2018年4月21日土曜日

するか、しないか








今年、元旦に揃ったバッタ達に、新年を迎えての初心と抱負を語ってもらった。そんな時、すぐに率先的に発言をするノリの良い末娘バッタが口火を切った。それから、長女バッタが相変わらず、頓智に富んだコメントをして、皆を笑いに包み、雰囲気はお正月らしく初々しく、福福しかった。

ママは?

バッタ達の視線を一身に浴びる。

ママは、今年は一切アルコールを飲まないこと!これを一年守ります。

バッタ達が驚きの声を発する。すかさず息子バッタが一言、「僕はチョコレートを食べないでおこうと思っていたんだ。」

皆、ちょっと静かになる。ママがアルコールを飲まないことと、息子バッタがチョコレートを食べないことは、かなり意味合いが違ってくる。アルコールは今のところママだけ摂取しており、時々バッタ達から嫌味が飛ぶ。健康に良くない、一人で飲むのはどうかと思う、アルコール度が強過ぎはしないか、などなど。ところが、チョコレートは我が家で誰もが愛しており、チョコレートを食べない日など珍しい程。

私が何を思ってアルコールを止めることにしたのか、別に皆に公表しなかったように、息子バッタも、何故チョコレートを口にしないことにしたのか、何も告げなかった。そして、確かに彼はそれを守った。

パック(イースター)の時でさえ、チョコを口にしなかった。あんなにチョコ好きが一体どうしたのだろう。以前グルテンでアレルギー反応を示したように、チョコアレルギーということでもない。ニキビに悩んでいる様子でもなく、肥満でもない。ノエルの時には、毎日、その日の窓を開けて中のお菓子を楽しむ大きな12月のカレンダーの箱を嬉しそうに、そして大事そうに寮に持って行ったというのに。お菓子はチョコレートと相場が決まっていた。

それに、これまで一度だって、何かを食べないでおこう、なんて決心をしたことはなかった。

そんなある日、息子バッタが我が家に来る時に使う勉強机の上に、昨年の夏に担任の教師からもらったキットカットが目に入った。「きっと勝つ」という験担ぎでキットカットを生徒一人一人にプレゼントしてくださったと聞いていた。息子バッタはそれを手つかずで机に今でも置いている。

その時、ふと、謎が解けた思いがした。彼にとっては、昨年夏のバカロレアで未だ勝負は終わっていないのだ、と。来年夏のコンクールこそが勝負なのだ、と。

そこまで考えたのか、実際のところは分からない。それでも、勉強を続ける毎日の中で、何か簡単に実感できることをしたかったのではないかと思う。

問題集を解くことで学びは定着するのだろうが、効果の手応えなど、そんな不確実で分からないことはないのではなかろうか。そんな中、チョコレートを食べない、という、単純な行為は、非常に分かりやすいのではないだろうか。自分が決めたことを、愚直に実行する。実行している自分に、ある種の拠り所を求める。

自分を見失わずに、志を常に胸に抱いて荒波にもまれることは、簡単なことではあるまい。

それに比べると母親の年初の抱負は、高尚さに欠けようか。いや、抱負に良し悪しもあるまい。高尚でなくとも、非凡でなくとも、一向に構うまい。するか、しないか、だけのこと。







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2018年4月14日土曜日

同じ時を駆け抜けた仲間たち









完全売却となり、同業であった買収先に全従業員の2割も行かず、実質上消滅してしまった以前の勤務先。

最後は誰が買収先に行くのか、誰が他の良い就職先を見つけたか、誰が起業したか、そんな話で持ちきりとなり、噂が噂を呼び、憶測だらけの、不健全な空気が漂ってしまっていた。

煌びやかな虚構の世界。外に出てみて、その異常さが漸く分かった。そして、そこに未練がましく未だに残っている元同僚たちとは、もう吸っている空気さえ違うと感じていた。

あれから5年になるのだろうか。久しぶりに皆で集まるという。既に参加を表明している名簿の名前を見ていくと、懐かしい顔が次々に浮かび上がる。久々に行ってみようかと思う気持ちがほんの少しだけ起きて、自分自身でも驚いてしまう。

