末娘には一人でこれからバスに乗って帰ってきてもらわねばならないことを思えば、二人に任せることが一番と、私にとっても気楽な方を選んだのであった。頭の片隅に、一人で残っているだろう息子のことがなかったとは言い切れない。11歳の息子は二ヶ月の夏休みを終えて帰ってくると、俄かにママ、ママとなってしまっていた。いや、それよりも、このところの父親との対立は目に余るものがある。頭ごなしに命令し、学校カバンも所有者の不在中に勝手に手にし、ノートに書かれた間違いを几帳面に書き取り、後で訂正させる、なんてことをする父親を煙たく思っているのは、彼だけではなかった。それでも、長女は、そんな父親の一時的ながらの熱心さに応えるだけの礼儀を知っていたし、末娘は、逆らうには幼過ぎた(それでも宿題をスキャンして父親のメールアドレスに送れと指示する父親が購入したマルチ印刷機は、いつの間にか埃が被っていたが)。息子は正面から対立した。物事には優先順位があるだろうと、父親の命令は今すべきことではない、と大声で言い放つ息子に、いつものママを慕う甘えたところはなかった。反抗期?そうなのであろうか。

 庭に車を乗り上げても、家からは音さえしなかった。訝しげに玄関に行くと扉には鍵が掛かっていた。寂しがり屋で、ちょっと怖がりの息子のこと。鍵を閉めて二階に上がって本でも読んでいるのだろう。そう思って鍵を開けて入った我が家はひんやりとしていた。「ただいま」の声に返事はなかった。玄関には散らばった靴。サロンにはバイオリンがケースに入れられずに絨毯に転がっていた。末娘が担当する雨戸は閉まったまま。ふと、息子も皆と一緒にダンス教室まで迎えに行ったのかとも思ってみた。それにしても、誰もいない家に帰る時は、こんな感じがするものだろうか、と久々に一人を味わっていた。朝の喧騒をまだ引き摺っているかの様な、それでいて、ひっそりとした空間。末娘は、毎日この孤独を味わっているのかと、胸がつんざける思いがする。

 そうだ、バドミントンの練習に違いない。前の晩の息子の言葉がよみがえる。息子は大のスポーツ好きであった。小学の頃は休み時間のサッカーが楽しみで学校に行っている節があった。それが卓球になったり、ハンドボールになったり。スーパーで床に転がるジャガイモでサッカーのドリブルをしている6歳の息子を見て、唖然としたものだった。同じ学校に行っている筈なのに、娘は普通校、息子はスポーツ専門の学校かと錯覚することさえある。存在さえも知らなかった学校の休みを利用した地元自治体主催のスポーツの研修、学校のクラブ活動、そんなものは、全て息子のお陰で発見するに到った。今年も放課後の活動として、バドミントンを希望していた。その練習開始日に違いなかった。

 一人納得し、このところ凝っている生春巻きを夕食にしようと、海老を剥き始めた。幾つも剥かないうちに、元気な声で娘達が帰って来た。それから、息子が風のように帰って来た。バドミントンの練習だったのね?と確認するが、それには答えずに、下を向きながらキッチンのドアに身体を預け、学生手帳に先生から記入されたと告げる。一体何のことだか、さっぱり分からないでいると、いきなり先生がいけなくて、悪いのはボクじゃない、と始まった。この年頃にありがちとは言え、話はまったく要領を得ない。漸く、落ち着かせ、ゆっくりと話を聞いてみたら、何のことはない、授業で使う指定本を持ってこなかったので、先生から教材不備のチェックを受けてしまったということ。本人に言わせると、前の時間に先生は確かに、次回は試験をするので、本は持ってこなくても良い、と指示したという。だから、クラスで9人もの生徒が本を持ってこなかったという。なら、何故、先生に、そのことを正さなかったの?と正論を長女が指摘。息子は、最初から先生の心証を悪くさせたくない、と。先生が白と言えば、白である。そんな考えが彼の中で育っていたことに驚く。それでも、学生手帳に記入されることは、生徒にとり精神的負担とはなる。期末の成績に響くことは間違いない。蒼白になりながらも、彼は付け加えることを忘れなかった。ボクが授業中に聞き間違ったのかもしれない、と。

 そんなことがあったからだろうか。夕食の時間には、小学の時からの仲間の一人が最近余り態度の良くない生徒達とつるんで、皆に意地悪をする、と訴える。しまいには、その彼が小学生の時はどんなに良いヤツだったか、と涙声。一体、どうしたんだろう。

 夕食後、お風呂に入ってさっぱりしたのか、バイオリンの音が聞こえてくる。

 もう分かっているだろうか。息子よ。誰もが自分というキャンバスを持っている。生まれたときは、それは真っ白。今、君のキャンバスは何色で染まっていると思う?他でもない自分色に染まっているんだよ。自信を持って、我が思う道を進んでくれ。ママは一緒には歩まない。元気良く突き進むだけのエネルギーを持って君は生まれたんだよ。そのエネルギーを上手く使う知恵もしっかりついてきた。体力も問題ない。応援はしっかりさせてもらうから。ウルサイなんぞとは言わせないよ。さあ、立ち向かえ!

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