セーヌ河に停泊している船を貸切っての夕べ。
会社の羽振りの良い時には、社を挙げて毎年チームビルディングとかの名目でニース、リスボン、ストックホルム、モナコなど、各都市で週末研修をしていた。最後はパリのディズニーランドだっただろうか。その度に社名の入ったジャケットやリュックをもらっていたことを思い出す。年の暮れになると、誰からとなくシャンペンのRuinartの注文票が出回ったものだった。

見栄や虚勢などの感情一切抜きにして、純粋に皆に会いたいと思った。そう思える自分が不思議でもあった。

当日は昼食の時間もない程の忙しさで、パーティーの始まる時間にも未だデスクで金曜最後の一件を片付けていた。これが最後、と思っても、次々に案件が出てきて、最後の最後の最後を手掛けていた。

幹事からの連絡によると既に参加者リストは100人近くに達していた。

行くだけ行こうか。挨拶するだけ。そうして、帰ろう。今にも雨が降りそうな曇り空の下に駆け足で躍り出た。

セーヌ河沿いに停泊している船はすぐに分かった。夕暮れで辺りが暗くなっていく中、船の窓からは明るい光が放たれ、既にかなりの人数が笑い合っている姿が目に入った。が、どうもピンとくる顔が見当たらない。

と、まだ先の方にもやや小ぶりの船が停まっている。
デッキには当時と全く変わっていない顔ぶれがいる、いる、いる。にんまりとしてくる。
船内には、あちこちで既に塊が出来ていて、大声で話すもの、抱き合うもの、とにかく賑やか。そのどの塊にも、知っている顔がいる。

毎朝、7時の早朝会議の後、一緒に珈琲を飲んだイタリア人のリリーが見つかる。抱き合いながら、懐かしさで胸一杯になる。相変わらずの笑顔と早口で、情緒たっぷりに話し始める彼女を見つめながら、どうして今まで彼女の肩を抱くことをしなかったのか、不思議にさえなってしまう。どんなに会いたかったか!

未だ20代の後半。そんな時から一緒に同じ釜の飯を食って来た仲間達。
あの輝かしい時代。純粋に懐かしいと思える程、時間が経過したことに驚いてしまう。当時を愉快に振り返り、肩を叩き笑い合う。夕闇が、髪の色を目立たなくさせ、目の皺も隠してしまうので、次第に、本当にちっとも変っていない、当時の仲間達の顔になる。

ヒールを履き、スーツに身を包み、時代の先端を走っているように錯覚していた、あの時代。駐車場、カフェテリア、銀行、何でも揃っていた社屋。当然の様にタクシーで移動し、当然の様にハイランクのホテルに泊まっていた、あの頃。

虚構であったとしても、そんな境遇にあったことで、志高く、バッタ達を育ててこれたのだと、今、漸く思うに至る。

未だ同じ業界でしのぎを削っている昔の同僚の一人と一緒に船から出た。とうとう空から銀の小粒がぱらぱらと落ちてくる。彼女はゴールドのハイヒールで石畳を歩きながら、真っ赤な傘を差し、目の前を通ったタクシーに手を上げ声を掛けると、再会を約して軽く抱き合い、危うげな足取りで赤信号で止まったタクシーに向かって走っていった。

最寄りの地下鉄の駅はパリ市庁舎。地下鉄の排気口からの温かさを求めてだろうか。寝袋にくるまって寝ている浮浪者の脇を歩き、すえた匂いのする地下鉄の階段を下りていく。

仲間という甘い言葉に酔いしれながら。




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2018年4月10日火曜日

ジュダの樹






「私、とっても心配なんだけど。」
数年前に80歳の誕生日を迎えてなお矍鑠としたご近所のマダムが、停車した車から降りようとするのも待ちきれないかのように声を掛けてきた。

何事かと思って話を聞くと、我が家の庭の大きなジュダの樹が枯れてしまったのではないかと心配しているとのこと。仰ぎ見ると、確かに沢山の枝には枯れた鞘がぶら下がっていて、寒々としている。毎年赤紫色の粒粒の花が見事なのに、枯れてしまったのなら、これ程残念なことはない。そう、辛そうな表情で話している。

なんだか、デジャビュ。そう、昨年も同じ会話をしたのではあるまいか。いや、毎年と言っていい程、同じ会話をしている。

毎年、この木は枯れたように見えるが、梅も桜も散った頃、突如と細い枝にびっしりと赤紫の小さな花をつける。今だって良く見れば、枯れたように見える枝から、僅かな硬い膨らみが確認できる。


 

今、森に足を踏み入れると、それぞれの木の芽吹き方の違いに驚いてしまう。あっという間に大きな緑の葉を広げてしまうもの、いつまでたっても硬い芽を保っているもの、先ずは花が咲き誇るもの。同じ種類の木にしても、通りでは桜が咲いているのに、我が家の庭のさくらんぼやミラベルは未だ蕾のまま枝を風に揺らせている。クエッチの木など今年は花が咲くのか怪しい程に蕾が育っていない。ところが、4月の終わりに咲くリラは既に枝にたくさんの蕾をつけ始めている。


 


人間も同じなんだろう。
それぞれ個性があり、目覚めの時期も成長の時期も各人異なる。



  



日曜だけ帰って来た息子バッタが、寮に帰る前にバイオリンを弾き始める。
バッハ。二つのバイオリンのための協奏曲、ニ短調第3楽章。
レッスンがあるわけでもなく、コンサートを控えているわけでもない。純粋に自分のために弾いている。

懐かしい音色。
宇宙に思いを馳せる。






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2018年4月7日土曜日

しののめ









日が昇る瞬間を見たかった。
厳密には、日が昇る時に空が燃えていく様を見たかった。

最近は空が白々と明けゆく前にバスに乗り、空が明るくなる頃には眠り足りない人々と電車に揺られていた。ちょっと足を止めて、空の色が変化していく様子を眺めることもせず、急いでオフィスに駆け込んでしまう日々。

市庁舎前の木蓮が花芽を枝一杯につけ、その蕾が次第に膨らみ、今では狂ったように咲き乱れている様子も気になっていた。それでも、朝は電車に遅れないようにと急ぎ足で駆け抜け、夜は夜で次のバスに乗り遅れないようと走り過ぎてしまう日々。

予定があるようで、時間的には全く縛られない土曜の朝。
ふっと目を覚まし、東の空に面した小窓のある末娘バッタの部屋から外を覗くと、空に朝の気配が感じられる。慌ててジャケットを羽織り外に走り出る。

東の端が薄っすらと明るくなっている。雲が一筋、桃色に光り始める。






市庁舎前の木蓮は、今にも花弁がはらりとこぼれ落ちそうな程に咲き乱れている。







今朝の空は思い描いていたようには燃えずに、ぽっかりとした光の塊が木々の向こうに見え始める。

空を仰ぐ。






一日中空の色や雲の流れをみていようか。一瞬そんな思いが過る。
こんな日の始まりには熱いカフェラテが恋しくなる。



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2018年4月1日日曜日

連翹の炎








ママ、走ろうよ。
末娘バッタが誘う。

最近見つけた森への散策コースの途中に、小川に沿ったランニングにぴったりの小径がある。そこを走りたいと言う。どうやら、一緒に走ろうと誘われていると言うよりは、彼女が走っている間、上着を持っていればいいらしい。

春の息吹を写真に撮ろうとしているものとしては、大歓迎。二つ返事で外に出る。

膨らみが大きくなってきた木の芽を楽しみながら、末娘バッタのおしゃべりに耳を傾ける。そのおしゃべりも、小径の手前でぴたりと止まり、上着を脱いだ彼女はあっと言う間に走り出してしまう。

レポーターよろしく、後ろ姿でも写真をとカメラを向けた時には、既にゆるやかな角を曲がり切ってしまっていて、見えなくなっていた。

のんびりと小川に沿って歩き続ける。ネコヤナギの柔らかいビロードの花穂が愛らしい。

夏の暑い日に緑の木陰を作ってくれた山葡萄はどの辺にあったのだろうか。そんなことを思っていると、遠くからこちらに走ってくる姿が目に入る。遅いので気になって戻って来たのだろうか。呑気に思っていると、みるみるうちに姿は大きくなり、目の前に現れる。

ゴール地点まで到着し、暫く待っても来ないので折り返してきたと言う。

今度は、私と並んで歩いてゴール地点まで行く。

走らないと、調子が出なくて。そんな風につぶやいて、ストレッチしながら歩いている姿は、正にエネルギーの塊。

曇り空に燃える連翹に重なる。




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2018年3月31日土曜日

千尋の谷









珍しく携帯が鳴り続けている。
最近はLINEにしろWhatsAppにしろMessengerにしろ、とにかくメッセージでの連絡が多い。なぜアプリを使い分けるのか。皆が同じアプリを使ってくれれば楽なのにと思う反面、どのアプリでも簡単にメッセージを見ることはできるし、そう不便でもない。

携帯を確認すると、相手は寮生活中の息子バッタ。
パック(イースター)のロングウィーケンドはパリの父親のところに行く予定だが、どうかしたのだろうか。

「具合が悪いんだ。熱が38度8分ある。」
辛そうな声が届く。

フランス人と日本人は一般に体温が1度は違う。37度で微熱があって辛いなどと言おうものなら、フランスでは驚かれるか馬鹿にされる。なぜなら、彼らの平温が37度以上なのだから。

働く親にとり、子供の病気とヌヌ(ベビーシッター)の休みは、できるなら避けたい事態。バッタ達が起きる時間には会社にいた私にとって、子供が病気だからと飛んで帰る余裕はなかった。我が家の辞書には「病気」も「医者」もない、と言えるほど、バッタ達はなんとか乗り切った。熱があれば一人でベッドで寝て回復を待つ。

だから、息子バッタからの電話に、声を失ってしまう。しかし、さすがに学校の寮だけあって、医務室もスタッフも充実しているらしく、午後には医者に診てもらえると言う。皆が授業を受けている間、閑散としている寮で一人寝る心細さを思う。
咳をしても一人。

「ママにできること、ある?」
「ない。」

そう言って電話は切れた。

夜、その話を末娘バッタにする。
「ママ、言っちゃったんだ。それって言われると一番つらい言葉だよ。」
え?どうして?何がなんだか分からない。
「だって、別にママにどうかして欲しいわけでもなくって、ただ、ママに聞いて欲しかっただけだもん。」
そうか。

生姜をすりおろして、レモンを絞り、蜂蜜を入れたホットドリンクを作ってあげたい。

二年前、中国に留学していた長女バッタから熱がひどくて声も出なくて寝ていると連絡が入ったことを思い出す。あの時も、何もしてあげられなかった。

彼らは、こうして、自分たちで困難を乗り越えていくようになるのだろう。黙って見守るしかできない。

幼い頃、獅子は我が子を千尋の谷に落とす話を母から何度聞いたか。厳しい母だった。泣きながらその話を聞いて、自分がライオンの子にまるでなったかの様に思い、どんなことがあっても、這い上がって行こうと思った。

千尋の谷に子を落とす程肝が据わった親ではないが、結果的に色んな場面で、谷に落としてきたのだろう。その度に這い上がってきたバッタ達。

そろそろバッタのネーミングも変える頃なのかもしれない。
ひとり、冷たい芯が残った春の風を頬に受けながら、暮れなずむ空を仰ぐ。






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2018年3月25日日曜日

春を探しに







先週は寒さが戻り、三寒四温とは言うものの、雪までちらつく程に。せっかく咲きほころび始めた花は、すっぽりと雪を被り、大いに慌てたに違いない。







今日から夏時間に乱暴に変えられたものの、外の空気は未だ冷たさを残している。

二週ぶりに森に続く道に足を運ぶ。



木々の芽が思った以上に膨らんでいる。


森に入ると、ぬかるみで足を取られそうになりながら、慎重に歩みを進める。

あちこちで、控え目に木々が芽を出している。

頭上の高いところで、鳥たちの囀り。







今年の春はどうやら控え目に忍び寄っている様子。






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